(5)襲撃、そして解呪

「きゃっ」

「うわっ」

 皆が驚く声とともに、食堂が暗くなった。

 扉が開けっ放しになっているため、玄関の灯りが入ってきており、様子はかろうじて見える。


 誠子はショールを持ったまま、呆然と立っていた。身体の右側は灯りに照らされているが、左側はよく見えない。

 そして、その左側の肩から――

 ――ぬっ、と、長い髪の女の落ちくぼんだ目が、覗いていた。豪華な袿の袖から細い手が伸び、誠子の両肩にとがった爪を軽く食い込ませている。

 千代見姫だ。


「何だ……何か、奇妙な雰囲気がする。懐中電灯はないか」

 武雄の声が聞こえる。

(武雄様は、千代見姫が見えてないんだ)

 霊感が弱い人にどう警告すればいいのか、花墨は一瞬迷った。

 しかしいち早く、悧月が鋭い声を上げる。

「叔父さん、誠子さんに怨霊が憑いてる!」


 すると――

 意外なことに、武雄はすぐに答えた。

「わかった。悧月、お前に任せる」


(な……⁉)

 驚く花墨のすぐ横に、ふわり、と青白い姿が浮かんだ。

 星見だ。

『ああ。ははうえさま』

 彼女は胸元で両手を握りしめ、目を見開き、そして呼びかけた。

『ははうえさま! ほしみじゃ!』

 ところが――

 千代見は、まるで見えていないように、星見を一瞥すらしない。ただ、不気味な笑い声を漏らす。

『ふふふ……こんなところにも、あいつの匂いがする。さあ、お前の手で、早く消し去らないと。殺さないと』

 千代見の姿が掻き消え、代わりに誠子の口が動き出す。

『みぃんな殺して、思い知らせてやらないとねえ』

 ゆらり、と身体を立て直した誠子の顔は、口だけが笑みを作っていた。赤く光る目が、この場の人々を舐めるように見回し、そして。


 その手が、テーブルの上のナイフを、無造作につかみ取った。


「誠子様!」

 花墨が呼びかけるのと同時に、星見も悲鳴のような声を上げる。

『ははうえさまぁ!』

 しかし、二人の声に誠子は、そして千代見は反応しない。

 再びゆらゆらと歩き出し、回り込もうとしてテーブルにぶつかった。湯飲みが転がり落ちて、硬質な音をたてて割れる。

 ナイフが振り上げられ、誠子は悧月に襲いかかった。

「誠子さん!」

 呼びかけながらも、悧月はナイフをよけた。しかし思わぬ素早さで、誠子のもう片方の手が伸びた。いきなり悧月の頭を掴む。

(危ない……!)


 ところが、次に起きたことは、まるで奇術のようだった。

 悧月の髪が、がらりと色を変えたのだ。


「え」

 花墨は目を見張った。

 誠子の手に、黒い髪の毛の束が握られている。

 悧月の長い黒髪は、かつらだったのだ。


 鬘の下から現れたのは、鮮やかな赤い髪だった。

 油で固めたのか、額を出して赤い髪を後ろに流した悧月は、まるで別人のようだ。


「くっ」

 彼は一瞬動揺したものの、誠子もまた鬘を引っ張ったためにバランスを崩している。その隙に乗じて、悧月は誠子に突進した。体当たりし、壁に押しつけて押さえ込む。

 張りのある悧月の声が響いた。


「遠つ御祖みおやの神、禍事まがごとを祓い、清め給え!」


 悧月の手が、がっ、と誠子の頭を掴み返した。

 キャアアア、と甲高い悲鳴が響きわたる。

 誠子の口から、黒い靄がブワッと吹き出て、千代見姫の姿をとった。

『おのれ、陰陽師め! 口惜しや……!』

 声が響いたかと思うと、千代見姫はものすごい勢いで食堂の中を飛び回った。窓が割れる。

「待て!」

 悧月が叫び、

『まって、ほしみもいく! ははうえさま!』

 星見が手を伸ばしたが、もがくだけで近づけない。

 千代見姫は窓から抜け出し、すぐに見えなくなった。


 食堂は、シン、と静かになる。


 誠子の身体から力が抜け、足下に崩れ落ちた。武雄がすぐに駆け寄り、膝をついて様子を見る。

「息はしている。気を失ったようだ。シノさん、お義父さんに電話」

「は……はいっ」

 へたり込んでいたシノが我に返り、ほとんど四つん這いで廊下に転び出て行く。武雄の義父、つまり誠子の父は医者だ。

 星見は呆然と立ちつくしている。

 やがて彼女は、食堂の中を悲しそうに見回した後、黙って花墨の中に戻って行った。

 武雄は、立っている悧月を見上げた。

「ありがとう、悧月。とりあえずは誠子から離れたようだ」

「……先生が、憑依を解いた……?」

 花墨は呆然とつぶやく。

 武雄が、彼女と悧月を見比べた。

「話していなかったんだな。花墨さんと良いつきあいをさせてもらっているなら、話しておきなさい」

「……はい」

 小声で悧月が返事をしたところへ、シノが戻ってくる。

「旦那様、お電話しました。すぐ来て下さいます」

 白い顔で目を閉じている誠子を、武雄とシノが両側から支えて立ち上がった。

「応接間に運ぼう」

「はいっ」

 彼らは食堂を出て行く。


 食堂には、二人だけが残った。

 花墨は唇を震わせる。

「先生……どういうことですか?」

「黙ってて、ごめん」

 悧月は、まるで叱られた子どものようにうなだれた。

「薬師寺の親戚にも、かつて陰陽師だった人がいるんだ。僕もその血を引いている」

「えっ……」


 辰巳家と、高鳥家だけではなかった。

 悧月の家もまた、陰陽師の系譜だったのだ。


「だって……私が星見に憑かれてるって話した時、先生、『お祓いしてくれる人を探した方がいい』って言ったわ。でも、先生がお祓い、できるんじゃないですか!」

 花墨は思わずなじる。

「どうして隠してたんですか? 知っていたら、先生と一緒に行動なんてしなかったわ。星見は私の切り札だもの、奪うかもしれない人となんて」

「あの時は本当に、解呪できなかったんだ。戦争前まで、僕には陰陽師としての力なんてなかったから。本当だ」

 うつむき加減の悧月は、ちらりと花墨を見て苦笑する。

「僕が実家を出たのはね、力に目覚めなかった・・・・・・・からなんだよ。出来損ないだったからだ」

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