第5話 決着

「早我見藍果の存在を知ったとき、きっと芳帖の君と素敵な絆を……信頼関係を築くと思ったわ」


 白い手に抱かれた生首の顔に、短い髪がぱさりとかかる。その隙間からのぞく目が、私をとらえてうっそりと弧を描いた。その視界に収められただけで、高熱にうなされたときのような寒気が走る。


「だから私は、あなたたちを引き合わせた。あくせく水をやって、肥料をやって、時には干して――あなた達は、よく実ってくれたわ。あとは私がずたずたに切り裂いて、濁った色へと変わっていくのを眺めるだけ。そう思ってたのに……」


 足元を汚すコールタールのような液体が、すがりつく亡者のごとく私の脚をい上がる。ひ、と思わず声を漏らせば、弓丸が彼女から目を離して振り向いた。そんな一瞬のすきを狙いすましたかのように、背後から細長い影が差す。


「他人なんて捨ておきなさい」


 あの雛人形の襟口から、首の代わりに生えていた亡者の手——その手首にあたる部分が、ぐんと伸びて弓丸の首に巻き付く。ギリギリと気道を締め上げて、その体を難なく宙吊りにした。草鞋わらじが脱げて石畳の上に落ち、つま先がくうを蹴る。


「はな、せ……!」

「なぁに? 私ともっとお喋りしたいの?」

「ふ、ざけたことを……っ」


 巻き付く手首を太刀で斬り落としても、断面からまた新たな手が生えては彼の首を締め上げる。ろくに身動きも取れない状態で、今度はかまのように伸びた爪が横腹を深くえぐった。


「ぐ、ぅっ……!」

おろかよね。ここに私を招き入れてしまったことも、早我見藍果をふところれてしまったことも」


 ぶどうのふさから実をもぎ取っていくように、次から次へと鋭い爪が体の肉をむしっていく。弓丸の首に巻きついて戯れ合う手の群れたちは、汗の伝う輪郭を茶器の縁でもなぞるかのようにたどった。それから、つ、とあごを上げさせて、痛みに歪む顔を満足げに見下ろす。


「ふ……ふ。そうよ、こうでなくっちゃ」

「ねぇ、もう、もうやめて」


 震える感情のままに口を開けば、笑われそうなほど弱々しい声しか出なかった。当然、夢中になって弓丸の体をむしる彼女に、こんな声が届くはずもない。

 さながら、切り刻まれては再生を繰り返す等活とうかつ地獄——傷は持ち前の回復力ですぐにふさがるものの、治ったそばから傷つけられる。抵抗しようと思えばやりようはあるはずなのに、弓丸はこのまま攻撃を受け続けることに決めたのか、自らその身を責め苦の底へととしていた。


 許されない。

 たとえ、〈幻の滝〉を呼び出すために必要なのだとしても――こんな目にっているのを、ただ眺めて何もしないでいるなんて、許さない。


 失くしたくなかったはずの、大切な記憶が抜け落ちてしまった胸の内から、そんな声が湧き上がる。

 相手は見るもおぞましい姿をした、軽く十メートルはあろうかという巨体。対抗するどころか、きっと逃げることすら叶わない。

 だとしても。


「……いい加減にしてっ!」


 大きく息を吸って、思いっきり叫んだ。そう、私は、止めなければいけなかった。無謀むぼうだとは分かっていても、かないっこない相手でも、止めなければいけなかった。たとえ助けを求められていなくても、本当は自分のためだったとしても関係ない。何でもいい、何でもいいから、自分だけは味方なのだと――ただ従順に、黙って見過ごしたりはしないのだと示さなければいけなかった。

 実体も、思い出せる顔もない。ぴったりと私に背を合わせて、黒い影がつきまとう。


「藍果さん」

 

 彼女は攻撃の手を止めないまま、視線の先を私へと変えた。手の中にナイフを隠しながら、無力な子どもでも値踏みするかのように細められた目。いざその視線を向けられると、冷や汗でぐっしょりと背中が濡れた。


「不公平じゃない?」


 少しの沈黙の後、彼女はそんな言葉で切り出した。貼り付けた笑みを消して、独り言でも呟くように。


「私が殺されたときは誰も助けてくれなかったのに、私が殺すときは邪魔立てされるって、不公平だと思わない?」

「こ、殺され……?」


 思わず聞き返せば、彼女はいらだった様子で舌打ちをした。脚に絡んでいた黒い液体が石のように硬化して、体ごと持ち上げられる。たちまち地面が遠くなって、まばたき一つしない眼前へと引っ立てられた。


「私は神職の分家に生まれたの。でも、権力争いに負けて家は潰れた。行き場のない私を引き取ってくれた育て親は、その何年か後に夫になって、私の子の父になった。十八のとき、唯一信頼していた従者にも裏切られて、私は完全に死んだ。ただ鼓動を打つだけの死体でいたって仕方がない。だから、母の形見で胸を突いて心臓を止めたの」

「な……」


 吐き捨てるように言われた話は、私から言葉を奪うのに十分だった。忌々いまいましげな表情を隠すこともなく、とうとうと語り続ける。


「それが宿世渡の正体よ。もっと自分に力があれば、もっと自分に才があれば――ありったけの呪いを込めたわ。その甲斐あってか、あれは私の血縁上にある女が手にしたとき、他人を頼る必要がないほど並外れた力を発揮させる立派な妖刀になった」


 もうちりと化したようだけど、と残念そうに付け足して、彼女は目をすがめた。その視線にたじろげば、脚を固める黒い塊から新たな手がいくつも伸びる。れた向日葵のように頭をもたげ、私を囲んで見下ろした。


「私は、信頼から生まれる破滅をかてとする鬼なの。最初は真月まつきと名乗っていたのだけれど、いつからかまがツ姫と呼ばれるようになった。これは禍津日まがつひのかみ――災禍さいかを司る神と同じ音。呼ばれるほどに力が増して、今じゃこの通りよ。わざわいを振りまく存在として、神格にあやかった力を使えるようになったってわけ」


 沼のように広がる黒い液体から、さらにいくつもの手が生えては私を見下ろす。ぼた、ぼた、と降ってくる「衣だったもの」は、元の形が分からないほどくずぐずに溶けていて、その繊維せんいが髪のように張りついた。

 彼女の呼び名……禍ツ姫。こういった人外の存在は、呼ばれ方に大きな影響を受けると小耳に挟んだことがある。いくつもの化生を自由に宿らせることができたり、異なる場所から現世へと人を送ったり、およそ普通の存在ではないと思っていたけれど、まさかそんな秘密があったなんて。


「それと、せっかくだからもう一つ――高梨稀瑠は、私の手で殺したわ。ドクロ蜘蛛の毒を使ってね。あの母親がしくじったら、そうする約束だったから」

「た、高梨稀瑠、って……」


 確か、旧五年一組にいた、金髪に黒カチューシャの女の子だ。今は疎遠そえんで、何をしているのかもよく知らない。知らない、はずなのに……どうしてか、全くそれだけじゃない気がする。近況どころか、ごく最近、どこかで一緒に何かをしたような。たくさん話したような感覚があるのに、それ以上何も思い出せない。

 その子を……殺した?


「本当は憎かったんでしょう? 許したくなかったんでしょう? けれどあなたは、彼女をかわいそうに思った。同情の余地があると感じた。そして、あなたはその清らかな善性のために、彼女を許したフリをした」

「そ、そんなの、知らな……」

「あのときあなたは、稀瑠の手を払うべきだったのよ——くらいは言いたかったのだけれど。〈彼女〉にまつわる六年前の事件を綺麗に忘れてしまったあなたには、言ってもつまらないわね。残念だわ」


 六年前の事件。それが、私の胸をさいなみ続ける「何か」の鍵を握っていることは、直感で予想がついた。消えたはずの傷が生々しくうずいて熱を持つ。


「彼女たちは、現世と根の国の間に捕らわれているはずよ。どうしても気になるなら、途中で寄ってみるのもいいかもね。私の話し相手が、きっと案内してくれるわ」


 そこまで言うと、彼女はさらに黒い手を集めて私のことを囲った。

 きっと、彼女が一瞬でも気まぐれを起こせば、この無数の手の群れに潰されて終わる。弓丸の血のおかげで再生力は上がっているとしても、一山いくらの肉塊になってしまえばどうなることか分からない。もしも永遠の苦しみに閉じ込められることになったら……想像するだけで視界が揺らぐ。

 それでも。

 私は震えを飲み込み、まっすぐに右手を伸ばす。彼女にかけるべき言葉は——かけたい言葉は、よどみなくあふれ出た。


「私に、あなたの手をつかませて」

「……は?」

「あなたのしてきたことは間違ってるし、許されることじゃない。だから責めたりもするし、怒ったりもする。でも、一度手を取らせてくれたら絶対に振り払ったりしない。暗い場所に飛び込もうとしたら全力で引き留めるし、つらいときはいくらでも話を聞くし、口を開く気持ちも起きないならただ黙って隣に座るよ。そうやって、同じ時間を一緒に過ごすの」

「……お前は、またそんな、を重ねた妄言もうげんを」

「妄言なんかじゃない! あなたが信じれば、ここにるの」


 彼女の瞳が一瞬揺れ、なぜかひどく傷ついたような顔をして、ぐっと唇を強く噛んだ。それから、まぶたを閉じ、もう一度私を視界に映して口を開いた。体の中から、その内臓を無理やり引き出されたような声だった。


「ねぇ、藍果さん。私は、その存在――信じることで得られる安らぎや温もりを、否定したいのよ。手に入れたいわけじゃない。この違いが分かるかしら? 否定することでしか、満たされないの」

「否定、することでしか……?」

「ええ。あなたの言うような夢物語が偽物なら……存在しないなら、犬のエサにもならない私の一生だって、仕方がなかったって割り切れる。けど、あなたの言葉が事実だとすれば、なおさら私は……あなたのことを、元の形も残らないほどに破壊しないといけない」


 破壊。元の形も、残らないほどに。

 私の脚を固めるいましめの力がさらに強くなり、骨のきしむような感覚が走る。

 はったりでも冗談でもなく、彼女は本気で、私を殺そうとしている。首筋の毛が逆立ち、指先がこわばった。


「忘れないでほしいのだけど、藍果さんのことは好きよ。できれば、命は奪わずに済ませたいの。だから、一回だけチャンスをあげる」


 閉ざされた空間の中で、しん、と空気が張り詰める。彼女は大きな目でまじまじと私を見つめ、茶化すようなトーンを一切消して、期待と不安の入り混じった表情で問いかけた。


「さっき言ったこと、本気?」


 極度の緊張で、口の中が渇く。この問いにうなずくことは、きっと死を意味するのだろう。自分の身を守ることしか考えないなら、首を横に振るのが正しい。でも、弓丸からもらった勇気が、透明になってしまった後悔の記憶が、そっと寄り添って力をくれる。


「本気だよ。あなたを止めたい。怒りたい。いやしたい。一緒に出かけて、私の友達とも仲良くなって、いつの日か……そんなふうに幸せでいることを、憎まなくてもいいようになってほしい」

「……そう。なら、仕方がないわ」


 彼女は小さく息をつき、ふ、とささやかに微笑んだ。偽りもかたりもない、多分、初めて見る――“まつき”としての微笑だった。


「あなたにこの手は取らせない。ごめんなさいね」


 私を見下ろしていた無数の黒い手が、自分の上に振りかかる。きっとあと一秒も数えないうちに、骨と肉の境界も分からないくらいにぐちゃぐちゃになってしまう。でも、これでいい。私は、言うべきことを言えた。たとえ身を滅ぼしたとしても、手を伸ばさずに見送ってしまうよりはずっといい。

 そうして目を閉じた次の瞬間、下から上へと全身の細胞を洗われるような感覚が体を包んだ。


「な、に……っ!?」


 目を開けても、乱反射する水のきらめきだけが周りを囲んでいる。脚の拘束は解けていて、あの雛人形の姿も消えていた。彼女だけではなく、弓丸の姿もない。透明な粒子が重なり合ってできたヴェールが、外界と自分のいる場所とを完全に遮断していた。


『時間がかかってしまって、すまない。君のおかげで、間に合ったんだ』

「ゆ、弓丸……っ」


 少し低くなった彼の声が、どこからともなく聞こえてくる。もう一度周りを見回してみても、袖の端さえ見つけられない。


「どこにいるの? それに、而葉しかるばさんはどうなったの……?」

『君は、まだその名前であの化け物を呼ぶんだな。そういうところが……彼女も好きだったんだろう』

「好きだった、って」


 過去形にされた文末。嫌な予感に胸の内がざわめいて、問いかけることもできずに繰り返す。少し間を置いて、弓丸の声が静かに響いた。


『彼女は、もうどこにもいない。〈幻の滝〉に打たれて、消滅したんだ』




***

あとがきはこちら↓

https://kakuyomu.jp/users/toura_minamo

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