第4話 失くしもの

 体が重い。


 物理的に、何かが自分の上に覆い被さっている。落ち葉に埋もれた種が芽を伸ばすときのように、その重なりをかき分けて身を起こした。


「これ……」


 まるで、お雛様ひなさまが着せられている十二単の衣。

 どれも、どこかしらがひどく破れている。厚く豪奢なものもあれば、白くて薄い肌着らしきものもあった。それが、どこからともなく雪のように降ってきて、境内をまたたく間に埋め尽くしていく。煌々こうこうと照る月明かりにその装束が浮かび上がるさまは、少し前に習った昔話の世界をむざむざと思い起こさせた。 


「藍果、僕のことは分かるか。状態は」


 少し低くなった声。振り返ると、夜風にひらめいた長い袖がばさりと顔に当たった。


「……う、ん。ちょっと背中が痛いけど、大丈夫」

「そうか。君の中にある僕の血が、矢の効果を中和したのかもしれないな」


 太刀をげ、油断なく周りを見渡す弓丸の顔に、幼子の面影はほとんどない。ぐっと大人びた目元、薄い唇、成人に差し掛かった少年の体つき……私に斬られた右手首も、いつの間にか治っていた。


「あぁ、手ならさっき回収してくっつけたよ。少し断面を削れば問題なく……」

「だ、断面を削る……」

「仕方ないだろう、先にったのは君だ。僕がやったのは治療」

「……それは、えっと」

「謝らなくていい。あと、さっきから落ちてくるこの衣は、君の中から禍ツ姫が消えた後に降り始めたものだ。あいつ本体の姿は、まだ見えない。警戒をおこたるな」


 さっきまでのことを思い出して、そっと自分の喉に触れてみる。指先に感じたのは、乾いた血のかさつきだけ。傷も痛みも消えていたけれど、まるっきり忘れてしまったわけではないらしかった。少なくとも、弓丸や禍ツ姫のこと、こうなっている経緯については覚えている。


「君が気を失っていたのはほんの二分ほどだ。あの矢……落とし矢で君を刺した瞬間、宿世渡はびた鉄の塊に変わって崩れ去った。ほら、その足元にある鉄くずの山がそれだ」

「え……? あ……!」


 見れば、大小様々な固まりが混じった赤茶色の残骸ざんがいが、塚のように寄り集まっていた。手で軽く握ってみると、ざくざくと肌を突くような感触。錆びてボロボロに崩れた鉄に違いなかった。

 あれだけ私が振り回され、振り回したこの刀は、今やこんな姿だ。単に寂しさ、と呼ぶにはもつれて絡まった感傷と、弓丸への申し訳なさが胸をよぎる。


「あの、ごめんね……貸してくれてた物だったのに、こんな風にして」

「気にするな。元はといえば、つい気持ちに流されて君に渡してしまった僕が悪いわけだし」

「……でも」

「あの刀の出どころだって、正直得体のしれないものだ。通り道になるから、助けに行きやすいと思って渡したんだけど……万が一を想定できていなかった。きっと、こうして無くなってしまった方が良かったんだ」

「そんなこと……」


 弓丸はそんなふうに言ってくれるけど、思い入れのあるものだったことには違いない。これは想像だけれど、きっと早我見の方にいた弓丸の親族か誰かが、彼を封じる文箱に一緒に入れておいたのだろう。もっとも、早我見があの刀を手にする前は、京都の方にあったことしか分からないと言って……。

 そこまで考えたところで、ふとさっき禍ツ姫と交わした会話を思い出した。


「出どころ……私、知ってるかも」


 ここに来るとき、彼女があの刀を元は自分のものだったと言っていたこと。それから、この土地に来る前は、まつき姫という名前で京都に住んでいたらしいこと。適当なでまかせで言った冗談だろうと思って流していたけれど、こうなってくると、どんな些細ささいな情報でも伝えておいた方がいいような気がした。


「ふうん……なるほど」


 その話を聞くと、弓丸は案の定考え込むような仕草をして、次から次へと舞い落ちる破れた装束に目を落とした。細かな意匠がほどこされ、大きな牡丹ぼたんの模様が入った、つややかな髪のように輝く上衣。満開になった梅が恥じ入るほどの、鮮やかな赤で染められた袴。どれも立派で、売れば決して安くない値がつくだろう。その布地を容赦なく引き裂く、大きな傷が入っていなければ。

 弓丸はそれ以上その話を続けることなく、「ところで」と仕切り直した。


「君は僕のことやこれまでの経緯はちゃんと覚えているようだけど……何か、思い出せないことはないか」

「思い出せないこと……」


 確か、禍ツ姫に体を取られて、弓丸が襲われて……彼女を私の体から引きはがすために、落とし矢を使われたことは覚えている。

 弓丸と出会ったときのこと、ヤドリ蔦との戦いとのこと。さっき資料館で見た記録の内容も、明日出さなきゃいけない宿題のことも、ちゃんと自分の中にある。

 けれど、なぜかあの化生——ドクロ蜘蛛に関する記憶だけは、それこそ蜘蛛の巣のように穴だらけだった。


「私……」


 そして、もっと大切な。絶対に覚えておかなきゃいけなかったはずの何かが、私の中から抜け落ちてしまっているような。


「ねぇ、弓丸」

「なんだ」

「……肩が、軽いの」


 分からない。当たり前だ、いくら容れ物の中を探っても、失くしてしまったものは出てくるはずがない。分からないのに、なぜだか涙がボロボロあふれてきて、私は唇を噛み締める。泣きたくない。今は手に取れない、けれど確かにあったはずの〈何か〉の存在を、唯一証明してくれているものだ。この涙さえも落としきってしまったら、本当になかったことになってしまう。


「ねぇ、知ってるんでしょ。私が落としたくなかったもののこと……」

「……僕は」


 歯切れ悪く、弓丸は言う。


「君なら自分で取り戻せるって信じたから、やったんだ。どうせみんな、背負ったものは綺麗さっぱり忘れてしまいだろうと思っていたし、僕だってそうだった。けど、君は……過去を捨てることなく、潰れることもなく、いつだって見つめ続けていた。そんな君をよすがにして、僕はあんなたわむれさえ口にしたんだ」


 ——君に、神様になってほしいと思ってる。

 戯れというのは、きっとあの告白のことを指しているのだろう。私は、その頼みに応えると言ったけれど、それが弓丸から過去を聞き出すための偽りであったことにはもう気づいているはずだ。


「わがままだって分かってる。でも、これから僕は〈幻の滝〉を呼び出して、禍ツ姫と決着をつけるつもりだ」

「幻の、滝……?」

「ドクロ蜘蛛との戦いで、僕は相当苦戦していただろう。でも、それならそれで勝機はあったんだ。体を保っていられないほどの苦痛を受けてなお、意識を保ったまま戦う意志を持ち続ければ、僕は大量の水でできた巨大な蛇の姿に変わる。そうやって丸呑みにした存在は、僕の霊力と引き換えに浄化することができる」

「……やったこと、あるの?」

「神様になったばかりの頃、母上を守るために、一度だけ」

「……」


 彼ができるというなら、きっとできるのだろう。私に対して望んでいるのは、多分心配なんかじゃない。崖の縁に立つ自分の背を、最後にそっと。


「これまで見てきた君の強さを信じ通すことが、僕の力になるんだ。それが存在してくれるなら、どんな苦痛を味わったって、僕は戦う意志を手放さない。だから、どうか」

「ま、待ってよ!」


 彼の望みは知りつつも、その声をさえぎらずにはいられなかった。さえぎるべきだと思った。せめて一度は、とがめて……引き留めるべきだと。


「体を保っていられないほどの苦痛にひたすら耐えるなんて……そんなの、自分で自分を傷つけるのと同じ、だよ。これからは、できるだけ自分を傷つけて戦うようなやり方はしないって、言ってくれてたのに」

「この土地の半分が土に沈んだ、と教えただろう。それが何を意味するか、分からないなんてことはないはずだ」


 境内が重苦しい沈黙で満ちる。ふと見れば、降り積もった色とりどりの装束が、すみひたしたかのような黒へと変わり始めていた。まるで浜辺に打ち上げられた海の生き物のように、じわじわと腐り落ちては溶けていく。重なった衣どうしが混ざり合って、思わず息を浅くしてしまうような嫌な空気が立ち込めた。


「君から奪ったのは僕なのに、こんなことまで願って、すまない。どうか、君の手で取り戻してほしい。君が背負った思いの強さを、信じて……り所にしたいんだ」


 そう言って、弓丸は会話を断ち切るように刀の切っ先を〈その化け物〉に向けた。

 互いに溶け合い、ズズズ、と寄り集まった黒い装束の塊が、雛人形のような形へと変わっていく。襟から上の部分に頭部はない。その代わり、手の形を模した赤黒い触手が、空を覆い尽くす木の枝のように……あるいは、暗い海の底から助けを求める死者のように、何本も伸びている。その一つ一つも黒くどろどろに溶けていて、血のように滴り落ちては地面の装束と体を重ねた。


「他人のことを信じるなんて、愚に愚を重ねた妄動もうどうよ」


 凛と気高いその声だけが、これは彼女であるのだということをかろうじて教えてくれる。

 扇を抱えるはずの手は、ざんばらに切られた髪を持つ頭部を、母親からもらったまりのように抱きしめていた。その指の隙間から私たちを見つめて……彼女は言う。


「私は、いつだってそれを証明してきた。私が救世主だと信じて、あまつさえ恋人になってくれる相手だと思い込んで、人から外れた力を得る。喜ぶのは最初だけよ。どんどん自分の体がおかされていくのを知って、己の選択を悔い、怨嗟えんさの言葉を吐き散らし、迂闊うかつな行いを恨みながら身を滅ぼす。愉快で仕方ないわ」


 袖から伸びる、唯一の白い手……それに抱えられた彼女の頭が、くつくつと笑いを漏らす。いつも私たちの横で見せてきた、相手をとりこにするような柔らかい微笑みは、見る影もなかった。

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