第2話 岐依のいわれ

 甘味処あずさののれん。それを前にしながら、私はさっき見た光景を思い出していた。

 

 崩れてしまったはずの洞穴ほらあなが、どういうわけか元通りの形になっていた。確か、あの洞穴は奥の方から根こそぎ崩れてしまっていたはずだ。重機を使ったとしても、あんな風に寸分たがわず元に戻すのは難しいように思う。それなのに、どうして何事もなかったかのように綺麗になっていたのだろう。


 弓丸に出会ってからというもの、科学や理屈では説明のつかないものをたくさん目にしてきた。けれど、この現象の不気味さは折り紙つきだ。


 ううん、とうなり声ともため息ともつかない声が出る。さっき見たものを頭の中でぐるぐるかき回しながら考え込んでいると、私の姿を見つけたアヤが走り寄ってきた。

 

「もう来てたんですね! すみません、お待たせしてしまって」

「ううん、全然待ってないよ。……而葉しかるばさんは?」

「実は、代金をあずかってまして。他に用事があるから、一緒に払っておいてほしいと」

「ふーん……ちなみに、その用事って何なのか知ってる?」

「はぐらかされました。『そのうち嫌でも知ることになるわ。藍果さんはね』だそうです。気になりますよね」

「そうだねぇ……」


 暗闇にこだました笛の音色は、まだ耳元に残っている。思い返してみても、未だにあの出来事は夢か幻だったんじゃないか、なんて考えてしまう。


「稀瑠さんは来るんでしたっけ」

「そのはずなんだけど、まだ来ないね……あんまり時間にきっちり合わせるタイプじゃないから、後で来るかもしれないけど。弓丸からは、少し休みたいから行っててくれって聞いてるよ」

「なるほど……私が蛍光灯を一生懸命引っこ抜いてる間、弓丸さんもそれなりに苦戦してたってわけですね」

「だいたいその通りなんだけど、微妙にコメントしづらいというか、なんというか……冗談で合ってる?」


 弓丸は、願山ねがいやまを降りたところで「僕はやしろで休むから。茶屋の方には君たちだけで行ってきてくれ」と言って立ち去ってしまった。珍しく欠伸あくびまでしていたし、よっぽど眠かったのだろう。あるいは、今回の戦闘での消耗しょうもうがそれだけ激しかった、とも言える。


 差し入れでも持って、後で様子を見に行った方がいいだろうか。それとも、邪魔せずにゆっくり休ませてあげた方がいいだろうか。

 どちらにするべきか悩んでいると、それを見ていたアヤが「そうだ」とつぶやいた。手を後ろに回し、私の前に回り込む。これは、アヤが何かの取引を思いついた時の仕草だ。


「あの、先輩。私を今回の件に巻き込んだことが、気にかかるんですよね?」

「それはもちろん、そうだけど」

「実は、一つ聞きたいことが」

「聞きたいこと?」

「ええ。あの……」


 少し口ごもったかと思えば、アヤは表情をほとんど変えないまま、切れ長の目で私を見つめた。上目遣いではあるものの、口元がキュッと引き結ばれているせいで圧が強い。思わず一歩後ろに下がると、アヤはさらに一歩踏み込んできた。

 

「先輩は、弓丸さんのこと、どう思ってるんですか」

「なっ、え、どうって」

「あるいは、弓丸さんからどう思われたいと感じているか、でも構いません」

「……どう思われたいと、感じているか?」

「はい。興味があります。私に対して罪悪感が残っているなら、この問いに答えていただくことでチャラってことにしましょう。いかがです?」

「えぇー……うーん……」 


 アヤには散々迷惑をかけたから、お願いの一つや二つはきいてあげたい。頭をひねって、どう答えようか考える。けれど、そう簡単には答えが思い浮かばない。この問いに即答できないこと自体、アヤに聞かれて初めて知った。


「ゆっくり考えてもらって大丈夫です。先に用事を済ませましょうか」

「うん、そうする……」


 弓丸のことを、どう思っているか。

 弓丸から、どう思われたいと感じているのか。


 私は答えを探しながら、アヤと一緒にのれんをくぐった。


***


「すみませーん……」

「あんたたち、無事だったのかい!」

 

 のれんの向こう側には、弥永やながのおばちゃんが目を丸くして立っていた。

 

「神隠しにあったか、それともおばちゃんがキツネに化かされたかと思ってたんだよ。周りにいたお客さんたちもみんな固まっちゃってねぇ。一瞬シーンとなった後、やれ警察に連絡しろだの、はらい屋を呼んだだの、自分は占い師だのって大騒ぎで。とりあえずみんなを落ち着かせて、一回頭を冷やそうってことで、お客さんには帰ってもらったんだ」


 私たちがあずさに訪れたのは今日の昼前。満席というほどではなかったが、それなりにお客さんはいたはずだ。目の前で急にそんな怪奇現象が起きたら、普通は騒ぎになるだろう。


「あんたたちは知らないかもしれないけど、この土地にはイワレがあってね。一旦様子を見て、もし日が落ちても帰ってこないようなら警察に連絡しようと思ってたところさ。とにかく、戻って来れたんならよかった」


 とりあえず座って座って、と背中を押され、私たちは席についた。弥永やながのおばちゃんは外の札を「準備中」に変え、水を入れたガラスのコップを私たちの前に置く。おばちゃんがお盆を置き、私たちの向かいに座ったところで、アヤがバッグから封筒を出した。


「あの、これお代です。これが私の注文したラテの分、こっちが連れの頼んでいたぜんざいの分になります。払えていなかったのでお渡しをと」

「あら、大変だっただろうに悪いねぇ。毎度あり」


 おばちゃんは白い歯をペカッと見せて、アヤからお代を受け取った。こういうところはしっかりというか、きっちりしているのが弥永やながのおばちゃんのやり手なところだ。うやむやにしようもんなら、朝のゴミ捨てか登下校のタイミングにでも私たちをとっ捕まえて、お代を払うまで延々と話しかけてきたことだろう。


 まぁそもそも、もらったもののお代を払うのは当たり前のことだ。この手の中にあるコップの中の水はサービスだと思うけれど、無償で済む範囲を超えているものには対価を差し出す必要がある。その決まりは、何もこの店の中だけにとどまるものではない。


 何から話すべきか、どこまで話すべきかと迷っていると、アヤが小さく手を上げて質問した。


「すみません。このくに市にいわれがある……って、どういうことですか。もしかして、みたいなものでしょうか?」

「いい目のつけどころだね。さすが藍果ちゃんの後輩さんだ」


 弥永やながのおばちゃんはさらに豆菓子まで持ってきて、私とアヤの前に置いた。とは、何らかの理由で忌避きひされたり、不吉なことが起こったりする場所を意味する。昔、たくさんの人が亡くなったところや、災害の起きやすい場所はそう呼ばれるようになることが多い。


「大昔、この一帯では〈万禍よろずのわざわい〉が起きたって話さ。学校から少し離れた位置に、てっぺんまで一時間半くらいで登れる山が二つあるだろ? 一つは願山ねがいやま。もう一つは湖井山こいやま。〈万禍よろずのわざわい〉が起きる前まで、あの二つの山は元々一つの山だったんだ。それが二つにわかたれて、この地は魑魅魍魎ちみもうりょうであふれ、おかしな出来事がたくさん起きるようになった。奇異きい依代よりしろ——それが、この土地の呼び名の由来なんだと。……藍果ちゃんたちは、この話を知ってたかい?」


 聞いたことのない話だ。学校ではもちろん、観光パンフレットでさえ見たことがない。隣を見れば、アヤも首を横に振る。


「私は初耳でした。先輩はどうです?」

「私も……初めて聞いたと思う」


 湖井山こいやまというのは、弓丸の鎮場神社がある場所だ。それが、願山ねがいやまと元々一つだったなんてにわかには信じられない。

 気になることは他にもある。


「その、よろずのわざわいっていうのはどういうものなの?」

「うーん、それがねぇ……一万の万に、禍々まがまがしいのっていう字で書くこと以外は、はっきりしたことが分からないのさ。天から光の矢が降り注いだとか、木や物見櫓ものみやぐらから炎の柱が立ち昇ったとか、水がき出して大地が震えたとか、りゅうが現れて軒並のきなみ屋敷や家をらったとか……てんでばらばらで何が本当か分かりやしない。とにかく、状況が一変するような一大事が起こったんだろうね」

「ふーん……」


 なんだろう。いま、どこかで見た何かと、イメージが重なったような気がするのだけれど。


 思い出そうとはしてみたものの、他にあった色々なことが邪魔をして、どうにも上手くつかめない。白くきりがかかったように、ぼんやりと輪郭りんかくがぼやけている。アヤはそんな私をさておき、今聞いた話をせっせと携帯のメモアプリに書き留めていた。


「ま、あくまでも受け売りの話さ。おばちゃんだって、この話は子どもの時に一回、一緒に遊んでた友達から聞いたっきりだ。気になってちょっとパソコンで調べたことはあるんだけど、何にも記事は出てこないし。図書館に調べに行けば分かるのかもしれないけど、そこまでするのもねぇ。この話のくわしいところが分かったら、おばちゃんにも教えてもらっていいかい?」


「はい。来月の校内新聞のコラムはもうオカルト特集にしようと思ってますし、先輩と調べてみます……ところでその、一緒に遊んでた友達っていうのは?」

「さてねぇ。もう三十年は前のことだし、適当にその場で集まった子ども同士で鬼ごっことか木登りをしてただけだから、名前までは」

「そうですか。でも、うちには頼りになる先輩が二人いるので心配ありません。ね、藍果先輩」

「うーん……」

「藍果先輩は生返事ですが、瀬名先輩なら何かわかると思います。私は資料を集めます。さ、先輩行きましょう」

「あ、藍果ちゃんとお友達にお土産があるから。持っていきな」


 そう言って、弥永やながのおばちゃんは私にお土産を持たせてくれた。ちなみに、代金はしっかり徴収ちょうしゅうされたんだけれど、これをお土産といっていいのだろうか。


 疑問と気がかりをたくさん抱えて、私たちは〈甘味処あずさ〉を後にした。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る