第2話 岐依のいわれ
甘味処あずさののれん。それを前にしながら、私はさっき見た光景を思い出していた。
崩れてしまったはずの
弓丸に出会ってからというもの、科学や理屈では説明のつかないものをたくさん目にしてきた。けれど、この現象の不気味さは折り紙つきだ。
ううん、とうなり声ともため息ともつかない声が出る。さっき見たものを頭の中でぐるぐるかき回しながら考え込んでいると、私の姿を見つけたアヤが走り寄ってきた。
「もう来てたんですね! すみません、お待たせしてしまって」
「ううん、全然待ってないよ。……
「実は、代金を
「ふーん……ちなみに、その用事って何なのか知ってる?」
「はぐらかされました。『そのうち嫌でも知ることになるわ。藍果さんはね』だそうです。気になりますよね」
「そうだねぇ……」
暗闇にこだました笛の音色は、まだ耳元に残っている。思い返してみても、未だにあの出来事は夢か幻だったんじゃないか、なんて考えてしまう。
「稀瑠さんは来るんでしたっけ」
「そのはずなんだけど、まだ来ないね……あんまり時間にきっちり合わせるタイプじゃないから、後で来るかもしれないけど。弓丸からは、少し休みたいから行っててくれって聞いてるよ」
「なるほど……私が蛍光灯を一生懸命引っこ抜いてる間、弓丸さんもそれなりに苦戦してたってわけですね」
「だいたいその通りなんだけど、微妙にコメントしづらいというか、なんというか……冗談で合ってる?」
弓丸は、
差し入れでも持って、後で様子を見に行った方がいいだろうか。それとも、邪魔せずにゆっくり休ませてあげた方がいいだろうか。
どちらにするべきか悩んでいると、それを見ていたアヤが「そうだ」とつぶやいた。手を後ろに回し、私の前に回り込む。これは、アヤが何かの取引を思いついた時の仕草だ。
「あの、先輩。私を今回の件に巻き込んだことが、気にかかるんですよね?」
「それはもちろん、そうだけど」
「実は、一つ聞きたいことが」
「聞きたいこと?」
「ええ。あの……」
少し口ごもったかと思えば、アヤは表情をほとんど変えないまま、切れ長の目で私を見つめた。上目遣いではあるものの、口元がキュッと引き結ばれているせいで圧が強い。思わず一歩後ろに下がると、アヤはさらに一歩踏み込んできた。
「先輩は、弓丸さんのこと、どう思ってるんですか」
「なっ、え、どうって」
「あるいは、弓丸さんからどう思われたいと感じているか、でも構いません」
「……どう思われたいと、感じているか?」
「はい。興味があります。私に対して罪悪感が残っているなら、この問いに答えていただくことでチャラってことにしましょう。いかがです?」
「えぇー……うーん……」
アヤには散々迷惑をかけたから、お願いの一つや二つはきいてあげたい。頭をひねって、どう答えようか考える。けれど、そう簡単には答えが思い浮かばない。この問いに即答できないこと自体、アヤに聞かれて初めて知った。
「ゆっくり考えてもらって大丈夫です。先に用事を済ませましょうか」
「うん、そうする……」
弓丸のことを、どう思っているか。
弓丸から、どう思われたいと感じているのか。
私は答えを探しながら、アヤと一緒にのれんをくぐった。
***
「すみませーん……」
「あんたたち、無事だったのかい!」
のれんの向こう側には、
「神隠しにあったか、それともおばちゃんがキツネに化かされたかと思ってたんだよ。周りにいたお客さんたちもみんな固まっちゃってねぇ。一瞬シーンとなった後、やれ警察に連絡しろだの、
私たちがあずさに訪れたのは今日の昼前。満席というほどではなかったが、それなりにお客さんはいたはずだ。目の前で急にそんな怪奇現象が起きたら、普通は騒ぎになるだろう。
「あんたたちは知らないかもしれないけど、この土地にはイワレがあってね。一旦様子を見て、もし日が落ちても帰ってこないようなら警察に連絡しようと思ってたところさ。とにかく、戻って来れたんならよかった」
とりあえず座って座って、と背中を押され、私たちは席についた。
「あの、これお代です。これが私の注文したラテの分、こっちが連れの頼んでいたぜんざいの分になります。払えていなかったのでお渡しをと」
「あら、大変だっただろうに悪いねぇ。毎度あり」
おばちゃんは白い歯をペカッと見せて、アヤからお代を受け取った。こういうところはしっかりというか、きっちりしているのが
まぁそもそも、もらったもののお代を払うのは当たり前のことだ。この手の中にあるコップの中の水はサービスだと思うけれど、無償で済む範囲を超えているものには対価を差し出す必要がある。その決まりは、何もこの店の中だけにとどまるものではない。
何から話すべきか、どこまで話すべきかと迷っていると、アヤが小さく手を上げて質問した。
「すみません。この
「いい目のつけどころだね。さすが藍果ちゃんの後輩さんだ」
「大昔、この一帯では〈
聞いたことのない話だ。学校ではもちろん、観光パンフレットでさえ見たことがない。隣を見れば、アヤも首を横に振る。
「私は初耳でした。先輩はどうです?」
「私も……初めて聞いたと思う」
気になることは他にもある。
「その、よろずのわざわいっていうのはどういうものなの?」
「うーん、それがねぇ……一万の万に、
「ふーん……」
なんだろう。いま、どこかで見た何かと、イメージが重なったような気がするのだけれど。
思い出そうとはしてみたものの、他にあった色々なことが邪魔をして、どうにも上手くつかめない。白く
「ま、あくまでも受け売りの話さ。おばちゃんだって、この話は子どもの時に一回、一緒に遊んでた友達から聞いたっきりだ。気になってちょっとパソコンで調べたことはあるんだけど、何にも記事は出てこないし。図書館に調べに行けば分かるのかもしれないけど、そこまでするのもねぇ。この話の
「はい。来月の校内新聞のコラムはもうオカルト特集にしようと思ってますし、先輩と調べてみます……ところでその、一緒に遊んでた友達っていうのは?」
「さてねぇ。もう三十年は前のことだし、適当にその場で集まった子ども同士で鬼ごっことか木登りをしてただけだから、名前までは」
「そうですか。でも、うちには頼りになる先輩が二人いるので心配ありません。ね、藍果先輩」
「うーん……」
「藍果先輩は生返事ですが、瀬名先輩なら何かわかると思います。私は資料を集めます。さ、先輩行きましょう」
「あ、藍果ちゃんとお友達にお土産があるから。持っていきな」
そう言って、
疑問と気がかりをたくさん抱えて、私たちは〈甘味処あずさ〉を後にした。
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