第十一章 図書館はペット禁止です

 ――あの『悪役令嬢会議』と言うのはもう一度行けるのかしら。

 翌日、カトリーヌは皇立図書館に向かうために馬車を走らせていた。

 石畳が敷かれ、石造りの建物が並ぶ皇都をぼんやりと窓から眺めながら考える。

 自分が生きのびるために、皇太子との婚約を破棄する。

 それが前世のカトリーヌの『フラグ折り』だったが、今回は、そもそも婚約しないという選択肢が出てきた。


(でも、悪役令嬢のわたしが『フラグ折り』をしたら殺されるのだとしたら……)

 モルガンが話していた悪役令嬢としての役割を放棄したがゆえに殺されたという話が気になっていた。


「カトリーヌ、おはよう」

 声をかけられて、馬車が目的の場所についていたことにいまさら気づいた。

 馬車の入口で、ユージンがカトリーヌに向かって手を差しだ

している。

 エスコートの手をとって馬車の外に出ると、古めかしくも重厚な建物が目の前にそびえ立っていた。


「おはようございます、ユージン。ここが皇立図書館なんですね」

「そう。カトリーヌは皇立図書館に来るのは初めて?」

 エスコートの延長なのか手をつないだまま歩きだ

された。その後ろをユージンの侍従とカトリーヌの侍女がついてくる。

 侍女が心なしか微笑ましそうな顔をしていると思うのは気のせいだろうか。


「そうなの(今世では)初めてですわ」

 入口は高いドーム天井になっていて天井から光が差しこんでいる。

 ここは会話をしている人がいて、ざわざわという人のさざめきが反響していた。開館している時間は開かれたままなのだろう。

 大きな扉をくぐった先はやや薄暗い。その理由はすぐにわかった。

 棚と言わず、壁一面に本が並んでおり、縦長の窓まで埋め尽くされてしまいそうなほどだ。


「この図書館は本のために特別に厚い壁で作られていて、窓も二重窓になっているんだ」

「へぇ……

 前世で利用したことはあったが、ただの利用者に過ぎなかったので、そんな豆知識を教えてくれる人はいなかった。

「じゃあ、なかに入ろうか」

 利用許可証を見せて図書館の奥へ向かおうとしたときだ。


「お待ちください。大きな荷物の持ち込みは困ります。クロークに預けてください」

 図書館の職員の制止を受けて、カトリーヌは振り返った。

 ユージンが連れている侍従は両手に大きな蓋付きの籠を手にしていた。


(もしかして、そのうちのひとつは……)

 カトリーヌは思わずユージンの顔を見てしまった。無表情にこくりとうなずかれる。

(やっぱり卵!?)

 職員に聞かれないように、ユージンの腕を掴み、片隅に追い詰める。


「魔法生物の卵なんて皇立図書館に持ってきて大丈夫なの!?」

「大丈夫じゃないから持ってきたんだ……昨日光ったあとなんだか元気がなくなったような気がして……」

「なんですって!?」

 思わず大きな声を出してしまったカトリーヌに、周囲から「しぃー」と指を立てられる。


(もうひとつに入っているのは普通のバスケットかしら……気遣いそのものはありがたいんだけど……)

 バスケットだけなら、荷物を持たせて侍従たちを控え室で待たせておけばいい。

 しかし、卵の様子がおかしいと言うのはカトリーヌも気になった。

「いったん図書館に入るのはやめて庭に行きましょう。その卵、見せてくれない?」

 

         †          †          †

 

 皇立図書館の中庭には、ちょっとした庭園があり、本にかじりついたあとで散歩をしたり、持ってきたバスケットを開けて軽食を食べたりできる。

 誰もいない片隅にある四阿に入ると、外からは見られないようにカトリーヌは入口側に座った。


 外にはユージンの侍従とカトリーヌの侍女が立っているから、うっかり人が入ってくることもない。

 その段階になってユージンはおずおずとバスケットの蓋を開いた。

 白い卵は昨日見たときとさして変わりない。それでいて目にしたとたん、確かに元気がないなという印象を受けた。


「触ってもいい?」

 カトリーヌが尋ねると、ユージンはこくりとうなずく。

「手に持ってみて」

 ユージンはバスケットからとりだすと、腕に抱えながらカトリーヌに手渡した。

 正直に言うと、腕のなかに抱えると落としてしまいそうで怖い。しっかりと抱えたまま指先で触れると、なかからかすかな光が仄かに放たれた。


「これは……なんだか昨日よりとても弱ってるみたい。ユージン、この卵、いつ見つけたの?」

 卵だからぐったりしているというのおかしいが、まるで弱った仔猫を抱いているような心地になる。


「一カ月前。最初はときどき光っていたんだ。それがだんだんなくなって、なんだかよくない気がして……それで誰かに相談したくて」

 それがたまたまカトリーヌだったと言うわけか。

「一ヶ月……昨日は光ったのに今日は弱い……」

(もしかして、昨日光ったのは反応があったと言うより、弱っているという合図だったのだろうか……)

 カトリーヌの知識も大したものではない。

 魔法学校について調べているときに、たまたま魔法生物についての本を読んだくらいだ。総括的な本だったから、ひとつひとつの生物の生態について書いてあったわけではないし、この卵がなんの卵かもわからない。

 ただひとつわかっていることは、魔法生物の卵は魔力を糧にして孵るという説だった。


「ユージン卵に手を当ててみて、手のひらに力が集まるように頭のなかでイメージして……この卵に力を送るというつもりで……わたしも一緒にやるから!」

 自分の金の瞳が魔力があるという意味だと知っていたものの、カトリーヌは魔法を使ったことがない。

 だからその方法が正しいかわからないまま、それでも自分のなかからなにかが流れだすイメージを卵に向けて放つ。

すると明滅しながら弱まっていた光がひときわ強くなった。


「二つの魔力を必要としているなら、ずっと一緒に過ごしていてユージンよりもわたしの魔力を必要としているはず……」

(わたしが使える魔法は……複数のはず。水、火、風、土――どれでもいい。あなたが欲しい属性の魔力がありますように……そしてわたしを……悪役令嬢の運命から救って!)

 カトリーヌの心のなかでつぶやくと、卵が強く光を放った。

 その光は、四阿の外で見張りをしている二人にも異常がわかるほどだった。


「ユージン皇子殿下、大丈夫ですか?」

「カトリーヌお嬢さま! なにかあったんですか?」

 卵に魔力を与えていうカトリーヌは返事をする余裕すらない。

 代わりに答えたのはユージンだった。


「大丈夫だ。大丈夫だから、ほかに人が集まらないように見張っていてくれ」

 こういうところは、普段は寡黙で無愛想でも皇子様なんだなと思う。

 いざとなると、案外、立ち居振る舞いに人を従わせる力がある。

「は、はい」

「カトリーヌ……大丈夫か? 無理なら危険なことはやめてくれ」

 いつのまに汗をかいていたのだろう。ユージンがハンカチでそっと額の汗を拭ってくれる。


「……でも、この卵のなかから……」

 ――かすかに声が聞こえる気がした。

 それは言葉にすらならない声で、人間の言葉ではない気がしたのに、カトリーヌには『タスケテ』と言われているような気がした。


(助けられるなら、この子を助けてあげたい。それに、前々世と前世と違ってこの卵と出会ったことがわたしの運命を変えるのかもしれない……)

 せめて自分がどんな魔力を持っているのかわかっていたらよかったのにと思いながら、カトリーヌは卵を撫でる。


(地水風火の四大精霊のほかの属性といえば……たとえば光?)

 聖女として現れたディアナでさえ、神の啓示を受けただけで光の魔法が使えると言うことはなかったが、イメージとしてディアナを思いだしたのは仕方はなかった。

 しかし特に変化はない。

(光でなければ闇……眠りや麻痺などの補助魔法とか、あるいは時空――……)

 そこまで考えた瞬間、卵にぴきっと罅が入る。目を見張って驚いている暇もない。


「卵が……!」

 座りながらもふらりと倒れそうになるカトリーヌの体を、ユージンが支えてくれた。

 ひびが入ったところから、小さな棘のようなものが飛び出し、その棘がさらに周囲の殻を割る。

 次にぴょこりと片方の翼が外に飛び出した。

 まるで卵に翼が生えたみたいだ。

 もう片方の翼も現れると、わずかに卵が震えた。

 その震えは、一生懸命卵から帰ろうとする生命の生きたいという気持ちそのものだった。


「がんばって! あと少し!」

 カトリーヌは思わず声をかけた。なぜだか神聖なものを見ているような気がして、卵の殻をとってやってはいけないような気がしていた。


「ぴゅい!」

 何度か卵の震えたあとであがくようにして、頭上の殻が持ちあがる。

 わずかに除いて見えた顔は、カトリーヌが知るどの動物ともにいていなかった。


(あえて言うなら……馬? ううん、遠い国にいるというワニかもしれない……)

 カトリーヌが興味深そうに眺めているのに気づいたのかどうか。その生物は、

「きゅう……きゅう!」

 と挨拶するように泣いた。伸びてきた手にはかぎ爪がある。


「これは……ドラゴン?」

 よたよたと殻を横倒しにして出てきたのは手乗りサイズの小さな竜だった。

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