第6話

 暗くなった部屋の中央、設えられた寝台のその輪郭を、蠟燭の微かな灯りがあいまいにしている。腰を落としたルツィエの表情はうかがえない。


「この子たちくらいにしか伝わっていないだろうって、そう考えていた」


 狼たちのことだ。

 彼らはいま幽体となって一頭はこの室内、片割れは外から彼女を護っている。

 であれば、この時間がきっと内緒話にちょうどいい。

 蝋燭がもう短い。 揺れる火を見つめながら、ルツィエの隣に腰を下ろした。 


「私ね、あなたみたいな人の話をたくさん聞いてきたんです。

 死者の永遠の苦しみを憐れんだ人、悪という言葉が生まれる前にそれを憎んだ人、時の流れが平等でないことを嘆いた人、空を見上げる喜びを知らせたかった人、吹き荒れる嵐に言葉を教えた人、そんな人たちにまた会いたいと願った人」


 文字や歌、ときには劇として語り継がれる献身と恩寵の物語。

 彼女を見ていると思い出さずにはいられない。


「たくさんの物語と、ひとつの結末。

 その美しい請願はやがて彼の手に抱かれ、聖女たちは世界に打ち込まれる永遠の楔になった。 私ね、これってとても怖いことだなって思う」 


 苦しみはもちろん、喜びでさえ、それが永遠に続くことは恐ろしいのだ。

 そのことを最初に見つけた人はあとに続く誰かが現れないようにと願って、そしてそれは本当の意味で叶えられることはなかった。


 だれかが……いいえ。 だれもが続きを求めてしまったから。

 永遠にたった一人の犠牲者を求め続ける物語。世界はこの物語にずっと焼き焦がされている。

 

「ルツィエは私なんかよりずっと真面目ですけど、だからこそ、無理しちゃううちは真似してほしくないな。 それはきっと、誰にとっても辛いことだから」


「……あこがれていたのに」


「うん、わかるよ。 私なんか、人生の八割くらいは本気で聖女になるんだ!って思いながら生きてきたんだし」


 本当に手に届くころにはばかばかしいと思うようになっていたけれど、そこはそれ。苦さが胸に広がるのを感じながら、顔を上げたルツィエが声を紡ごうとするのを待つ。


「墓守剣十字……翼種祓いに浄火の鎖。 それから地蟲追い。

 他でもないあなたが、どうしてそんなひどいことを言うんですか」


「……はい?」


「全部あなたのことでしょう? あなたの巡礼を語る詩の名です。 立派な人だと思った。 こうありたいと思った。 元気をもらった。 だからわたしは……」


 私から視線を離さず一息でそう語るルツィエの剣幕。頼りなくなった蝋燭の火よりもずっと鮮やかだ。それに……それに、彼女の口走った厳つい渾名には残念なことに全部心当たり以上のものがある。

 

「い、いやあのですね? それたしかに私一人で全部やったんなら英雄っぽいかもですけど。

 ああいうのはその場その時に居合わせた人たちによる作為無作為の創発ってやつで、じゃあわかりやすく誰のせい? ってのを作るときにちょうど外から来てた都合のいい人間がたまたま私だった……というだけで」

 

「嘘だって、そう言いたいんですか?」


「ゆ、夢をこわすよーで申し訳ない……です」


「そんなの初めて見たときに一回壊れてます。

 湖でやっぱり半分くらいは詩の通りの人なのかと思いなおして、それなのに」


「あ、あの……さっきから地が出っぱなしですよ辺境伯」


「都合の良いように役割を着せないで」


 あなたがそれを言うのか! と思ったけど、こうなっちゃったからにはもはや理屈とかではないのだ。 これも相互理解のための大事な一歩とはいえ、いったん軌道修正をかけるべき。その方法は……ええと、そう! 最初の目的に立ち返ろう。


「え……っとね、ルツィエ。 やっぱり二人でいるときくらいはさ、この名前で呼びたいんだけど、どうかな?」


「……………」


「それから、リタって呼んでよ。 ヘンな渾名つけるの禁止ね。

 それで一緒に、自分を傷つけなくても済む方法を考えよう?」


「無理ですよ。 ぜったい。

 ……わたしという駒を詰ませないと勝てないって、これはそういう遊戯なんだって思わないと。 だって、そうでないのなら、なぜ兄はあんな死に方をしたんですか?」


「じゃあ、私が約束するよ。 ……あ、これ売り言葉にって感じの軽いやつじゃないから。 今はそう聞こえても、ぜったい違うって証明する。

 私って駒で、盤面ひっくり返してでもあなたを助ける。 ルツィエが犠牲になることなんか、誰にも望ませない」


「まだ事情も話してない」


「そんなの今さらでしょ。 後でいいよ。

 今はルツィエ、あなたと友達になりたい」


 個人的な感覚だけれど、誰かと手をつないだ記憶には大切でないものが一つもなくて、だから私は彼女にも同じように思ってほしかった。

 シーツを掴んだ指を一本ずつ剥がすように取り上げて胸元へ。抵抗は、なかった。


「だからお願い。 あなたの見てきたものを語って聞かせて。 あなたの言葉で。

 こうしなくちゃ、ではなくて、こうだったらいいのに、を教えて。

 一個ずつ、一緒に叶えようよ」


「り、リタは……変な人です。 詩とはまったく違います」


「あはは、詩のなかのリタニアって、どんな人だっけ?

 お小遣い稼ぎのたねにしようかと思って調べたんだけど、どしても途中で恥ずかしくなっちゃって」


「少なくとも、そういうことはしません。

 百年の恋も冷めるってこういうことを言うんでしょうか」


「あー、がっかりさせちゃってる?」


「はい。 とても」


「じゃあ、会うんじゃなかった?」


「いいえ。 そんなこと、思うはずありません」


 握り返してもらうことが嬉しくて、握り返すと笑ってくれて。

 そうか、だから思い出になっているんだ。


「ねぇ、リタ。 そろそろ火が消えます。

 暗くなってしまっても……話し続けてかまいませんか?」


「うん。 墓守剣十字に誓って、夜更かしは得意なほうだよ」




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狼領主と剣聖女 えとらてとら @Etora_Tetora7th

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