第9話 神殿都市で悶着

 東の大国ウルネシア本国、及び、その勢力圏を離れるまでの一ヶ月に及ぶ旅程。

 妖魔を退治したり、盗賊に遭遇するなど、色々な出来事を経てフィールとシンの二人は、ようやく最初の目的地である城塞都市アゾナの門扉を前にすることとなった。

 何かしらこみ上げてくるものをこらえるシンに対し、フィールは瞳を輝かせ、期待に満ちた表情を隠さない。


「早く、早く入ろう」


 無邪気にせかしてくる金髪の主君に、シンはじとっとした目を向けずにはいられない。

 この絶世の美少女と化した王子が、これまでの苦労の頑強ではある。

 どういう魔法原理かは理解できないが、魔力を封じる宝玉とマント以外は身につけられない、要するに、それ以外は素裸となるという厄介な状況と、それ以上に、この性格のおかげでいらぬ騒動を巻き起こしたことは数知れず。

 だが、このアゾナにおいては、その半分は解決できそうだった。

 シンは大きく溜息をつくと、天界の女戦士をかたどった、警護用と思しき二体の巨大な魔導人形ゴーレムが陣取るアゾナの入場門へと足を進めた。



             ◇



 音楽と舞の修行の地として知られる城塞都市アゾナは、芸術の神とも楽神とも称されるアゾナを主神とする神殿都市でもある。

 楽神アゾナはまた、処女神であることから、男子がこの都市へ足を踏み入れることは禁じられており、もし、これを破ろうとする者があれば、例外なく斬首の刑に処せられる。

 それでも、この都市へ入ろうとする男子が後をたたないのは、この都市の女性が全て一糸も纏わぬなりであるからであろう。

 これは、全裸であれば、男子が入ってきても一目でそれとわかるということと、また、アゾナの神事は全て、裸体にて行われるためである。

 何よりも、舞を美しく踊るには、健康で均整のとれた躰が必要であり、体の線を崩すような不摂生を防ぐために、常に肌を露にしておくのだと言われている。

 それゆえ、女性であっても、肥え太った者や、余りに痩せすぎた者、体の線を維持するには、年をとりすぎた者は、都市の特定の場所に止め置かれることになる。

 だが、この日に都市を訪れた二人の旅人達は、審査の女官から即座に都市の中を自由に歩き廻ることを許された。


 あと数刻で日が暮れるという、この時間帯は、各々の修行場から、それぞれの宿舎に戻ろうとする全裸の美女達で、アゾナの表通りはいっぱいになる。

 そうしたアゾナの美女達の中にあっても、その二人は特に人目を引いていた。

 一人は、赤い髪を後ろに束ねた精悍な印象を与える美女。

 もう一人は豊かな金髪をした、どことなく神秘的な雰囲気の美少女で、その信じられぬ程に綺麗な顔に、すれ違う美女達も、つい、つられて微笑んでしまうような、この上なく幸福そうな微笑を、絶えず浮かべていた。

 言うまでもなく、シンとフィールの二人である。

 不意にシンが、前を向いたまま、フィールに刺を含んだ声でささやいた。


「王子、いい加減にそうやって、いやらしくニヤニヤ笑うのをやめてくれませんか」


 さすがに永きに渡る側仕えで、主君の事はお見通しである。


「そういうおまえだって、三歩に一度の割合で、鼻の下がのびてるぞ、シン」


 美しい金髪の少女は、形のよい唇から、真珠のような歯を覗かせて意味ありげに自分の連れを見やった。


「う……」


 シンは、口ごもる。


「まあ、ゾーガの戦闘神官にして、雷戦士の称号を受けたシンも、名にしおうアゾナの舞姫達が、一人残らずあられもない格好でいるのを見れば無理はないか」


 そういって、くすくすと少女が笑うのを、赤い髪の美女は、むすっとした表情でみやった。

 だが、つい、その口元が緩みそうになる。

 それほど、この、素肌に宝玉の首飾りを身につけただけの美少女は魅力的であった。

 たとえ、その正体が、ウルネシア王国の第一王子フィール・ド・ウルネシアだということを熟知していてもだ。

 正直なところ、このまま魔法が解けずにいて、いつまでもこの美しい少女と二人でいられたら、などと思う時も(ごく希だが)ある。

 そして、そう思った後には深い自己嫌悪にとらわれるのであった。

 だから、与えられた宿舎の部屋に帰りついた後、王子が、


「このまま魔法が解けなくてもいいかな」


 と言ったときには、思わず、どきん、とした。


「な、何をおっしゃいます」

「だって、このままでアゾナにいれば、目の保養には事欠かないし……第一、いっこうに〈賢者の鏡〉の手がかりがつかめないじゃないか」

「手がかりが得られないのも当然です」


 と、内心の狼狽を隠すために、シンはテーブルを叩きながらいった。


「全く、ここの女どもときたら……」


 それを聞いて、フィールは、苦笑した。

 世界中から様々な女たちが集まるアゾナ。

 常に氷に閉ざされているという極北の国々から来た者や、南方の黒い肌を持つ美女にいたるまで、集まる人種の多彩さは、ナウザー全土でも他に類を見ない。

 また、彼女達の出自も千差万別である。

 この地における修行は、神々に捧げる舞や音楽であり、その起源を辿ると、楽神にして守護を司るアゾナ神殿に仕える巫女や女官達が集う、専用の修行場であったとされている。

 だが、いつからか、そうした聖職とは全く関わりを持たない女達がこの地を訪れだし、それと同時期に、このアゾナで修行を終えた女性が〈アゾナの舞姫〉という称号で呼ばれるようになった。

 たとえ、どんなに卑しい出自の女性であっても、ここでの修行を全うしたならば、〈アゾナの舞姫〉と呼ばれ、巫女に準ずる者としての敬意を払われる。

 また、それ以上に、〈アゾナの舞姫〉という称号は、美女であることの、何よりの証明である。

 なぜなら、神殿都市アゾナが迎え入れ、また正式に送り出す者に対する条件は、唯一つ「神々に捧げるために、美しい舞を身につけること」であり、これは技術だけではなく、その容姿自体、ある程度条件に含まれる。

 それゆえ、「アゾナの舞姫」という称号は若く美しい女性にとっての、最高の名誉であり、この称号を得るために、上は貴族や富豪の娘から、下は踊り子や娼婦にいたるまでの多種多様な階級の女性が集まっていた。


「そして、一人残らず、あられもない格好で日々精進しているわけだ」


 と、フィールは、軽く肩をすくめながらいった。


「しかし、これは、ちょっと予想しなかったな」


 一ヶ月前、ウルネシア王都の第一離宮における、会話通信の魔道具越しに行われたマズィルの老魔道士アクラムとの会話を思い出す。

 アクラムは、若い頃に古文書や古代の碑を調査する為、大陸の各地を巡ったという経験の持ち主で、その知見、知識は名高いものがあった。

 一時は魔導士達から大賢者の称号を贈ろうという話もあったのだが、本人は「人より多くを見聞きしただけ」と固辞したという。

 それゆえ「北国マズィルの、見聞きした者」という意味で〈北の見者〉とも呼ばれている。

 そのアクラムが伝説の神具〈賢者の鏡〉の手掛かりが存在する可能性として示したのは二つの場所だった。

 一つは智神アクアスの神殿を擁するスラティナである。

 アクアス神殿そのものと言って良い巨大図書館には、古代から今に至るまで、あらゆる文献、記録が運び込まれており、情報収集に特化したいくつかの組織も抱えていると言われている。

 若き日のアクラムが見たと言う古文書の写本も存在するかも知れず、本命としては、こちらを推していた。

 だが、スラティナは大陸西方に所在し、いささか遠方に過ぎた。

 そこで、差し当たりの第一目標として、アゾナを目指したという経緯である。

 スラティナが本の集まる場所ならば、アゾナは人の集まる場所だ。

 世界各地から集まった女性達の残した文献が収められた図書館は、ひょっとしら、アクアス神殿のそれに匹敵するかもしれない。

 それに情報を得るなら、本よりも人、と言うこともある。


「大陸全土の国々から、多種多様な階級の女性達が集っているのです。〈賢者の鏡〉についての情報は必ず手に入ります」


 と断言したアクラムの自信に満ちた声を思い出したらしく、フィールは皮肉っぽい笑みを形の良い唇に浮かべた。


 名高い〈北の見者〉も、その予想を大きく外した。

 なにしろ、舞や音楽の修行時間はいうにおよばず、起床、食事、入浴にいたるまで、アゾナの舞姫達がお互いに話す内容と言えば……。


「さすがのアクラム翁も、アゾナの舞姫達の話題が、食い物と男のことしかないとは予想もしなかっただろうな」


 もっとも、こればっかりは、アクラムを責めるわけにはいかなかった。

 いかに〈北の見者〉が諸国を巡り、驚くべきほどに多大な見聞を得たと言えども、男子禁制の城塞都市アゾナの内情については、間接的にしか知り得なかったであろうから。

 まあ、考えてみれば当然と言えた。

 雑多な人種、様々な階級の女達である。

 各々に異なる環境や価値観を越えて話し合える共通の話題と言えば、自ずと限られてくる。

 今日も今日とて、食事の時間に男の話題、つまり、どこそこの国の誰それが良い男だったと言う話で盛り上がり、その中で、ウルネシア王国の第一王子フィールと〈紅蓮の雷戦士〉シンのことも出てきたため、思わず、その場を逃げ出してしまったのである。


「まあ、焦るな、シン」


 フィールは、シンの傍らによりそい、肩にそっと手を置いた。


「故郷に残してきた人々が、我らのことをさぞや心配しているだろうと思うと、ぼくも、いてもたってもいられない」

「王子……」

「ああ、父上、義母上、弟よ、我が民達よ」

「王子……?」

「アクアスの黄金の唇に誓って。ぼくは必ず無事に戻ってみせる」

「王子ぃぃぃっっっ!」

「なんだ、うるさいな」

「さっきからどこを触っているんですかあああああっっっ!!」


 肩から、その豊かな乳房へと移動している主君の白い手を、凄まじい目付きでにらみながら赤い髪の美女は声を震わせた。


「まあ、へるもんでもないし、いいじゃないか」


 こういうことになると、見境の欠片のないフィールであった。

 というか、最初は短衣すら身につけなくなった赤い髪の美女の、その圧巻的な肉体を直に見る機会を得て喜んでいた様子だったのだが、最近では見るだけでは満足しなくなったようにも感じられる。


「何なら、おまえもぼくのを好きなだけ触ってもいいぞ」


 と、その美しい胸を突き出す美少女に、シンの理性は(いろいろな意味で)一瞬、蒸発しかかった。

 しかし、シンは、驚くべき自制心を発揮して、ゆっくりとフィールのほっそりした白い手をもぎ放すのに成功した。

 フィールは、つまらなそうに口をとがらせる。


「なんだ、触ってくれないのか。まぁ、いいや、後で自分でやろう」

「……」


 もはや、何をいう気力もなく、シンは頭を抱えた。

 ちなみに、図書館については、ある程度の日数を経ないと出入りできないそうだ。  

 これは貴重な文献や資料が納められた場所であり、それらを利用するに相応しいかどうかを見極める為でもあるらしかった。

 何にせよ、調査目的という意味では無為で、フィールの視覚的欲望を満たすだけの日々を過ごすしか無いようだった。

 シンが幾度目かの溜息をついた、そのとき。

 静かにドアをたたく音がした。

 フィールとシンはすばやくお互いの目を見て、無言の確認をした後、シンが応えた。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 ドアを開けて入ってきたのは、腰まで届くほどの長い黒髪の美女であった。


「あなたは……」


 シンは、その美女に見覚えがあった。

 西方のナブファという国から来たという、たしか、カーラという名だったはずだ。

 剣舞の修行場で顔見知りとなり、食堂などで、やたらと話しかけるようになった女性である。


「あらためて挨拶します。ナブファの踊り子カーラと申します。おくつろぎの所をお邪魔致しまして、あいすいません」


 そう名乗って、黒髪の美女は軽く頭を下げた。


「こちらこそ、あらためて挨拶申し上げる。チラムの傭兵シンディーと、これは妹のフィーナ」


 シンはアゾナへの入場時に使った偽名を名乗りつつ、カーラというその踊り子を油断なく見つめた。

 彼女の、この突然の訪問が、何を目的としてのことなのか、計りかねたからである。

 だが、シンの主君は、そういったことに全く無頓着だった。


「いやあ、よくきてくれました。まあ、こちらへ」


 と椅子をすすめる。


「ではお言葉に甘えまして」


 カーラは、王子の示す長椅子にその豊かに張った腰を沈めた。

 すかさず、フィールは、その横に、ぴったりと体を寄せるように腰掛けた。

 一瞬、カーラの美しい顔に怪訝な表情が浮かんだように見えた。

 だが、黄金の髪をした美少女の天真爛漫な笑みにつられるかのように、それは、すぐさま、笑顔に取って変わった。


「物おじしない、かわいい妹さんですねえ」


 と、シンに向かっていう。


「はあ、かわいい……ですか」


 どのような意味につけても、フィールの実態とあまりにかけ離れたその言葉に、シンとしては曖昧にうなずくしかなかった。

 頭を一つ振り、シンは気を取り直すと、カーラに尋ねた。


「で、ご用件は?」

「そうやって、あらたまった態度を取られると、あたしとしても困っちゃうんですけどねぇ」


 カーラは苦笑いに似た表情を浮かべた。


「まあ、回りくどい駆け引きはやめにして、単刀直入に申しましょう」


 そして、瞬時にその表情を変えた。

 もの柔らかな印象は消え失せ、鋭い眼光でシンを見つめてくる。


「あなた方がこのアゾナにやってきた、その本当の理由を教えてもらいたいんですよ」


 シンとフィールはお互い、呆気に取られた表情を浮かべた顔を見合わせた。


「な……何のことでしょうか?」


 ややかすれ気味の、少し間の抜けた声でシンが尋ねる。


「とぼけちゃあ、いけませんねえ」


 妙に底光りのする目で、カーラはシンを見据えた。


「あたしにはわかりますよ。あなた方が、このアゾナにやってきた目的が、他の女どもとは違うってことぐらいね」

「う……」


 剣を持っての戦いでは一度も恐れというものを感じたことのないシンだが、この時ばかりは、何とはなく圧倒され、後ずさりするように身じろぎした。


(ばれたのか?)


 と言う考えがシンの脳裏をよぎる。

 もし、そうだとすれば、シンを待っているのは、不名誉この上ない死である。

 城塞都市アゾナは、また、男子禁制の神殿都市でもある。

 もし、これを破るような者は、たとえ王族と言えども、あるいはいかなる理由があろうとも、斬首に処せられる。

 一応そういうことになっているが、未だかつて、処刑された男子はいない。

 いや、アゾナに入ろうとする男達は後を絶たないのだが、アゾナに張り巡らされた、男に対してのみ働く強力な結界が、ふらちな男の進入を拒んでいるのだ。

 シンとフィールは、変化の魔法により完全に女性となっているため、この結界を越えることができたわけであるが、しかし、真相がばれてしまったら、まず、斬首は免れぬであろうと思えた。

 シンにとって、死に対する恐怖はそれほどでもない。

 しかし、史上初めて「アゾナの斬首」に処せられる不名誉は、〈紅蓮の雷戦士〉にとって、耐え難い屈辱である。

 それだけは、なんとしてもさけねばならなかった。


「カ、カーラ殿は何か思い違いをして……」

「ええい、じれったい」


 なおも何とかこの場を言い逃れようとするシンに、もともと気の長い方ではないらしいカーラは実力行使に出た。

 いきなり、そのしなやかな腕を、傍らのフィールの首に回して、ぐい、と胸元に引き寄せたのである。


「うぐっ」


 金髪の少女は、一瞬、窒息しかけたようだった。

 見かけによらず凄い力だ。


「さあ、さっさと、何もかも残らず白状しちまいな」


 ナブファの踊り子カーラ、と名乗った黒髪の美女は、荒くれ男でも震え上がりそうな獰猛な表情で、シンに迫った。

 だが、それで、かえって、シンは心に余裕を持つ事ができた。

 無論、目の前の美女の持つ迫力に戦慄は禁じえない。

 いや、それどころか、いままでシンが遭遇してきた相手の中でも、最高級の恐ろしさを感じてはいる。

 しかし、〈紅蓮の雷戦士〉にとって、それはもっとも慣れ親しんだ感情でもある。

 未だに、相手の目的と力量は不明だが、少なくとも、シンの主君に手をかけた以上、シンの敵である事がはっきりしたことになる。

 敵であれば、全力を持って、これを討つ。

 味方であれば、全力でこれを守る。

 それだけのことであった。

 己のなすべき事が解れば、あとは考え、行動するだけである。

 シンの内部でとてつもない高圧の闘志がふくれあがり……そして、あっさり萎んだ。

 全力を持って、救い出す対象となるべき金髪の主君の表情が、首を絞められる苦しさよりも、顔に押しつけられることになったカーラの豊かな胸の感触を直に味わう悦びの方を選択している事が、シンには一目で解ったからだ。

 あるいは、そのまま死んだ方が、王子にとっては幸せなのではないだろうか。

 一瞬ではあるが、シンは本気で、そう考えた。

 そのシンの、きわめて短い時間の変化を、カーラは敏感に感じとったようであった。

 怪訝そうな表情が浮かび、フィールを捕らえた腕の力が軽く抜けたように見えた。

 その直後、フィールの白い手が、電光石火の速さで、カーラの、とても口にできないような処へのびた。


「いやぁぁぁああああああっっっ」


 たまらずにカーラは悲鳴をあげ、人質を、いや、人質と思っていたものを突き放した。

 突き放された金髪の主君が、咄嗟に受け身をとってダメージの無いことを視界の隅で確認しながら、シンは、ナブファの踊り子を自称する黒髪の美女からフィールを護る位置に割り込んだ。

 その手には、許可を得て持ち込んだ〈厳之霊いかづちの剣〉が握られていた。

 長剣をつかう剣舞で愛用のものを使いたいと申告し、日常は抜剣しないよう魔法的に封印した状態で近くに置いていたものだ。

 もっとも、フィールにとっては玩具みたいな封印だったので、さっさと解放してしまったのだが、あるいは、失敗だったかもしれない。


「そ、それは、まさか……」


 カーラの黒い瞳が信じられないと言った様子で、ランプの明かりを反射させている刀身に描かれた神紋を見つめた。


「ゾーガの直刀……雷神の剣?」


 シンは内心舌打ちした。

 咄嗟に抜剣してしまったのは、それだけ、シンの警戒本能が、カーラと名乗る女性を脅威と見なしていたということになる。

 とは言え、カーラの正体が何であるにせよ、敵に対して、自分たちの素性の手がかりを与えてしまったのだ。


「これはこれは。ふふふ、そういうことかい」


 案の定、短時間で驚愕から開放されたらしい黒髪の美女は、ふてぶてしい笑みを浮かべて腰に手を当てた。


「どういう手妻を使ったか知らないが、名高い雷戦士……ゾーガの戦闘神官が、この男子禁制のアゾナに入り込んでいたってわけかい」


 思考の柔軟性、もしくは状況の適応力と言うべきものも、アゾナに至る直前に遭遇し、王子の魔法で吹き飛ばされた盗賊の男たちとは段違いであった。


「知られたからには、ただで部屋から出すわけにはいかんな」


 むしろ静かに発せられた、その言葉と同時に、シンの凄まじい殺気がカーラに叩きつけられる。

 それは、並みの者ならショック死しかねないような、物理的な迫力を伴っていた。

 だが、ナブファの踊り子を名乗る黒髪の美女は、平然とそれを受け止めた。

 一糸まとわぬ、文字通りの丸腰でありながら、雷神の剣を手にしたシンを前に一歩も引く様子も無い。


「む……」


 シンは警戒し、攻撃を主体とした体勢から、やや防御的なそれへと移行した。

 黒髪の美女が虚勢を張っているようには感じられない以上、徒手空拳でも、剣以上の攻撃手段を用意していると考えるべきであろう。

 たとえば……


「やれやれ、このアゾナの聖地で〈銀の館の騎士〉に出会うとは思わなかったなぁ」


 その時、のんびりとすら形容できる口調で鈴をふるような声が、シンの後ろから発せられた。

 ようやく、起きあがったフィールだった。


「〈銀の館の騎士〉ですと?」


 その聞き慣れない単語を確認するように言うシンの声に怪訝そうなものがにじむ。

 常日頃にフィールが口にする意味不明な単語とは、少し異なるように思えたのだ。


「カーラと言う名前は本名かどうかはわからないけど、ナブファの踊り子というのは嘘だね。西方の大国、ククル帝国第七特殊騎士団所属の、ええと、その紋様からすると副団長相当の地位かな」

「な……?」


 シンは思わず、後方の金髪の主君を振り向いてしまった。

 戦闘態勢にある雷戦士にあるまじき、失態ともいえる行為だった。

 だが、黒髪の美女の受けた衝撃もそれ以上のものだったらしかった。

 シンの見せた致命的ともいえる隙につけ込む余裕もなく、さすがに、はっきりとわかる驚愕の表情を浮かべて、フィールを見つめた。


「な、何故、それを……」

「ククル帝国お抱えの第七特殊騎士団。女性ばかりで編成され、異界からの召喚魔法を専門とする……だったかな」


 智神アクアスの化身と謳われたこともあるフィールは、しなやかな指で形の良い顎を撫でながら、のんびりと続けた。


「じつは、以前に召喚魔法で顕現した妖魔デモンに出くわしたことがあってね。その村の廃屋でいくつかの巻物があったのさ。いやぁ、馴染みの無い文字だったから、解読するのに苦労したよ」


 シンは、その時のことを思い出した。

 たしか情報提供を申し出た妖魔デモンとの取引を即座に断っていたが、それは、既に必要な情報は得ていた為だったようだ。


「いつの間に……」


 そのような巻物を読んでいる様子は無かったし、そもそも、荷物にも無かった筈なので、シンは思わず呟いた。


「透視魔法の応用と言えばいいのかな? 位置さえ把握できれば、文献の類いなんかは離れた場所からでも読み返せるんだ。じつは解読が完了したのも、アゾナに着く前あたりかな」


 王子の持つ魔法のうち、変化の魔法こそは使いようによっては危険だと考えていたシンだったが、それ以外の魔法も、じつはとんでもない危険性を秘めていたということになる。


「それで、あの妖魔デモンが言ってたソグニっていう連中のことは、たいした記載が無かったけど、それ以外の、召喚魔法の使い手に関する情報は詳しく書かれていたよ」


 そして、金髪の少女の美しい眼が、未だに驚愕が覚めやらぬ風情のカーラに向けられる。


「そのお臍の下にあるタトゥーは、ククル独自の召喚魔法に使うものだろ? ククルの召喚魔法は、ここ、アゾナの神事と同様、身に寸鉄をも帯びずに行われるとか記載されてたから、一度、その魔法儀式を見たいと思っていたんだよね」


 そこまで聞いて 、シンは妙に納得した気分になった。

 そういう事なら、フィールが何故、カーラの素性を知ったのか、わかるような気がした。

 そして、先ほどの、見ている方も赤面するような行為で確信を得た、と、言うことだろうか。

 よくわからないところはあるが……いや、じつのところ、完全に理解不可能なのではあるが、とりあえず、赤い髪の美女はそう自身を納得させた。

 ともあれ、油断無くカーラを見据えるシンは、その後に続くフィールの説明に耳を澄ませた。


 曰く、〈銀の館の騎士〉とは、大陸西部に多い、召喚魔法を使う特殊な魔法使いの総称である。

 召喚魔法によって呼び出されたモンスターを使役するのだが、そのモンスターが倒された時は、召喚者自身もダメージを負い、最悪は死に至ると言う点で、通常の魔法よりも、自分の躯を張っているといえるだろう。

 そういう事情もあって、騎士の異称がある。

 また、召喚魔法にはミスリル銀が多量に必要な事から、術者養成機関は「銀の館」と呼ばれている。

 一方、ナウザー大陸東方ではこのミスリル銀の産出が希少である為、召喚魔法の使い手が皆無の状況なのだ……


「なるほど。召喚魔法とは、そのようなものですか」


 初めて聞く話に、シンは興味深そうにうなずいた。

 一方、驚愕の表情を浮かべていたカーラだったが、いつの間にか、ふてぶてしい笑みを浮かべ、腕を組んでフィールの話を聞いていた。

 そして、フィールの話が区切りをつけたところで、小馬鹿にするような仕草で拍手したのだった。


「その通りだよ、お嬢ちゃん。その年で、良く知ってるじゃないか」


 そんな彼女を見据えたまま、シンは自分の思惟を巡らした。

 大陸西方の事情は、ゾーガ神殿にも詳しい資料が少ない。


 (風神ラゥーガ。ゾーガの他に剣を象徴する、もう一柱の軍神。秩序の維持よりも主神の敵を滅ぼす事を重んじる、荒々しく恐ろしい、まさに戦神との話だったな)


 西方は、そのラゥーガの管轄であるとされ、ゾーガ神殿は大陸の西には、なるべく関わらないと言う不文律がある。

 それでも、ククル帝国の名はシンでも知っている。

 緋竜騎士団や、鋼竜兵団等、重装備の強力な軍隊を持つ、ナウザー大陸西方における強大な軍事国家である筈だった。

 そのククル帝国の召喚魔法士、それも、ひとつの部隊の副団長という地位にある女が、アゾナにいる。

 そして、城塞都市アゾナを押さえれば、ナウザー大陸中央のソルタニア聖王国――創造神ナウザー神殿を擁する、まさに、この大陸の中心まではベルセナ街道があるのみである。

 これが、何を意味するかは、明白だった。

 いや、ククルの召喚魔法士であっても、若く美しい女であってみれば、「アゾナの舞姫」の栄誉を望む事はあり得るだろう。

 だが、シンとフィールの、他の女達との微妙な相違を嗅ぎ分け、そして、正面切って探りを入れにくる、その行動様式から感じ取れるのは、明らかに敵地に潜入した密偵と同質のものだった。

 間違いなく、カーラはククルが企む覇道の尖兵であろう。


「ククル皇帝は再び戦乱と混沌の世をお望みあるか」


 食いしばった歯から絞り出すように赤い髪の精悍な美女は呟いた。

 それが耳に入ったのか、カーラの美しい顔が舌打ちするかのように、僅かに歪んだように見えた。

 だが、次の瞬間、それは、余裕に満ちた笑みにとってかわる。


「はん、妄想を抱くのは勝手だがね。それよりも、自分の心配をした方がいいんじゃないかい?」

「何?」

「そちらのお嬢ちゃんはともかく、お前さんは言い逃れしようがないからねえ」


 わざとらしい様子で、シンの手中にある〈厳之霊いかづちの剣〉――雷神の剣とも、ゾーガの直刀とも呼称されるを見やりながらカーラは嘯いた。


「史上初めてのアゾナの斬首に立ち会えるなんざ、値千金の語りぐさになるってもんさね」

「く……」


 そんなカーラの言葉に、シンは歯がみするしかない。


「それとも、処分しちまうかい? そのゾーガの戦闘神官である証をさ。どうやって処分できるかは知らないけどね」


 勝ち誇ったように言うカーラに、シンは無念そうに唸るしかすべがなかった。


「でも、それって、鞘に納めれば他の誰にも確かめることはできないんじゃない?」


 相変わらず、のんびりとフィールが言う。


「あ……?」

「え……?」


 赤い髪の美女と黒髪の美女は期せずして同時に、妙に間の抜けた声をあげた。

 豪奢な金髪の美しい少女は淡々と続けた。


「だいたい、アゾナの斬首の対象となるのは、欺いて聖地を汚した男という事になっているけど、あれだけの徹底した性別審査を欺くなんてのはあり得ないでしょ」


 そこまで聞いた赤い髪の美女は、その時の事を思い出したのか、野性的で美しい顔を、その髪の色に劣らぬほどに真っ赤に染めた。

 それほど、アゾナ入場に際しての審査は、非人道的なまで、と、言えるほど徹底して行われた。

 その審査であるが、内容的には、一糸まとわぬ姿で、複数の女官から、よってたかって(いろんな所を)覗かれたり触られたり探られたりすると言う一点に尽きる。

 この時、少しでも疑わしいと思われたら、審査の対象者はみずからも女性であることを露わにしなければならないとされている。

 真偽のところは不明だが、また、どういう基準でそういう事になるのかも不明だが、とてもではないが口にできないような色々な行為を(自主的に)見せるところまで及ぶ時もあるという。

 ちなみに、アゾナで、審査の事が話題が出ることは滅多にない。

 これを聞いている一方のカーラすらも、うっすらと赤くなったほどであるから、その凄まじさと羞恥の記憶が、これを受けた女性に深く染みついていることがわかろうと言うものである。

 もっとも、それを口にしているフィールの方は、平気、どころか、何となく嬉しそうではあるが、これは言うまでもなく例外である。


「まぁ、あれだけ徹底的な、しかも、正式な審査を得て入場を許されたわけだし、入場が許されれば、それまでの過去や身分は問われない事がアゾナの不文律。たとえ、〈厳之霊いかづちの剣〉を持っていようが、それは変わらないはずさ」


 確かに、あれほどの審査をくぐり抜ける事は不可能であったし、また、審査する方も、あれ以上の事を行うのは不可能であると言えた。

 何より、いかに非人道的に見えても、あれは、アゾナ神殿の女官が行った正規の手続きであり、アゾナ神殿の信用問題にも関わることでもある。

 逆に言えば、入場を許された以上、アゾナの斬首に処される事はあり得ないと言うことになる。


「まぁ、そういうわけだから、カーラさんがどんなに頑張っても、アゾナ神殿がシン……シンディーをどうこうする事はできない事になるわけ」

「なるほど」


 シンも思わずうなずいていた。


「それに、まぁ、カーラさんは職業柄、こーゆー現実もあっさりと受け入れられるだろうけど、普通は、例え〈厳之霊いかづちの剣〉を目の前にしても、信じられないと思うな」


 と、金髪の美少女は真珠色の歯を見せて、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 遙かに歴史を紐といてみても、いかなる強力な魔道士、あるいは神聖にして有徳の神官と言えど、男である限りは破ることが叶わなかったアゾナの結界である。

 まぁ、神官の方は破ろうとした時点で有徳云々が疑わしいわけだが。

 それはさておき、結界を通れるということは、即ち、アゾナ神自らが承認した証でもあるのだ。

 フィールの魔法の力は、つまりは、それほどまでに二人の身体を変化させていたのであるが、まず、これを信じる者は皆無であろう。


「確かに」


 シンは自分の剣を見やって、落ち着いた声で応えた。


「私自身も時々、今の状況が信じられなくなる時がありますからな」


 こうなると、カーラの方が追いつめられた格好になった。

 正体もそうだが、何よりも、極秘にせねばならない任務を第三者に知られてしまったのである。

 はっきりとした証拠こそ握られたわけではないものの、任務の性格を考えれば、疑惑を持たれただけでも致命的と言える。


「ふっ、墓穴を掘ったのはこちらの方だったようだね」


 ナブファの踊り子を詐称していた黒髪の美女は、半ば認めるような言葉をぼやくように言った。


「まぁ、アゾナ神殿なんざ、はなっから当てにするようなカーラさんじゃないんだけどね」

「むっ」


 シンは鋭く目を細めた。

 次の瞬間、ククルの召喚魔法士はしなやかな両腕を振り上げて叫んだ。


「出よ、狂える剣の人形」


 彼女の下腹部に刻まれた紋様が魔法的な輝きを放ち、異界からの存在を、この世に産み落とす。

 そして、まるでカーラの背後に潜んでいたかのように、漆黒の鎧に身を包んだ人影が出現した。

 兜の面充てを深く下ろしているため、その素顔は見えない。

 いや、そもそも、その中に人間の顔があるのだろうか。


(早い!)


 呪文を唱えての召喚を予想していたが、殆ど一言一動作で行うとは想像を遙かに超える術式の展開である。


(これが、銀の館の騎士が行う召喚魔法か)


 出現した、その勢いのままに打ち込まれる斬撃を雷神の剣で受け止めながら、シンは内心舌を巻いた。


 アゾナの神殿都市における、ゾーガの戦闘神官とククルの召喚魔法士の戦いは、こうして火蓋が切られたのだった。

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