カーラの沈黙と混乱
パンの耳が、ちょっとだけ湿気ていた。たぶん朝のうちに作って、包んだまま時間が経ったせい。だけど、そういう感じが嫌いじゃなかった。ぎゅっと手で握ったときの、つぶれた感触。噛んだ瞬間に口の中でひらく、柔らかくて、ちょっとだけ物足りない味。
昼ごはんにはちょうどいい。たぶん、今の空気にもちょうどよかった。
風が木の間を抜けていく音。ボブおじさんが遠くで何かの工具を探してる金属音。シャナがカップに残ったレモネードをかすかにすすってる音。全部が、少しずつ耳に入ってくる。でも、わたしの中には、もっと別の音が鳴っていた。
「晩ご飯、何が食べたい?」
アビーの声。
その瞬間、口の中のパンがやけに大きくなって、のみ込むのにやたらと時間がかかった。
……今、昼なんだけど。
そう言いかけて、やめた。
言ってしまえば、それで済んでしまう。軽く笑って、また別の話に流せる。わたしはそういうの得意なはずだった。冗談で受け流す、調子を合わせて雰囲気を崩さない。なのに、言葉がうまく出てこなかった。
たぶん、姉は謝っているんだ。
言い方が回りくどいけど、たぶんそう。
「さっきは言いすぎた」とか、「ごめん」とか、そういうストレートなやつじゃない。あの人は、たぶんそれを言葉にする勇気がない。でも、何かをつなぎ直したくて、そう言ったんだと思う。
分かるよ、とは言いたくなかった。
だって、ほんとうに分かってるかどうか、自分でも分からなかったから。
あのとき、わたしは怒られた。怒られるようなことをしたのかどうかは、いまだに判定不能だった。たしかにちょっとスピード出したし、少し蛇行した。でも、コントロールはしていた。危険とは思ってなかった。
でも、シャナが怖がってた。アビーは怒った。
その反応の正しさに、わたしは追いつけなかった。
「これはダメ」って言われても、「どうして?」が先に来てしまう。「なんでダメなのか」「どこからが危ないのか」っていう、その輪郭が、はっきりしないと飲み込めない。
それに、シャナのためっていうなら、わたしだって誘っただけで、無理強いしたわけじゃない。トラクターに乗れって言っただけで、危険運転をしろなんて言ってない。むしろ、自分のやり方でやればいいと思ってた。だって練習なんだから。
……でも、たぶん、そこじゃなかったんだと思う。
「やり方」よりも、「気持ち」のほうが大事なときがある。きっと、そういうことだった。
うまくできないな、って思った。
小さな頃から、わたしは姉の真似ができなかった。シャナみたいに空気を読むのも、苦手だった。でも、それなりにやってこれた。失敗したり、怒られたりしても、なんとなく笑って過ごせた。でも――今日のことは、どうにも引っかかっていた。
正解が、見つからなかった。
だから、アビーの問いかけにも、応えられなかった。
「晩ご飯、何が食べたい?」
ほんとうは、「べつに」とか、「なんでもいいよ」とか言えば、たぶん空気は丸く収まる。シャナがうまく合わせてくれる。ボブおじさんも、それとなく流してくれる。そういう展開、今までに何度もあった。なのに、今日はそれができなかった。
言葉を失くしたまま、わたしはパンの残りを口に入れた。
さっきよりもしょっぱく感じた。
遠くでボブおじさんが立ち上がって、手を払いながらわたしたちを見ている。顔には何も書いてないけど、たぶん見えてるんだと思う。この空気。この、いびつな沈黙。だけど、おじさんは何も言わない。ただ「昼の続きは、また今度な」みたいに工具を片づけるだけ。
シャナがそっとわたしの皿に目をやった。サンドイッチの端っこ。まだ一切れ、手をつけてないのがある。食べる?とも言わず、ただ見るだけ。わたしは、その視線から目をそらした。
うまくできないことが、今日はいつもより重くのしかかっていた。
できれば黙っていたかった。何か言えば、また違う波紋が広がってしまいそうで。だから、わたしはただ、何も言わずに食べて、飲んで、じっとしていた。
だけど、このままではだめだとも思っていた。
わたしはたぶん、謝られる側じゃない。怒られたってことは、わたしが加害者ってこと。でも、何が悪かったのか、言葉にしてもらえないと分からない。でも、そんなこと言ったらまたアビーを困らせる。シャナも空気を読んで、わたしをかばおうとするかもしれない。
ややこしい。面倒くさい。
だから、黙っていた。
でも――
この沈黙が、何かをつないでくれることもある、って思いたかった。
言葉を選びすぎて動けなくなった姉と、言葉を使いすぎて誤解される自分と。間に入って静かに空気を整えてくれるシャナと。
なんとなく、これが「家族」ってやつなのかもしれないな、って思った。
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