シャナと暗い穴

 階段の上に立ったまま、わたしは身じろぎもせず、薄暗い下を見おろしていた。ひんやりした空気が、足もとから這いのぼってくる。鉄と古い紙と、どこか薬品みたいなにおい。それに湿気のにおいが混じって、鼻の奥にじんとしみた。


 下では、カーラがこちらを見上げていた。ラジオの音が小さく流れていて、金属のような声が壁に反響していた。


「おはよー、降りておいでよ」


 手を振るその顔は、明るかった。たぶん、ほんとうに呼んでるんだろう。でも、そのまわりの空気は、ちがった。わたしの足は、一歩も前に出なかった。


 その場所は、静かすぎた。


 息の音も、自分の心臓の音も、ぜんぶ響くみたいに思えた。明るい外から来ると、余計に暗くて、なにも見えないところがある。床や壁のコンクリートは冷たそうだった。


「もうすぐ朝ごはん?スープとパン。……たぶん、薬膳系」


 ちょっと笑った声。でも、わたしは笑えなかった。さっきまで台所にいたときとは、空気がちがいすぎた。


「おいでよ、すごいの見せてあげる」


 少し悪ふざけのような響きがあって、わたしは首をすくめた。こたえは口に出さず、目だけで「だめ」と伝えた。足元がきしんだ。すこしだけ、揺れたような気がして、わたしは手すりをつかんだ。


 たぶん、降りようとすれば、降りられた。でも、扉が急にしまったら、あの重い扉に挟まれちゃったら、そう考えたら、どうしても足が出なかった。


「……ううん、いい。戻るね」


 自分の声が、自分の声じゃないみたいだった。カーラはなにも言わず、ただ工具を片づけはじめた。


 扉を開けて地上に出ると、まぶしい光が目に飛びこんできた。春の匂い。草と、あたたかい土と、すこし焼けたベーコンの匂いも混じっていた。


 その匂いを胸いっぱい吸いこんで、わたしは家の中へ戻った。


 キッチンと食堂は、あいかわらずの朝だった。窓からの風がレースのカーテンをふわりと動かしている。机の上にはトーストと、カリカリになったベーコン。アビーの作ったスープは湯気をたてていて、ハーブの香りがやわらかく漂っている。


 椅子を引いて腰かけた。なんでもないように、呼吸を整えて、手を組んで待つ。やっぱりシェルターは怖い。コンクリートと鉄で重くてかたい感じ。もっとふわふわしてればいいのに。


 わたしはこの朝が好きだった。スープの匂いも、ベーコンの音も、窓からの光も、好きだった。だから、守らなくちゃいけないと思った。


 台所の向こうで、足音がした。アビーだった。エプロンの裾を整えながら、少し笑っていた。


「おまたせ。……あれ? カーラ、まだだっけ?」


「……うん。でも、もう来ると思う」


 答えながら、わたしは耳を澄ませた。やがて、床の下から小さく軋む音がして、カーラの姿が現れた。


 三人そろって、椅子についた。


 朝ごはんの時間だった。

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