第53話

『俺の事はどうでもいいよ……それより……どうしたの?何かあった?』




そう、突然切り出すと、彼は、鏡の前から私の目の前へ移動して、音もなくその場に膝をついた。




心配そうな眼差しで見つめられ、私は思わず視線を逸らしてしまう。




そうだった。




景山さんの事とか、自分を責める気持ちとか……




悔しいとか、情けないとか……さっきまで色々思っていて。




泣いてしまうほど心が弱って、荒んでいたっていうのに……。




彼のこの突然の進化(?)と、彼が私とは無関係の存在かもしれないという仮説に気持ちが集中していて、それ以外の事がすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。




それほど彼の変貌ぶりが衝撃的だったと言えば、ソレまでだけれど。




所詮、景山さんの事も、自己嫌悪も、その程度の物思いだったという事か……。




なんとなく、泣いてしまった事自体も、今更ながら馬鹿馬鹿しく思えてくる。




「いや、ごめん、大したことじゃないの」




力無く立ち上がってコートを脱ぎだした私を、彼は訝しそうに見つめている。




『でも、怪我、してる』



彼の目線を追って自分の足に視線を落とすと、スカートの裾から剥き出しになっている左膝のストッキングが破れ、赤黒い血がべったりと滲んでいるのが見えた。




「あっ、あれ……結構凄いコトになってたんだ……」




ジワジワとした鈍い痛みがあるけれど、既に血は止まっているらしい。




「これは、さっき、転んで……でも、それで泣いたワケじゃないよ。こんなの全然平気……」




苦笑して彼を見上げると、彼は顔をしかめていて……




『平気じゃない……早く手当てした方がいい』





そう、窘めるように言いながら、首を横に小さく振った。

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