第42話

 基地局に到着すると、白いバンと黒い普通車が、空きスペースに停まっていた。金網フェンスが囲う内側には、大きな鉄塔が星空へと伸びていて、その足元には作業小屋程度のプレハブがあった。灯りがついている。斎藤さん、大正解だ。

 見渡してみたけど、斎藤さんのワーゲンは見当たらない。まだ到着してないのかと思いきや――

 いた。先輩と一緒になって、フェンスに張り付いている。

スパイ映画のヒーローみたいだな。しかも、見たことのないおばさんが一人増えてるし。

 近づいて「先輩」と小声で呼びかけると、僕達に気付いた先輩が慌てて「しーっ!」と人さし指を口にあてた。

「バカ! 気づかれたらどうすんだ」

 すみません。でも、今の先輩の声の方が僕のより若干でかいです。そうでなくても、先輩の隣では早々に、浅葱と斎藤さんが言い争いを始めています。まずはあれを止めるべきだと思います。

 僕は痴話喧嘩をしている二人に「ちょっとうるさい」と注意すると、斎藤さんの後ろにいる、ポリス姿の女性を手で示す。

「どちら様?」

「どうも。F県警交通課の、名取と申します」

 青いだるまさんみたいな婦人警官が、凛々しい敬礼をくれた。

「え? 名取って……」

「名取民子の母ちゃんだよ」

 状況を把握しきれない僕の為に、先輩が名取のお母さんを簡単に紹介してくれた。三人でここに来た経緯も一緒に。乗って来たパトカーは目立つから、五〇〇メートルほど下った藪の中に隠して来たらしい。

「すみません。谷原愁一郎の父です。娘さんには、多大なご迷惑をかけてしまって」

 父さんが名取のお母さんに、深々と頭を下げた。

「いえいえ。挨拶が遅くなって、こちらこそスミマセン。娘がいつもお世話になってます」

 名取のお母さんも、腿の前に両手を揃えて礼を返す。ぺこぺこと頭を下げ合っている二人に向かって浅葱が、「授業参観でやってください」と冷たい一言を刺した。

 緊張感に欠けるのはみんな同じだ。けれど、「話し声が聞こえる」という真利亜さんの一声で、全員が口を閉じた。黙って聞き耳を立てる。

 確かに、ボソボソした人の声がする。遠すぎてよく聞こえない。もうちょっと近くに行けないかな。

 最初に動いたのは先輩だった。開いているフェンスの隙間からするりと侵入し、プレハブにそろそろと近づいてゆく。次いで僕、そして父さんや真利亜さん、浅葱に斎藤さんが順に続く。

 最後尾にいる名取のお母さんが、「確保! って言うまで突入しちゃ駄目ですよ!」と僕らに注意喚起した。残念ながら、ここにいる誰一人としてそれを守れる輩はいないだろうな。

 全員が小屋の壁に体を張り付かせ、耳をそばだてる。聞こえて来るのは、男の声が三つだ。

「わたしが出会った真識は女でしてね。野戦病院の看護師でした。第一次世界大戦の、中東ですよ。わたしは兵士だったんですか、被弾したわけでもなく、熱病にかかっちまいましてね。死地を彷徨っていたんですよ。女房と子供のところにどうしても帰りたくて、死にたくねえと繰り返していたら、その看護士がね、『死ぬ以外の不幸を全て受け入れる覚悟はあるか』と訊いてきた。ここで死ななくていいんなら、俺は何でも受け入れると答えたら、薬をわたされました。家族の元には帰れましたが、一向に歳をとらない私を気味悪がった女房は、私に離縁状をつきつけて娘と一緒に実家へ戻りました。親も親戚もいなかった私は、天涯孤独の身となりましたわ」

「俺は真識に会ったわけじゃねえんだ。度胸試しだったよ。第二次大戦後間もなくの汚ねえ飲み屋で、当時つるんでたヤクザの下っ端が持ってきたんだ。『歳をとらなくなる薬だそうだぜ。飲んだ奴は今日の酒代、奢ってやるよ』ってな。まさかそんな薬あるわけねえやって、軽い気持ちで飲んだら、このザマだ」

「なんにしても、長年かけて、やっとここまで来たんだ。あんたたちも、これくらいじゃ諦められんだろう? 放火に失敗したんなら、この娘を使おう。人質にして、俺たちの要求を呑ませればいい」

 少し歳をとったような声をした男の語りの次に、それよりは若さを感じる男の身の上話が続いた。最後に低く掠れた声が、おそらく名取の事であろう『娘』の使い道を提案する。けれど、肝心の名取の声が聞こえない。「この娘」っていうくらいだから、一緒にはいるんだろうけれど……。

 僕はもっとよく音を拾おうと、更に建物に身を寄せて、耳をぴたりと壁にくっつけた。すると中からごとり、と金属の塊が動いたような気配がして、次にカチャリ、それからパチンといった、何か硬い物が噛み合うような金属音が続く。

 父さんが顔をしかめた。

「銃を組み立ててるな。使い慣れてる」

 これまで何人ものハンターを断薬させてきた人のその表情からは、『ヤバい』の一言が伺える。真識はこれから防弾チョッキを常備するべきだろう。

 ていうか、今僕ら全員まるごしなんだけど、どうしよう? こっちにある武器って多分、名取のお母さんの腰に刺さっている警棒くらい?

 何か使えそうなものは無いかと周囲を見渡してみたけど、古びた雑誌が浅葱の足元に転がっているだけだった。僕の視線に気付いた浅葱が雑誌を手に取り、くるりと丸める。

 週刊誌でドツいてどれだけ戦果を上げれるかは、浅葱の腕しだいだな。そして今日も僕は、武器なしだ。

 致命的な準備不足を心の内で嘆いていると、またハンター達が喋り始めた。

「さてそんじゃ、どうするかな。村は焼くか全部ぶっ壊すだろ。そんで責任者引っぱりだして、見せしめにズドンといくか?」

「わたしは制裁が目的です。そんなものでは生ぬるい。皆殺しでもいいくらいだ」

「ふっざけんじゃない!」

 度胸試しのハンターと元兵士のハンターから出された提案を、若い女性の怒声が退けた。名取だ。

「さっきから聞いてれば、やっぱり逆恨みじゃないのさ! あんたらと出会った真識さんが、嫌がるあんたらの口こじ開けて薬突っこんだのならともかく、自分の意思で薬飲んだんじゃない!」

 名取はめちゃくちゃ怒ってる。いつもヘラヘラ笑ってデヘヘとふざけてばっかりいる人が。こんな名取は初めてだ。

 やめろ名取。相手を刺激するな。

 けれど僕の祈り虚しく、名取は説教を続ける。

「歳とらない薬なんて、確かに間違ってるかもしれない。けど、きっとあの人たちのご先祖は、人を苦しめようとか薬を売って儲けようとか、そんなアクドイ事考えて作ったんじゃないと思う。薬を渡した人だって、きっとせがまれて、助けてくれって縋られて、やむなくだったんだよ。それを、麻薬の売人みたく言わないで!」

「麻薬の方がよっぽどマシだ。あんたはあいつらの薬の恐ろしさを知らんからそんな事が言えるんだよ!」

 元兵士が名取に反論する。けれど名取は、「薬なんか関係ない!」と頑として兵士の言い分を受け付けなかった。

「どんな薬作ってようが、あの人達は、そういう人達なんだもん!」

 怒鳴り返し、武器を所有している男三人に、くってかかり続ける。

「あの人達はね。目の前で苦しんでたり痛がってる人を見たら、放っておけないんだよ。不良で有名の先輩が捻挫した時も、あたしがぶっ倒れた時も、当たり前に手を差し伸べる人達なんだよ! そんな人達のご先祖が、好んで誰かを不幸にするわけないじゃん!」

 僕は、信じられない気持ちで名取の怒声を聞いていた。

 まさか僕達が、こんな風に擁護される日が来るとは思わなかった。でも何故だろう。今、凄く嬉しいんだ。

 真識人の物語を聞いた時に。僕がその真識人の末裔だと知らされた時に。誰かに言って欲しかった言葉があった。

 それを今、僕は聞いてるんだ。友達の口から。

「愁一郎。死にたくなかったら涙拭け」

 父さんに言われて初めて、両頬から顎へと伝う自分の涙に気付いた。

「ご、ごめん」

 ぼやけていた視界を擦って元に戻し、突入の瞬間に向けて気を引き締める。けれど、その瞬間は予想以上に早くやってきた。

 ガシャン、という金属製のものが倒れた音がした。続いて、唸るような掠れ気味の声。

「そういう説教はな、同じ苦しみを味わってからするもんだ」

 どすんという重い物音。それから、名取の「わあっ!」という悲鳴。

「さあ! 俺の残り一〇〇年、お前にやるよ!」

「まずい飲まされるぞ!」

 いち早く父さんが動いた。遅れて僕も続く。

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