第30話
「四回で終わらせる」
次の土曜日。僕は大屋敷の施術室で、医療用ベッドに仰向けに寝ている名取に宣言した。
一歩離れた所から見守っている真利亜さんから、「おお~っ」と拍手が贈られる。
「自信たっぷりやなぁ。ええやんか! まあ、うちやったら多めに見積もって三回やけどな」
僕の前に名取の体をチェックした真利亜さんが、えへんと胸を張った。台詞の全ては、僕の未熟さを物語っている。修行不足なのは自覚しているし、それを隠すつもりもないから別にいいんだけど。
僕が検査したところ、名取の生理痛の原因は、本当に骨盤周辺だけに集中しているようだった。骨盤の捻転に伴って右の子宮仙骨靱帯が緊張して、子宮を引っぱっていたんだ。
そして骨盤のアライメントに問題を起こしている原因はおそらく、ほんの少しの脚長差。左脚が右より五ミリほど長いんだ。これが日常生活の中で、骨盤の捻じれを誘発している。
だから僕ができる施術は、捻じれっぱなしだった骨盤周辺をリリースして子宮仙骨靱帯の緊張を取り、右の靴にインソールを入れて脚長差を補ってあげること。後は、次の生理を待って、痛みの程度を確認すればいい。
骨盤のリリースとインソールの調整に一回から二回。後日のチェックに一回。次の生理での問診を含めると、四回になる。
それらを名取に説明すると、「よく分んないから後は任せた!」と親指を立てられた。
ちなみに名取の施術は無料だ。練習台、という名目の、完全サービスだ。しかも名取は、施術後に何か美味いものを食べさせてもらえると期待している。前回のお粥で、味をしめたようだ。
「はいじゃあリリース始めまーす」
僕の声からは明らかに不機嫌が滲み出ていた。ああ駄目だ。名取相手だとセラピストモードがキープできない。
僕だって一応、整体師として給料もらってる身なんですよ。歩合制だけど。
名取にそう言いたいのをぐっと我慢し、僕は施術を開始した。
子宮の触診をしやすくする為に、名取には両膝を立ててもらった。それから、下腹部にある骨のでっぱりの中央にあたる恥骨結合と、臍の位置を示してもらい、名取の足元に立った僕はその二つの位置から子宮の場所を推測する。
下腹部を軽く圧迫しながら指を下へ滑らせると、膀胱の後ろに卵型の塊を感じた。子宮だ。両手で子宮をとらえ、動きが悪い場所を確認していく。子宮仙骨靱帯の、特に仙骨への付着部に滑りにくさを感じた。そこに意識を集中して、更に動きの悪い部分を絞りこんでゆく。
真利亜さんは名取の右腕に指先を乗せ、膜の動きを追いながら体の反応をみてくれている。
僕には骨盤周りの人体解剖図に、名取の骨盤周辺が重なって視えていた。実際目に見えているんじゃくて、視えているのは、頭の後ろの方。イメージとして浮かんでいる感じだ。解剖の知識が深まり、触診力が上がれば上がるほど、頭の後ろに浮かぶイメージも鮮明になる。まだ僕は、ぼやけている部分が多い。解剖図をもっとしっかり頭に叩き込まないと。
「もっと絞れる。もっともっと。ペン先一本分くらいの範囲まで固めやな。まだ甘い」
珍しく、真利亜さんが真剣な顔と声で指導してくる。
正直僕は、集中を切らしかけていた。ちょっと体勢を間違えたみたいで、若干、横腹が辛くなってきているせいだ。ベッドに接している方の脚をベッドに乗せたいところだけど、それをやってしまうと、せっかく固めたポジションを逃がしてしまう。
多分あと少しだし、我慢しよう。
無理な体勢で集中を強いているからか、エアコンを効かせているのに汗が出て来た。
「愁、もっと集中し」
真利亜さんの注意が入る。
「してます」
「ほんまにしてたら返事なんかできん」
意地悪!
「大丈夫? 谷原クン」
今度は名取が心配そうに話しかけてきた。多分、顎からしたたるほど汗をかいているからだ。この三人で、汗をかいているのは僕だけ。見苦しいからせめて顔の汗くらいは拭きたいけれど、両手が塞がっているから無理だ。
僕は返事をせず、施術に集中した。そしたら、真利亜さんからお叱りをくらう。
「患者の質問には答えい!」
「はい大丈夫ですスミマセン!」
スパルター!
そうだった。真利亜さんは指導となると、人が変わったみたいに厳しくなるんだ。最近練習に付き合ってもらう機会がなかったから、忘れていたけれど。
ようやっと、真利亜さんの言うペン先一本分くらいまで絞りこんだ。
「よし、キープやで。集中切らすな」と鬼教官。
分ってます。ここで気を緩めたら仕切り直しになっちゃいます。そんなの無理。
早くリリースかかれ、と祈る事、数秒。膜に反応が起こり始めたかと思うと、絞りこんだ部分を中心にして、名取の全身にさざなみのようなものが発生した。続けて、骨盤が意思を持ったように自ら歪みを正し、子宮にかかっているテンションが取れて、ついでに腰椎に存在していた軽い捻じれまでが連鎖的に解消されてゆく。最後に名取の胸郭がぐいと持ちあがり、大きな吸気が起こった。
「おお、なんか息が吸いやすい」
名取が目をパチパチさせる。よかった。呼吸がしやすくなるのは、リリースが上手くいった証拠だ。
「よっしゃよっしゃ、確認してみ」
微笑みかけてきた真利亜さんに頷いて、僕は絞りこみを解放し、子宮の動きをチェックする。何となくまだベットリとした感じはあるけど、滑りは格段に良くなっている。
僕は名取の頭側に回り、斎藤さんにやったように頭蓋骨底部に指を引っ掛けて全身をチェックした。
検査の際に子宮部分に感じていた楔が消えている。
次に、医療ベッドから降りてもらい、フェイスタオルを二つ折りにして名取の右足の下に敷いた。
まっすぐ立ってもらって、全体のアライメントをチェックする。
骨盤の歪みが解消されていた。
真利亜さんにも確認してもらい、「まあ合格やな」という一言を頂く。
あ~疲れた。ポジショニングをしくじるなんて、練習が足りない証拠だ。
脱力した僕は、医療用ベッドにどさりと座ってうな垂れた。タオルを取りに行くのも億劫に感じ、シャツの裾で汗をぬぐった。
残る作業は、インソールの作成だ。百円均一のやつを名取の足に合わせて切るだけだし、とりあえずちょっと休もう。
「あのね真利亜さん。なんかね、お腹があったかいんですよ!」
「せやろせやろ~。愁は将来有望やでぇ。今のうちに、唾つけときや」
「ていうか、教えてる真利亜さんがカッコよすぎてドキドキしちゃったー」
「いやぁん、民ちゃん。うち既婚者やで〜。惚れたらダメダメよぉ」
なんか、女子二人がキャッキャ言ってる。
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