空飛ぶほうき

02

 真ん中に小さな四葉がプリントされた茶色のブックカバーを折り込んで、本をお客様へと差し出す。


「ありがとうございました。次の方こちらにどうぞ」


 会計を終えた客が立ち去ってから、最前列に並んでいる客を自分のレジへと誘導する。レジの支払い、ブックカバーがけ、誘導。一連の流れを繰り返す。


 1週間がはじまる月曜日。夕方の時間帯から学校や会社帰りの人たちで店内が込みだした。レジの前も途切れることなく客が並び、気の休まる暇もない。

 よつ葉書店は駅ビル10階のワンフロアーを占める。

 大学卒業後に入社し、かれこれ6年目に突入した。1年目はレジもブックカバーがけも手際が悪く、客を待たせしてしまった。今では人並みに対応できるようになった。


「谷口さん、交代します」

「お願いします」


 対応の切れ目でアルバイトと交代し、スペースの狭いレジカウンターを出る。腕時計を見ると時刻は17時50分。早番の退勤時間まで残り10分。バックヤードに向かいながら、乱れた棚を整えた。




 退勤後、ビルの地下に入っているパン屋でサンドイッチとエッグタルトを選び、イートインコーナーで軽い夕食を済ませる。ひとり焼肉はまだハードルが高くても、ひとりで外食できる範囲がだんだん広くなってきた。そのまま地下通路を通って駅ビルの向かいのビルに移動し、エスカレーターで映画館のフロアーまであがる。

 月曜日はチケットが割引になるため、早番で翌日が休みの日は、仕事終わりに映画を見るのが習慣だった。

 シフトは土日に休みを取りたい人が多いので、私みたいに平日休みの希望は歓迎される。平日は土日に比べてどこも混まないからいい。友だちの蛍ちゃんも仕事が平日休みだからというのも大きい。遊ぶ予定がなければ読書や撮り溜めたアニメやドラマを観て、ほぼ1日家に引きこもる。


 映画館の自動ドアが開いた途端、CMで何度か耳にした小説の実写化の主題歌が聞こえた。主演のアイドルが所属するグループが歌っていて、昨日音楽番組で流れていた。

 中央まで進み、カウンター上部にある上映スケジュールと座席状況の画面を見上げる。最近公開されたふたつのアニメ映画のうち、どちらを観ようか迷っていた。


(作画はこっちだけど、ストーリーはあっちが気になるんだよなあ)


 大学生カップルが手を繋いで私の横を通り過ぎた。前回の映画では自分の席の前にカップルが座り、内緒話をするのにしょっちゅう頭が動いて、約2時間視界の端が落ち着かなかった。あのときのカップルと別人なのに、思い出して恨めしく視線で追って、券売機の列でカップルの前に並ぶ夫婦に気づく。

 決まった時間帯に通っていると、同じ人を何度も見かけるようになる。

 定年を迎え仕事も子育ても一段落した、と勝手に私が想像している夫婦は、俳優やストーリーの評判が手堅い邦画を選ぶことが多い。年をとってもふたりの楽しみを持っているなんてすてき。私もあんな老後を送りたい。

 他にこの時間の常連は、今日はまだ見ないけれど、赤い髪にパンク系ファッションの美容専門学生の女の子。ミュージカルやラブストーリーなどロマンチックな洋画を好む。なぜ専門学生か知っているかというと、劇場入口でチケットと一緒に学生証を提示していたのを見たからだ。「パンクちゃん」と密かに呼んでいる。

 それから、私と同年代の男の人も常連の1人。色白のひょろっとした細身の体型で、「もやしくん」と呼んでいる。彼は邦画洋画に限らず色んなジャンルを見るなかで、アニメ映画を必ず押さえている。


 そのもやしくんと同じシアターに入ることが結構ある。

 もやしくんは上映後に時々映画のパンフレットを買う。それも私もおもしろかったと思った映画だ。シアターが違った日は、後日もやしくんが買ったパンフレットの映画を観るとハズレがない。

 きっと趣味が似ている。一度映画の感想を語り合いたい。

 もやしくんを見かける度そう思うけれど、話しかけたのは妄想の中だけ。


 人の気配を感じて後ろを振り向く。

 例のもやしくんが、私から腕を広げたぐらいの距離をあけて、カウンターの画面をぼうっと見上げている。スーツでもオフィスカジュアルでもなく、パーカーと細身のパンツという恰好。

 どの映画を観るか決めたのか、もやしくんは一歩踏み出した。そのまま進むかと思えば再び立ち止まり、画面を見上げる。もやしくんも迷っているみたいだった。


(自分も決められないし、もやしくんについて行こう)


 動向を見守っていたら、長い前髪の下の目がこっちを向いた。

 初めて目が合った。


「お先にどうぞ」


 声は想像していたより低かった。もやしくんがうながすように手のひらを差し出す。私が券売機に並びたいと思ったらしい。


「あ、私もまだ決められてなくて。……どっちのアニメを観ようか迷ってて」


 とっさにアニメで迷っていることを付け足した。私にしてはファインプレーだ。

 すると、もやしくんの目が今度はしっかりと合わさった。


「同じです」


 それは警戒心が解けた瞬間だった。


「僕も、どちらも気になっていて。また来ればいいだけの話ですけど」

「でも、今日観る映画を迷うときってありますよね」


 片方が上映開始の10分前になり、入場開始のアナウンスが流れる。周りの客が動きだし、劇場入口を通りだす。

 もやしくんはボディバッグをお腹の方に回し、折りたたみの革財布を取り出した。


「コインの表か裏かで決めませんか?」


 思わぬ提案に呆然としていると、もやしくんは10円玉を手にしたままうつむいてしまう。


「勝手に同じものを観るみたいに言ってすみません。どうぞお好きなものを」


 まるで自分がドラマの登場人物になったみたい。こんなに胸が弾むのはいつぶりだろう。

 誤解が解けるように、今度は私から提案した。


「表が出たらどっちの映画にしますか?」

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