プロローグ

森野苳

勇者と魔女

01

 ――嘘だ。


 幻覚や夢でない限り、目の前の景色は疑いようのない事実。頭ではわかっていても、ソフィーは心が追いつかなかった。

 本当なら、久々の休息日に仲間と街に出ていたはずだった。ライアンの片思いの相手がいるパン屋に寄り、遠くからでも匂いが食欲をそそるチキンをテオと買い食いし、そして今回の戦いの褒賞ほうしょうで、ルークと家族への土産みやげを選んでいた、はずだった。


「ルーク」


 気付けば隣にいた姿がない。目に映るのは、焼け落ちた瓦礫がれき、黒ずんだ灰。焦げた臭いが鼻先に漂う。逃れるようにうなだれると、耳にかけていた髪が顔の横に落ちた。

 ルークについて孤児院を出ると決めた日、背中の真ん中までのばした黒髪を、ナイフで一息に切り落とした。

 戦争が終わってまた髪をのばしても、結ってくれるシスターはもういない。色々なことを教えてくれる物知りな神父も、自分たちを慕うかわいい妹や弟たちも。


「ルウ!」


 孤独感に襲われ、先ほどよりも大きく、今はあまり呼ばなくなった愛称を叫ぶ。自分のことを借りものの名前ではなく本当の名前で呼ぶ、今になっては唯一の家族を。


 ルークが瓦礫の影から姿を現した。黒く汚したその手にシロツメクサを1本つまんでいる。

 ルークはソフィーの隣に並び、玄関だった場所に無感情にシロツメクサを手向けて目を閉じた。

 ソフィーもルークにならって目を閉じる。家族の笑顔を思い浮かべ、苦しくなってすぐに目を開ける。どうして。


「わからない」


 孤児院の経営を助けるために、ルークが兵士に志願すると言った。ルークが心配だった。そして自然を操る魔力も役に立つと、自分も男の身なりをして兵士になると伝えた。ルークは最初渋っても、いずれ味方になるとわかっていた。自分たちはそうやってお互いを補いながら生きてきた。

 神父たち大人をふたりで説得した。強く反対されても、泣かれても、意思を曲げなかった。大事なものを知っていた。

 そして最後には、絶対無事に帰ってくると約束した。

 その帰る場所がなくなった。


「これから何を思って生きればいい? わからないよ、ルーク」


 魔力をルーク以外知られないように使いながら、厳しい訓練を耐えたのも、激しい戦場に出たのも、孤児院と家族が理由だったのに。

 滅多にないソフィーの弱音に、ルークは驚いた。冷淡、血も涙もない、もっと甘やかせと仲間から非難されるが、ソフィーが身内には誰よりも優しいことを知っている。昔から、そして今でも、感情的になるのは自分で、冷静にさとすのがソフィーだった。

 花を添えたのは、こういう悲しい出来事が起きたとき、シスターがしていた通りにしただけ。涙が出ないのも、怒りが湧かないのも、目の前の景色を全身で拒絶していたからだ。その自分を守る盾もとうとう決壊した。腹に激しく感情が渦巻き、吐き気がする。

 それでも、絶望を砕くように、手のひらを強く握りしめる。


「俺も、わからない。それでも、だからこそ」


 かつて孤児院だったものから目を背けず、ルークにとっても唯一の家族に約束する。

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