03(1)

「チワワをなだめるなんてさすが」

「チワワって、ハルのこと?」

「似てない?」


 うるうると潤んだ瞳を思い出す。たしかにチワワっぽい。


 列が動いてようやく商品が見渡せる前まで来る。昼休みの中頃でも購買には人が集まっていた。

 昨日翼君におごってもらおうと冗談で思っていたら、今日翼君の方からハルを説得したお礼にと声をかけられた。


「やっぱり自分で買うよ。私だって、昨日もだけど、翼君がクラスを盛り上げてくれるから行事とか決めるときすごく助かってる」

「もう! そんなこと言うなら2個おごっちゃうわよ!」

「あれ? 増えてる?」

「嶋には文化祭の間学級委員の仕事任せきりになっちゃうかもしれないしさ」

「翼君の方が大仕事だから」

「いいの。ほら、俺らの番」


 前に並んでいた人が紙パックのジュースを持って列から外れ、私たちが先頭になる。お弁当、パン、スイーツが底の浅いコンテナに並んでいる。お母さんが作ってくれたお弁当を食べたばかりでも、甘いものは別腹だ。

 翼君は焼きそばパンとメロンパンとチョココルネを即決で選んだ。


「嶋も決まったらこっち出して」

「メロンパンをお願いします」


 翼君はカウンターに3つパンを乗せていて、その隣に自分のメロンパンを置く。翼君が会計をしたら私がまとめて抱えて、速やかに列から外れた。後ろにはもうしばらく列が続いている。


「カズキ」


 翼君が列の中ほどに並んでいた男の子に話かけた。違うクラスの子だった。翼君みたいに坊主頭じゃないので野球部ではなさそう。

 先に行った方がいいかな。迷っていると、ふいにその男の子の視線が私の手元に向いた。


「どれもおいしそう」


 私の腕には翼君の分も合わせて4つのパン。


「3つは翼君の分です」

「ははっ。全部食べるとは思ってなかったよ」


 カズキくんが屈託なく笑う。自意識過剰だったようでじわじわと顔が熱くなる。


「さ、先に行くね。翼君ありがとう」


 翼君の分のパンを渡し、メロンパンだけ持って逃げるようにその場を離れた。




 教室に戻ると、寧々ねねが自分の机に写真を広げていた。ハルはその正面に立って眺めている。

 ふたりのもとにたどり着く前にハルが私に気付いた。


「おかえり」

「ただいま。何してるの?」

「コンテストに出す写真をハルくんにも選んでもらってた」


 木漏れ日の差す桜の天井。シロツメクサにピントを合わせた青々とした野原。ひまわり畑と大きな入道雲。


「おれ写真詳しくないから、自分の好きだと思った写真になっちゃうけどいい?」

「聞かせて」

「シロツメクサの写真が好き」

「私もさっきその写真選んだ」

「じゃあこの写真にしようかな。ふたりともありがとう」


 寧々は写真を小さなアルバムに片付ける。自分も寧々の机の前に置いていたイスに座り、メロンパンの袋を開けた。


「翼に一番高いの買ってもらったらよかったのに」

「これが一番好きだからいいの」


 メロンパンをはじめ、購買で売られているパンは高校の近くのパン屋さんが卸している。値段は高くなくてどのパンもおいしい。


「ちょっとちょうだい」

「ん」


 ちぎって渡すとハルはぱくりと食べた。


餌付えづけ)


 さっきの会話からそんな言葉が浮かぶ。


「翼君がハルのことチワワみたいだって。言われてみると似てる気がする」


「わかるかも」寧々も同意する。


「チワワって小さい犬?」

「うん。つぶらな瞳がうるうるしてる」


 ハルはぼんやりとしか思い出せなかったのか、スマホを出してチワワを調べだした。


「チワワの性格は、警戒心が強い、勇敢、愛情深く献身的、だって」

「へー」


 勝手なイメージだけど、小さな体と大きな瞳の愛らしい犬に勇敢という面があるのは意外だった。


「今日マコの家に宿題しに行っていい?」

「放課後は学級委員の会議があるから、夜ならいいよ」

「わかった」

「文化祭の?」

「これから何回か会議あるみたい。お兄ちゃんが学級委員は仕事が多いって言ってた」

「私にも何か手伝うことがあったら言って」

「ありがとう」


 初めての文化祭なので忙しさがそこ知れなくてちょっと憂鬱だったけれど、寧々の気遣いがうれしかった。


 寧々はスマホを見た後、机の上に美術の教科書とふでばこを用意する。


「もう美術室行く?」

「先輩が今部室いるみたいだから、写真見せてから美術室行く」

「わかった」


 寧々の彼氏は写真部のひとつ上の先輩だ。背中を見送って、いいなあ、と無意識に声が出ていたらしい。「なに?」とハルに聞かれる。


「寧々ってのろけたりしないけど、先輩と仲良さそう」

「マコも彼氏欲しい?」

「欲しいよ」


 ハルの質問に即答する。私は彼氏がいたことがない。告白したことも、されたこともない。なぜなら男子の視線はいつも隣に向けられるから。


「ハルのせいだ」

「何のこと?」


 きっとにらみつけるとこてんと首を傾げる。かわいいと思ってしまう時点でかなわない。


 告白したことがないのは自分のせいともいえるけれど、明らかに自分が眼中にないとわかるとはじまる前に終わらせてしまう。同じ書道教室に通っていた男の子も、マンションのお兄さんも。


 昔は悔しくて拗ねたりもしたけれど、長い間幼なじみをしていればもう慣れた。それは諦めに近いかもしれない。


「マコはだめ」


 遠い目をして過去を思い出していると、ハルがぽつりとつぶやいた。

 寧々も、クラスにも彼氏がいる子もいるのに、なんで私はだめなんだ。不満げに隣を向いた瞬間、ひゅっと文句をのむ。


「マコがいないとつまんない」

「……ハルならすぐ彼氏できるよ」

「えぇー」


 げんなりした顔に吹き出す。綿菓子みたいな甘くてやわらかい表情が一瞬抜け落ちた気がした。でも、きっと気のせいだ。白雪姫はいつも美しく、優しい心を持っているのだから。

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