1ヶ月前

02

 劇の役と役者の名前が発表されるたび、背中越しに歓声や笑い声があがる。黒板の一番左端の『鏡』の下に選ばれた男子の名前を書き終えて、白のチョークを置いた。


 ふり返りたくないけれど、いつまでも背中を向けているわけにはいかない。手についたチョークの粉を両手ではたきながらしぶしぶ正面を向くと、教卓の真ん前のうるうると潤んだ目と合ってしまった。耐えられなくてそろりと逸らす。


「キャスティングはこの通り。目指せ部門優勝!」


 同じ学級委員の翼君が宣言して、教室に大きな拍手が起こる。悲しいかな、うなだれているのはハルだけだ。




 この高校の文化祭は、舞台発表・模擬店・イベント・展示の部門で、生徒、教師、文化祭に来た一般の投票により優勝を決める。

 優勝したクラスは食堂のメニュー1食無料券がもらえる。2位のクラスは賞状だけなので、その差は大きい。


 趣向を凝らした企画が披露されるのはまさにお祭りだ。周りの高校と比べて派手で、文化祭を理由にこの高校に決めたという人もいる。実は私もそのひとりだ。

 お兄ちゃんもここの高校の卒業生で、小学生のときにお母さんとハルと文化祭に来た。お祭りのにぎやかさとお兄さんお姉さんたちの楽しそうな表情を見て、自分もこの高校に行きたいと思った。


 この春に入学して、いよいよ初めての文化祭が1ヶ月後に近づいていた。


 模擬店をできるのは3年生と2年生のみで、1年生は舞台発表、展示、イベントの部門から選ぶ。私のクラスの1年1組はライバルの数が少ないという理由で舞台発表を選び、劇をすることになった。お話は、みんなが知っている『白雪姫』。


 そのままでは普通だからと、はじめに男女逆転バージョンの意見があがった。そこへ3年生の劇も男女逆転するらしいという情報が入った。

 そのクラスは担任が演劇部の顧問で、3年間文化祭で劇を貫いたらしい。新聞部が行った事前アンケートで、舞台発表部門の優勝候補になっていた。


 そんな強敵とかぶらないように、私たちのクラスは出演者全員男子になった。この時点で予感はしていたんだ。


「やりたくない」


 机に突っ伏しているハルを見やる。

 栗色のふわふわの髪が窓から入る風で揺れている。長いまつげとぱっちり二重の目は今は隠れて見えない。髪と水色のシャツの襟の間からのぞく首元は役と同じ白い肌。

 お姫さまは麗しく成長した。だけど、運命の王子さまはまだ現れない。現れたとしてもスルーしそうだけれど。


 なぜならハルのグレーのブレザーの下は、グレーのスカートではなく、ズボンなのだから。


 愛らしい姿をしていたって、男子たちの夢が壊れたって、性別は男。私も初対面で女の子と間違えた。

 そんなハルが白雪姫に選ばれるのは当然だった。


 教卓に頬杖をついてハルを見下ろす。放課後の教室にいるのは私とハルふたりだけ。


 みんなが教室にいたときは、「がんばって!」「ハルくんの白雪姫楽しみ」という応援に「がんばる」と笑顔を浮かべていた。けれど、いつものキラキラした輝きが少量になっていた。幼なじみの私がフォローするということで気遣う人たちを見送った。


 ちなみに翼君は「ハルのこと任せた!」と言い残して部活に行ってしまった。今度何かおごってもらおうと勝手に決める。


「ハルなら絶対似合うよ」

「うれしくない」


 私の言葉は全くフォローにならなかったみたい。

 むくりと顔を上げ、上目遣いでじっと見てくる。良心が痛むから捨てられた子犬みたいな目はやめてほしい。


「白雪姫になったらもっと女子に間違えられる」

「役者は全員男子だって説明入れてもらうから」


 女子からは母性本能をくすぐって可愛がられるし、男子からは女子と間違えられて声をかけられたことが何度もある。ハルが男だと知ってもそれでもいいと言われる魔性ぶり。私にはうらやましいばかりだけれど、本人が自分の容姿を気にしているのを知っている。


 だけど投票で、ハルには教えてないけれど本人を除く全員一致だったのだからどうしようもない。つまり私も投票した。だってハル以外思いつかなかったから、なんてこれ以上機嫌が悪くなるとだめだから絶対に言えない。


『白雪姫』に決まった時点でこうなる運命だったと思う。前向きに考えるなら、役者の範囲が女子も含めた投票だったうえでハルが白雪姫に選ばれたら、それこそ机にへばりついて起き上がれなかっただろう。


 このままハルがめそめそしていたら、ハルに甘いクラスメイトたちは投票をやり直すと言い出しかねない。けれど、説得の方法が思いつかない。

 翼君野球がんばっているかなあ、と現実逃避をしていたときだった。


「劇がんばったらごほうびくれる?」


 弾かれたようにハルを見る。ハルも体を起こしてこっちを見ていた。


「うん! 何でもいいよ!」

「何でも?」

「私にできることならだけど。高価なものは無理だけど」


 自分にできる範囲なんてしれている。でも、ハルの気が変わらないうちに約束してしまいたい。


「約束だよ」

「約束する」


 ハルがにこりと笑う。窓から差し込む強い夕陽もさらにまぶしく感じられた。


「じゃあがんばる」

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