縁側のカサブランカ【完編・連載版】
天川
第1話 記憶の奥の眩しい夏
僕がその噂を聞いたのは、夏が本格化する少し前のことだった。
あの人が、故郷に……この村に帰ってきていると。
…………………………
朝露に濡れた青草の香りと土の匂い。何の匂いかと問われればそんなありきたりな答えしか返せないのだが、この季節の早朝の空気は独特でありはっきりそれと
肌に感じるしっとりひんやりとした、どこか懐かしさを覚える、開け放った戸口の外の空気の匂い。これは夏休みに毎朝、小学校の校庭にラジオ体操に行くときに感じたあの空気だったか。それとも朝早く起き出して祖父と
僕の中での、夏休みの記憶はいつもどこか物悲しい。
毎年夏が来る度、常に終わりが来ることへの寂しさと怖れにも似た少しの焦燥が、いつも思考の片隅に潜んでいる気がしていた。
夏休みの宿題が配られたら、それを真っ先に終わらせてしまう。これからの日々を楽しむ為に全力を注ぎ、準備を整えている最中こそがむしろ気持ちの最高潮。それが終わってしまうと、ただ先の短くなっていく夢の終わりの到来を静かに甘受する、そんな日々が僕の夏休みだった──────。
「──れいの奴、また女といっしょに遊んでるよ」
「つまんねーやつだよ」
「ほっといていこーぜ」
……朝食が済むくらいの時間になると、庭先に数人の男の子たちが連れ立って現れる。腰に日本刀宜しく竹竿を差している子が居たりビール瓶に紐をつけてぶら下げていたり、その辺で拾い集めたあれこれで使えそうな道具を見つけては思い思いに遊ぶ、僕の周りにはそんな昔ながらの姿の子たちばかりだった。彼らもそんな遊びの仲間集めに、朝も早くから家々を回っていたのであろう。
しかし、当の僕はというと、隣の家に住む幼馴染みの
僕の家は、このあたりの地方で一般的な「奥座敷」と呼ばれる大きな和室が複数ある設えで、三間ある畳敷きの間仕切りの襖を外せば二十四畳ほどにもなる広大な間取りのある昔ながらの日本家屋だった。この辺りでは結婚式や祝い事、お葬式まで含めて全てを自宅で執り行うのが普通だった時代が長く続いており、我が家の様式はそんな文化の名残でもあった。
しかし今では、そんな風習も少なくなり我が家の広い畳敷きも無用の長物と化している感があるが、何れにせよそんな広い和室が僕たちのいつもの遊び場だった。
「
「うん!」
僕らが当時熱中していたのは、ダンボール箱を貼り合わせて作る秘密基地。家の中に堂々と設営しているので実際は秘密でもなんでもないのだろうが、ともかく僕らの作ったものは
父の仕事の関係で、僕のうちには廃棄されるダンボール箱が大量にあった。最初は、二人でそれを並べたり積み上げたり中に入って隠れたりして遊んでいたのだが、そのうち組み立てて部屋っぽく並べたりするようになり、いつしか複雑な間取りの構造物へと変貌していった。
初めの頃は、ガムテープで貼り付けて連結するだけだったのだが、そのうち内部構造も凝ったものに進化して、窓をつけたり
日が暮れる頃に仕事から帰って来る親にとっては、そんな秘密基地がどのように変貌を遂げているかを観察するのが、毎日の楽しみになっていたらしい。
今のご時世ならば、「子どもに刃物を持たせるなんて」と目くじらを立てられるだろうが、当時の僕らはカッターナイフの使用を両親から許可されていた。子どものうちは、ある程度怪我をしながらでも覚えていくものだ、という双方の親の方針だったのだが、やはり……当然のように二人共切り傷を負って病院で縫ってもらう羽目になったりもした。僕は左手、夏子ちゃんは太ももにその時の縫い傷が残っている。
流石に、これはいかんと思ったらしく、僕の父はカッターを禁止にしようとしたのだが、夏子ちゃんの親は「せっかく覚えたのに、ここで止めたら勿体ない」と言い、続けさせてもらえることになった。こういう事は、女の子の親のほうが反対しそうなものだが、彼女のご両親は不思議とこういう事に寛容だった。
それならばと、僕の父は厚手のゴツい革手袋を二人分買ってきて、「カッターを使う時は必ずこれを着けなさい」と命じた。更に彼女の方には、厚いデニム生地の作業ズボンを買い与えて、同じくカッター作業時はこれを履くように、と親御さんに言われていた。
彼女は大抵スカートで遊びに来ていて素足を顕にしていたのだが、カッター作業の時はスカートのまま、だぼだぼの作業用デニムを履いており、まるで腰布を巻いた農夫のような格好になってせっせとダンボールの切り出し作業をしていたのだ。
ダンボールだけなら廃品利用なのでお金はかからないのだが、貼り付けに使うガムテープの方は意外と馬鹿にならない。そのため僕らは、なるべくガムテープに頼らない構造にすることに血道を上げていった。構造で補えない部分について父にも相談してみたところ、「縫い合わせたらどうだ?」とアドバイスを貰い、畳針を買ってもらえることになった。タコ糸を畳針で通して、接合部分を縫合することで強度を上げていくのだ。失敗したら糸を引っこ抜いてやり直しもできるので、これは誠に都合の良い方法だった。
僕らの毎日はそんな、なにかを夢中で作ることで積み重なっていた。
夏子ちゃんは物心ついたときからいつも一緒で、お姉ちゃんのような存在でもあった。家族ぐるみで交流があり、彼女の両親共々一つの大きな家族のような連帯感があった。当然、遊ぶのも出かけるのもいつも一緒、どちらかの家が忙しい時などは「今日の夕飯はお隣さんで頂いてね」と親に言われることも珍しくなかった。小学校の高学年になるまでは、一緒にお風呂に入ることも多かった。
僕の隣には常に夏子ちゃんがいるのが普通であり、
日増しに大きく美しくなっていく彼女に、僕は気後れするような気持ちも芽生え始めていたのだが、彼女は変わらず僕の手を取り色んな場所へ連れ出してくれた。周囲からは少々変わった二人に見えていただろうが、そんな事は一向に構わなかった。僕らの日々は、そんな穏やかで優しい時が積み重なっていくんだとずっと思い、そして願っていた。
あの夏の、あの事件が起こるまでは────
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