第37話 お嬢様、お話があります。

 俺がブランに拾われた翌日早朝。お嬢様から「本日そちらへ向かわせて頂く」と言う返事が届いた。

 思った以上に早いレスポンスだった上、手紙の内容はそれだけで、筆跡もお嬢様らしからぬ乱れたものだった。マリー嬢は「やっぱりジュリーさんのことが心配なんですわ」と頰を紅潮させて興奮気味に言っていたが、俺は会った瞬間炎をぶっ放される可能性があることを懸念していた。

「あの……万一に備えて、やはりこのお屋敷で話し合うのは危険かと思うのですが」

「危険? 何故だ」

「その、お嬢様は気が高ぶるとご自身の魔法を放ってしまうという癖がありまして……大分場をわきまえるようになられたとはいえ、私は今まで幾度となくお嬢様の魔法で髪を焦がされておりますので、その……同じようにされてしまうのではないかと」

 お嬢様の知らぬところで、お嬢様のご友人であるマリー嬢にこの癖のことを話すのは正直気が進まない。が、物理的な危険が及んでしまう可能性を考えると、話さざるを得なかった。

 俺の話にブランは驚くことなくあっさりと頷き、

「そうか。では我が家の訓練場を貸そう。魔法の訓練のための場だから建物の強度も高いし魔力が外部に漏れないよう対策も施してある。いざという時は俺が鎮火しよう」

「鎮火って……もしかして、同席してくださるのですか?」

「乗り掛かった船だからな。それに、クリスティアーヌ嬢の気が高ぶる可能性があるのなら、なおのこと第三者がいた方がいいと思う」

「お兄様の言う通りですわ、ジュリーさん。私も同席させてください。そうすればクリスさんも冷静にお話ししてくださるかもしれません」

 マリー嬢もそう申し出てくれて、俺は申し訳なく感じつつもありがたくその提案を受け入れることにした。



 そして、お昼頃、お嬢様を乗せた馬車がバルテル家にやってきたのだった。



 ブランの配慮で訓練場に通されたお嬢様は「何故こんなところに通されたのかしら」と言わんばかりに怪訝そうな顔をしていたが、意外にも落ち着いているように見えた。お嬢様の付き人としてやってきていたのはクロエさんで、俺の姿を見ると目を潤ませていたが、お嬢様の手前勝手に話すわけにはいかないと思ったのか、静かに控えていた。

 訓練場の一角にテーブルと椅子を用意してもらい、お嬢様と俺は向かい合う形で、バルテル兄妹は俺たちの間に腰掛けた。ねこきちも一応連れてきたが、何故か俺たちからは距離を取り、隅の方でじっとしていた。まあ、大人しくしてくれるならいいか。

「……まずはジュリーを保護して下さったこと、お礼を申し上げますわ、ブラン様、マリー」

 お嬢様がバルテル兄妹に頭を下げる。

「こちらこそ、ご足労頂き感謝します、クリスティアーヌ嬢」

「私たちは場を提供しているだけに過ぎません。どうぞ遠慮なさらずにジュリーさんとお話しして下さいませ」

 今日も穏やかなマリー嬢の促しに頷くと、お嬢様が正面の俺へと向き直る。

 エメラルドグリーンの目は険しい。怒ってないわけないよな。色々やらかしているんだし。

 俺は姿勢を正し、お嬢様の言葉を待った。


「ジュリー。まずは説明してちょうだい。あなたがどうしてその格好で働いていたのかを。全て」

「……はい」


 昨日ブランたちに説明した通り、俺は自分の身の上や経緯を話す。

 感極まってまたマリー嬢が潤んだり、クロエさんもオイオイ泣いていたが、お嬢様は険しい顔のまま静かに俺の話を聞いていた。

「そう。じゃあ、お父様はこのことを存じ上げていらっしゃらないのね」

「……お恥ずかしながら、我が父が私を女として偽ってメルセンヌ家へ送り出したため……本当のことを言えば雇って頂けないので、致し方なく……」

「……そうよね。使用人の事情なんて普通は考慮されないものだもの」

「です、よね。だから、私は……」



「――ダメよ」



 俺の言葉を遮り、お嬢様がまっすぐな視線と共に強い口調でそう告げた。

「ジュリー、ダメよ。うちのメイドを辞めるなんて、そんなのあたし、許可できないわ」

「お、お嬢様……? 私の話、本当にちゃんとお聞きになられていましたか?」

「ええ、聞いたわ。その上で言ってるの。ジュリー、あなたはあたしの侍女よ。いなくなったら困るわ」

 お嬢様の言葉にマリー嬢とクロエさんが揃ってウンウンと頷いてるけど、な、なんでそうなる??

 どう考えてもここで正式に解雇される流れだろ?

 ぽかんとする俺に、お嬢様は真剣な眼差しのまま続けた。


「確かにあなたの秘密を知って、すごく驚いたわ。あなたが男性だなんて思いもしなかったから。嘘をつかれてたんだ、裏切られたんだって思ったことも嘘じゃない。すごく、悲しかったこともよ」

「う……す、すみません……」

「だけど……それでもあたし、ジュリーがいてくれなきゃだめなの。あなたのお陰であたし、お父様と少しずつうまく話せるようになったし、マリーって言う素敵なお友達もできたし、お料理や小説のことも知ることができたんだもの。

 それにね、ジュリー。あなたと話しているとあたし、とっても楽しいの。時々ムッとするようなことも言われるけど、全部、あたしのためを思って言ってくれてるんだって本当は知ってるし……ほんの少しだけど、そう言うところも直せたらって思ってる」


 頰をかすかに赤らめながらも、お嬢様は俺の目をしっかり見つめてはっきりとそうおっしゃった。

 癇癪を起こすたび使用人に炎を飛ばし、わがまま放題言っていたお嬢様。王子様の前でも構わず癇癪を起こして、友達作りの練習ではブーブー言ってたお嬢様。

 そんな過去のお嬢様の姿は、もうなかった。


「あたし、もっと素敵な『お嬢様』になりたいの。お父様に誇ってもらえる……いえ、あたし自身が堂々と誇れる公爵令嬢に。そして、ソルシエーヌになりたいの。

 その時、傍にあなたがいてくれなくちゃ困るわ、ジュリー。お願い、戻ってきてちょうだい」

「……ですが、お嬢様、私は……」

「分かってるわ。だからあたし、あなたの秘密を守ることに決めたの」

「えっ」

「まだお父様はご存知ないことだけど、知ったらきっと、あたしが何を言ってもあなたを解雇すると思う。それならジュリー、このまま秘密を隠し通しましょう」

「ええっ?!」


 あんぐりと口を開けた俺に、お嬢様は名案だと言わんばかりにエメラルドグリーンの目を輝かせた。

「そうよ。あたしやクロエが何も言わなければ済む話だもの。だって、あたしたち以外知らないし、ジュリーがいなくなったことも伏せて出てきたから、このままジュリーが何食わぬ顔で戻っても、何も問題はないわ」

「そ、そうでしょうか?」

「そうよ。ね、クロエ、そう思うわよね」

「もちろんです、お嬢様! このクロエ、この命に賭けてもジュリーさんの秘密を守ることを誓いますわ!」

 クロエさんが激しく首を縦に振りながら力強く言い放つ。何だろう、今日のクロエさん、めちゃくちゃテンション高い気がする。姉ちゃんっぽさが増すからやめて欲しいんだが。

 いや、それよりも、俺の秘密を旦那様に黙っておくなんて……そこまでして俺を傍に置きたいと思ってくれているのか。

「本当にいいのですか……? こんな、曰く付きの侍女なんかを……」


じゃないわ。ジュリー、あなたはあたしの大切な人よ。あなたのことはあたしが守るわ。だから、あなたもあたしのために尽くすと誓ってちょうだい……お願いよ」


 こちらをまっすぐに見据えてきっぱりとそう言い切ったお嬢様に、俺は心臓が大きく音を立てるのを感じた。

 同時に、気づいた。

 俺の中で、お嬢様はもうゲームの悪役令嬢キャラではなく、クリスティアーヌ=メルセンヌという実在する女の子。彼女がこれから先、立派な令嬢として成長していく姿を見たい。たとえソルシエーヌになれなくても、今のお嬢様ならきっと――。


「……何か言いなさいよ、ジュリー」


 気がつくと、お嬢様や他のみんなが固唾を飲んで俺を見つめていた。

 正直、お嬢様に認知された上で男であることを隠していけるのか不安ではあるが、答えは決まっている。


「ここまで求めて頂いて、お答えできないとは言えません。ジュリー=メレス、誠心誠意、お嬢様にお仕えさせて頂きます」


 俺はできる限り精一杯の笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。

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