第36話 お嬢様、バルテル兄妹はなかなかのお世話好きです。


「……ジュリーさんが、男性……?」


 お気に入りのペルルの紅茶入りの薔薇のティーカップを俺の前に置いたマリー嬢は、その綺麗なヘーゼル色の瞳をまん丸に見開いた。栗色の長い睫毛を揺らし、俺の頭から足元までを何度も往復するほどの動揺っぷりに、俺は居心地悪さを覚えて体を縮こまらせた。

 ちなみにここはバルテル家の応接室。唐突な俺の頼みにあっけにとられつつもちゃんと事情を聞いてくれたブランが、「ひとまず家に来るといい」と誘ってくれたのだ。

 俺の側から離れないねこきちのこともあったから最初は「猫もいるし、職さえ紹介してくれたらそれでいい」と断ろうとしたんだが、猫が同伴でも大丈夫だから、と押し切られてしまい――今に至る。そのねこきちは俺の足元でマリー嬢が用意してくれたミルクを美味そうに味わっていた。

「そもそもは父親の命令に従うほかなかったからだろう? 性別を偽らせて公爵家で働かせるとは……メレス男爵の品位を疑うな」

「まあ……男爵というか、義理の母親が私のことを毛嫌いしていたので……愛人の子供が男として生まれてきたことに対する僻みもあったみたいですし」

「大変な目に遭われたのですね。お可哀想に……」

 今度は悲しげな顔をするマリー嬢に、俺は精一杯笑ってみせた。

「いえ、でも早く厄介払いされて良かったです。メルセンヌ公爵にはよくして頂きましたし、お嬢様にもお仕えできて生き甲斐を得られたというか……まあ、それも今となっては過去の話ですが」

「……実家には帰れない事情は分かった。しかし、ジュリー殿、クリスティアーヌ嬢とは本当にこのままでいいのか? きちんとあなたの事情を知らせることも別れを告げることもせずに出てきてしまったのだろう?」

 ブランの言葉に俺は胸を微かに締め付けられるのを感じながら、小さく頷いた。

「私の事情でお嬢様を困らせたくありませんから……今まで同性として接していたのが男だなんて知ったら、年頃の女の子には不愉快で」


「っそんなことありませんわ!」


 俺の言葉を遮り、マリー嬢が勢いよく立ち上がった。ねこきちが驚いてピン、と尻尾を立てる。

「ま、マリー様?」

「クリスさんがジュリーさんを嫌うなんてあり得ません! クリスさんはジュリーさんにとても感謝されていましたし、大切な人だと私にも話してくださいました! それは単なる主従関係というだけではなく、ジュリーさんという一人の方をクリスさんは信頼し、好意を寄せていると私は感じました。それは、性別が異なるから、なんていう瑣末な理由でヒビが入るものではありませんわ」

 白い頰を真っ赤に染めて、やけに力説するマリー嬢に俺だけでなくブランも困惑したように見つめている。

「ですが、やはり性別が違うというのは瑣末ではないかと」

「いいえ、です! むしろ、ロマンス小説では定番の設定ですのよ、ジュリーさん! 私が知っているのは男装していたメイドのお話や家を継ぐため男装する伯爵令嬢のお話ですけれど、どれもクリスさんにお勧めしたところ、クリスさんは素晴らしいとおっしゃっていましたわ!」

「……マリー。それはあくまで物語だから受け入れられるのであって、現実はそう上手くは……」

「いいえ、お兄様。私、それらの小説を読みあった後、クリスさんとこんな例え話をしましたの。もし自分にとって親しい相手の性別が違っていたらどうするか……。クリスさん、こうおっしゃっていましたわ。『少し前の自分だったら怒っていたかもしれないけど、今だったら話をちゃんと聞いて、受け入れられるようにしたい』と」

「お嬢様がそんなことを……」

 俺が呆然と呟くと、マリー嬢はコクコクと何度も頷いた。

「ですから、ジュリーさん。クリスさんともう一度お話しした方がいいと思います。きっと今頃、クリスさんはジュリーさんのことを心配しているはずですから」

「……ですが」

 勢いよく出て行ってしまったし、辞職願もクロエさんに預けてしまった状況で、「やっぱり話をさせてください」と戻るのはやはりリスキーだと思う。マリー嬢の言うようにお嬢様が俺を受け入れてくれるとは限らないし、たとえ受け入れてくれたとしても、雇い主である公爵に挨拶も何もなく逃げ出してしまったのだ。その上、性別を偽っていたと知られたら、再雇用されるはずがない。

 なんと返せばいいか分からない俺に、焦れたマリー嬢が口を開いたが、それをすかさずブランが片手で制した。

「ジュリー殿の立場を考えると、問題はクリスティアーヌ嬢だけではない。メルセンヌ公爵にまで話が行っていれば、場合によってジュリー殿が門前払いされる可能性もある」

「ですよね……」

「で、でも! まだ分かりませんわ! ジュリーさんのことを案じているなら、そのことを公爵様に隠されている可能性だって無きにしも非ずですもの!」

「ひとまず、あなたの身はうちで引き取ろう。マリー、俺とお前の連名でクリスティアーヌ嬢に手紙を送る。ジュリー殿の身がこちらにあること、ジュリー殿は話し合いを望んでいて、もし可能なら我が家で話し合うことはできないか、と伝えるんだ」

 ブランの言葉にマリーだけでなく俺もギョッとした。

「そ、そこまでしていただかなくても……!」

「迂闊にメルセンヌ家へ戻って門前払いされたら、路頭に迷ってしまうだろう? それなら、うちにいた方がいい。話し合いの場としてもこちらの方がいいだろう。まずはクリスティアーヌ嬢がどう思っているか、その点を確認するところからだ」

「で、ですが、ブラン様……」

「あなたには世話になっている。『友人』として、せめてこのくらいはさせてくれ」

 そう言って微笑むブランはまだ幼さがあるがゲームのスチルになっていてもおかしくないくらい顔がよく、やっぱこいつ乙女ゲームの攻略対象なんだなあと妙に感動してしまったのだった。

 

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