第十三話
「え?」
途中で、母の声が、インクの少なくなったネームペンのように掠れて、俺は上手く聞き取ることが出来なかった。
「なんて、もう一回」
「だから……ナクナッタンダッテ」
「……ナクナッタ? え、ちょ、どういう」
俺の胸が、脳が、手足が、にわかにざわめき始めた。
「帰らぬ人に、なったんだって」
この言葉を受け止めるのに三秒を数えた。
脳裏が真っ白になり、指先がピリピリと震える。
「さっき、自治会から連絡があって、その、江崎さんちから、へ、変死体が見つかったって。で、警察が、大河君だって鑑定した、って」
母は、心配そうな面持ちで言った。
「……何があったの?」
「死因は、分からないって。ただ」
「……ただ?」
母は、っ、と一瞬言葉を止めたが、やがてポツリと零した。
「腕とかがあり得ない方向に曲がって、で、なんか、根っこが……みたいな」
「……ウソだろ」
ククク、ククククククッ、クククククククククククククッ。
甲高い不気味な声が、俺の鼓膜を叩いた。
嗤う花が、結局、いじめの償いをすることが出来なかった、情けない優柔不断陰キャに嗤いかけている絵が浮かぶ。
「……タイちゃん」
小学校時代、田んぼや裏山を駆け回っていた映像は一瞬で過ぎ去り、喚き、目を潤わし、こちらに助けを求める視線を送るタイちゃんの姿がどんどんと大きくなってくる。
「……ごめん」
「ん? なんか言った?」
「……いや、何も。話はそれだけ?」
俺は、母に背を向け、唇を噛んだ。鼻の奥のつんとした痛みが、涙腺を刺激する。
「え、ええ、まあ」
「じゃあ、出てって」
母が、音もなく俺の部屋を退出したのが気配で分かった。
「……っ」
関節が外れたかのように、膝ががくんと地面に落ちる。
「……ごめん、タイちゃんっ……全部、っ、全部全部、俺が……」
声を出しながら、よれたTシャツで目頭を拭うのは、嗚咽を紛らわす手段に過ぎなかった。
彼は、ぐしゃぐしゃの濡れた紙屑みたいなこの泣き顔を、一体どのような顔で見守っているのだろう。
次の日の学校は、しばらく教室に入るのを許されなかった。
「なんか、人が死んだって聞いたけど本当か?」
「すごい、もうホラー映画ばりの死に方してたんだって」
「親は水商売と酒浸りで両方家にいなかったんだってさ」
「可哀想にね」
「でもクラスからいじめられてたんだってよ」
「すげえ不潔で、障害児だったらしいぜ」
受験を控えている三年が、人だかりを作ってヒソヒソと話をしているのがこちらに駄々洩れだった。
その声は、昨晩一睡も出来なかった俺の頭にガンガン鳴り響いている。
「おはよう、リョウ」
と、後ろから肩を叩かれた。
「ああ、けいちゃん」
昨日、けいちゃんに、この速報を伝えていなかったことを思い出し、俺は今日も、彼の目を真正面から見られなかった。
「これ、何なの?」
「……さあ、分かんねえ」
と、言う他無かった。
ピーンポーンパーンポーン
グラウンドのスピーカーに、全員が注目した。
「生徒にみなさんに連絡します、これより、緊急で全校集会を開きますので、体育館へ移動するように。なお、十分ほどで終わる予定ですので、教室に入らず直接、体育館へ向かうよう」
はあ、床つめてえじゃん、だのそれぞれの本音がノイズになる中、人垣は体育館へ向かって移動してゆく。
「何だろうね」
「……さあ」
額に汗がタラリと流れた。それだけのことに、俺は肩を驚かせた。
校長が、物憂げな表情でマイクを持つ。
「生徒会長、号令」
普段通り、威勢のいい挨拶で、起立したまま、集会が始まった。
「えー、いきなり、この寒い中、シューズも無しで集まっていただきありがとうございます」
申し訳ございませんが先だろ、とどこからか声。
「さて、みなさんにとても残念なお知らせをしなければいけません。えー、本校第二学年の生徒が、ですね。えー」
体育館はしんと静まり、校長の次の言葉を促す。
「昨日、お亡くなりになったそうです」
どよめきはほとんど起こらない。
ただ、俺の後ろのけいちゃんの「えっ」の一言が耳に鋭く突き刺さった。
「えー、生徒名も、出します。江崎、大河さんです」
心なしか、少しばかりさざめきが大きくなった。
「詳しいことはまだ、みなさんに説明できる状況ではないのですが、まず、江崎さんのご冥福をお祈りし、一分間の黙祷を捧げたいと思います。黙祷」
十秒が、十分のように長い。
目を閉じていても眉間の皺は動き、列の後ろに神経を尖らせている。
「黙祷、直れ」
そこから、タイちゃんとはいかに素晴らしい人物で、彼が亡くなるのがどれだけ惜しいことかを校長が演説し、生徒は落ち着いた学校生活を送るようにというお決まりの訓示で、集会は終了した。
各教室へ帰る時は、相変わらずガヤガヤ、ザワザワという音に集約されたノイズが鳴り、ところどころ、チャラけた笑い声が入り混じっていた。
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