12収穫祭が始まる

 俺はいつもと同じように宿の部屋で目が覚めた。

 カーテンを開け空に目を向けると太陽は既にかなり高いところまで登っていた。どうやらお昼近いぐらいの時間になっているらしい。

 冒険者稼業を始めてから大変なのは日々の生活リズムが一定ではないことだ。何の目的もなくモンスターの素材を集めに行くのなら決まった時間で動けるが、依頼を受けて冒険に出る場合そうはいかない。目的を達成するまで帰れないので街に戻ってくるのが夜遅い時間になることもあれば、森の中で夜を越さなければならないこともある。昨日も街に戻ったのは日をまたいでからだった。

 冒険から戻りギルドに報告しに行った際にヒイラギさんが酒場にいるのを見かけた。確か俺が依頼を受けて出発する時にも姿を見かけていたが、まさかずっと飲んでいたのだろうか?

 しかし、昨日ヒイラギさんに会ったのも久しぶりだった。確かその前に会ったのは一週間ほど前で、しばらく酒場にも姿を見せていなかったらしい。なんでも本の執筆の締め切りが近かったのでずっと宿の自分の部屋にこもって執筆作業をしていたそうだ。昨日ようやく執筆作業を終えたので、今日はその打ち上げだと彼女は主張していた。

 心の中で「そんなの関係なくあなたはいつもお酒を飲んでいるでしょ」と思ったが、口には出さなかった。むしろ執筆の締め切りがあれば断酒することができたことに驚いたぐらいだ。ならばぜひとも冒険の最中ぐらいは酒を飲まないで欲しい。いや、本当に。モンスターが目の前にいるのに鼻提灯を作って眠りだしたときは本気で焦った。

 とりあえず、酒場に行って遅めの朝食を摂ることにしよう。この宿屋の部屋に台所はない。台所付きの部屋というのは冒険者にほとんど需要がない。冒険者は依頼の内容によっては長期間留守にすることも多く、食材を保存していても腐らせて無駄にしてしまうからだ。とはいえ冒険の最中に食材を集めて料理をする機会は多く、調理の技能自体は冒険者にとって必須だ。

 俺はまだこの世界に来て日が浅く、あまり遠方に行くような依頼は受けないようにしているので台所がある部屋を借りてもいいのだが、元の世界にいる時も料理なんてほとんどしたことがない。せいぜい家庭科の時間で習った程度だ。まぁ、自炊を覚えた方が今後のためにもいいのだろうが、酒場の料理がかなりおいしいので今のところ特に食事には困ってはいなかった。

 寝巻から質素なシャツと短パンに着替えて宿を出た。昨日は帰りも遅かったので、今日は休日にしようかと思っている。食事と日用品と宿代ぐらいにしかお金を使わないので、特に積極的にお金を稼がなければいけない事情もない。ヒイラギさんは酒代に稼いだお金の大部分を奪われていそうだが、自分はお酒も飲めないし日々の日課である野球の練習が趣味のようなものだがお金がかかることではない。というよりこの世界の人がどういう娯楽にお金をかけているのかもいまいち分かっていなかった。ランカさんは部屋の様子を見る限り本にお金をかけていそうだが、俺は長すぎる文章を読むと眩暈がしてきて内容が全く入ってこないので彼女の真似はできない。

 元の世界にいた時も自分はかなり趣味が少ない方だったと振り返ってみて思う。小学生の頃は野球をやりながらもゲームをしたりアニメを観たりそれなりに子供らしいことに興味があったが、中学生以降は勉強や食事・風呂・睡眠といった日常生活の行動を除く余白の部分はほぼ野球に注がれていた。野球の試合を観たりトレーニングをしたり――野球を失ったことで、自分がどれだけ野球を中心に生きていたのかという事実を突き付けられた。現在社会人野球をやっている兄も学生時代に自分と同じような生活を送っていたのを間近で見ていたので、自分にとってはそれが自然な営みだった。

 野球をできないし試合を観ることもできないとなると最早何をしていいのかも分からなかった。トレーニングばかりを行っているわけにもいかないので、なんとなく街をぶらぶら歩いていることが多くなった。ここは文化も歴史も生活習慣も違う別世界だ。何の知識もない俺にとっては見るものすべてが新鮮だった。建物、市場で売られている食材、子供たちがやっている遊び――あらゆるものが違っていた。

 酒場に着いたが朝食には遅く、昼食には少し早すぎる時間帯なのでお客さんの数はそれほど多くなかった。それでも何人かは酒を飲んでいる屈強な姿の冒険者の姿がある。酒場を見まわしたが、ヒイラギさんの姿は流石になかった。

「いらっしゃい。何を頼むんだい?」

 空いている席に腰を下ろすとドーラさんがやってきたのでいつも頼んでいるメニューを頼んだ。目玉焼き、サラダ、パンと胡椒をまぶした鶏肉の油炒めがワンプレートにまとめられているものだ。手の込んだ味付けがされているわけではないシンプルな食事だが、美味しくて満足感もあるので頻繁に注文している。卵に加えて鶏肉とタンパク質も豊富なので、筋肉の成長にもいい。プロテインやサプリメントがあるわけではないので、しっかりと食事から体作りに必要な栄養を摂取しなくてはならない。

 一応この世界にもモンスターとは違う鳥や牛などの動物が普通に存在してはいるらしい。ではモンスターとそういった動物とでは何が違うのかというと、生命活動のエネルギーとしているのが魔力なのか肉や植物などの食物なのかの違いらしい。モンスターは魔力を素として生まれ、魔力を生み出すことによって生きている。

 であれば、魔力を持つ人間も食事をせずに魔力だけで生きていけるのではないだろうか? という疑問が当然生まれる。実際俺もそう思ったが、そういうわけにはいかないらしい。人間とモンスターではそもそもの成り立ちが違っている。神話の時代において人間は魔力を持たず扱うことができない存在。牛や鳥と同じような動物でしかなかった。その時代の王者はモンスターであり、今以上にモンスターたちが我が物顔で世界を跋扈していた。人間はモンスターに対抗する手段は少なく、今以上に人々はモンスターにおびえ隠れながら暮らさなければならなかった。しかし女神様の恩恵によって魔力を得て、魔法を扱うことができるようになったことにより人間はモンスターに対抗することができるようになり繁栄を手にしたそうだ。故に人間はモンスターと違い、生命を維持していくためには普通の食事を摂らなくてはならない。

 ドーラさんが注文したセットを机に運んできたので手を合わせて食事を始める。目覚めたばかりで空腹の体は昨日の疲労も相まって、せわしなく食事を口へ運び次々にのどの奥へと食べ物を詰め込んでいく。

「あ、タケシさんじゃないですか。ずいぶん早い昼飯ですね」

 声を掛けてきたのは門番のクエイクだった。ラフな格好をしているので、どうやら今日は仕事ではないらしい。門番をしていない彼に出会うのはこれが初めてだった。鎧や槍と言った装備を身に着けていない彼からはいつもより幼さやあどけなさが感じられる。門番という役割から解放され、どこにでもいるような若者に姿を変えていた。いやこれこそが本来の姿なのだから戻っているというべきなのかもしれない。

「いや、これは一応遅い朝食ですね。クエイクさんはお休みですか?」

「そうそう。久しぶりに休みで」

 クエイクさんは俺の向かい側に座ると、注文を取りにやってきたドーラさんに俺と同じ料理を頼んだ。

「そういえばタケシさんは明日の収穫の護衛クエストには参加されるんですか? 急遽人が足りなくなったらしいんで俺も参加することになったんですけど」

「いや、今のところ何の予定もないです」

「でしたら一緒に行きませんか? 収穫が終わったら収穫祭の準備も始まりますから、この街のことを知るためにも是非参加してください」


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