11ヒイラギ
「私がこの世界に来たのは三年前。酒に酔ってフラフラの状態で家に帰っていたら、転んで川で溺れちゃったの。気づいたら湖のそばで倒れていてそこでランカに助けられたんだ」
「……あぁ、そうなんですね」
少ししっとりした過去の話が始まりそうな雰囲気だったがどうやら俺の勘違いだったらしい。この人は元の世界だろうと変わらず酔っ払いだ。
「じゃあ、トレーニングに戻りますね」
俺は彼女から目をそらし、バットを構えなおして素振りを再開した。
「ちょっと! まだ話の途中だから」
「回復できるとはいえお酒はほどほどにしたほうがいいですよ。……醜態はできるだけ人目にさらさないほうがいいですから!」
「私のことそんな風に思っていたの!?」
初対面の時に道で嘔吐していたのに一体どういう風に思われていると思っていたのだろうか。右も左も分からない自分に色々教えてくれやことに関しては当然感謝しているが、心の底から尊敬できるタイプの人ではない。ランカさんは命の恩人で常識人なので素直に尊敬できるが、この人からはそれなりに迷惑もかけられている。今日もヒイラギさんが冒険の途中で迷子になったので、捜索に時間を費やして帰還するのが大分遅くなってしまった。
「まぁ、死に方はあれだけど、私本当に大変だったんだよ! いいから話を聞いて」
とりあえず最後まで話を聞かないと満足してくれなさそうだ。俺が諦めて構えたバットを下すと、ヒイラギさんは話を再開した。
「私の親は両方とも医者で、おじいちゃんも医者の代々医者の家系だったの。地元でも有名で、結構裕福な家だったよ。タケシ君は兄弟とかいたの?」
「兄がいますね。俺と同じで野球をやっています」
「私は一人っ子。私の両親は結構年齢を重ねてからの結婚で、出産も遅かったから一人産むのがやっとだったらしくて。そのせいか家族から私に対する期待は大きかったよ。小さいころからあなたも医者になるんだよ、だから人一倍勉強しなさいみたいな感じでさ。学校が終わったら部活もせず友達とも遊ばずに塾に行く、勉強、勉強、勉強――それが私の子供時代。だから楽しかった思い出もあんまりないんだよね」
俺はヒイラギさんのその話を聞いて自分の親のことを思い浮かべた。
両親は俺に何かを強制してくることはなかった。もちろん最低限宿題はちゃんとしなさいだとか、テスト前なんだからテスト勉強をしなさいだとか言われることはあったが、あなたはこうならなければいけないなんて言われたことがない。野球も応援してくれていた。自分の家庭環境を振り返ってみると自分は恵まれていたのだなと気づき、両親に合えなくなった現状に寂しさを覚えた。
「特別医者になりたい訳じゃなかったけど、高校まではいい学校に行っていて、挫折もない人生だったからこれはこれでいいのかなと思っていたんだ。やりたいことはやれてないけれど、医者になるっていうのは凄いことだし、きっとそこに幸せややりがいもあるだろうなって。だけど、大学受験で志望校の医学部に落ちちゃってね。それまでの人生の意味を失っちゃたんだよ。やりたいこともできなかった、それなのに医者になるという目標も果たせない。じゃぁ、私の人生って何の意味もないじゃん――今まで私がやってきたことって何だったんだろうって。人生の意味を失った私は大学に進学するのを辞めて、東京で就職したの」
ヒイラギさんは言葉を止め、手に持ったコップからお酒をグイっと飲んだ。
「でも、その就職した会社もブラック企業で、ずっと働きっぱなし、休みの日は眠って体力を回復させていたら終了――そんな感じの毎日。そんな生活の中お酒を飲んで日々疲れとか無力感をごまかしながら生きてたの」
俺は16歳で高校一年生だ。
やることといえば勉強することと部活の野球ばかりで、彼女の送ってきた人生の苦しさを言葉上では理解することができても、心の底から共感することはできない。まだ大して社会のことなんて知らない子供だ。ただ彼女の苦しみの本質を知らずとも、彼女のその横顔から漂う哀愁からその苦しみの深さを察することはできた。
「でも、この世界に来てから――私は好きなように生きられるようになったの」
「好きなだけ酒を飲めるってことですか」
「違うよ!――いや、それもあるけど!」
それもあるのか、というツッコミの言葉を俺は飲み込む。
「私は昔から漫画とかアニメとか小説が好きだったの。この世界に来て、やっと自由に生きられるようになった私は本を書くことにしたの――それが、これよ!」
彼女は腰に下げていた袋から一冊の本を取り出した。
《獣人勇者のカノン様は、美少年な王子様に愛されている》
ヒイラギさんが取り出した本にはそんなタイトルが書かれていた。
……どこかで見たことがあるタイトルな気がするが、どこで目にしたのだろうか? よく思い出せない。
彼女が俺にその本を差し出してくるので、それを受け取ってページをめくった。びっしりと細かい文字が書かれている。本なんて学校の授業中しか読まないので、内容が入ってこなかった。
「これ、どういう作品なんですか?」
「屈強でワイルドな獣人の勇者様がドSで美少年な王子様に責められるという甘美で官能的な恋愛小説よ! 私は基本的にワイルドな男が美少年に責められるというのが好みで――」
俺は静かに本を閉じて、苦笑いを隠しながらヒイラギさんに返却した。
なるほどこれはそういう本らしい。挿絵が入っていたが、濡れ場らしきシーンで――うん、まぁ、凄く上手い絵なのだが、そういう趣味のない男からすると、その、なんというか、あれだ。
「とにかく、ヒイラギさんはこの世界に来て報われたんですね」
「うん! 私はこの世界に来れてよかったよ」
まぁ、彼女が好きに生きられているのならいいのではないだろうか。
何故か精神的に疲れてしまったので今日のトレーニングはここまでにして宿に帰ることにしよう。
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