◇◇村上健司◇◇ 対峙

 涙が後から後から流れ出て、そのふっくらとした頬や唇を濡らしていく。

「霞がかかったような不明瞭な記憶だけど……見覚えがあるんだもん。この写真もこの部屋も。このベッドも家具も……。全部……」

「月城……」

「ここは、パパとママの部屋だぁぁ……」

 叫び、しゃくりあげ、最後にはたまらずに声を上げて泣き伏した。俺はこんなに悲しい泣き声を聞いたことはない。胸がはっきりとわかるほど強く痛む。

 助けたい。救いたい。この子を。

 ……またあの頃のような笑顔が見たい。


「思い出せそう……って、こと?」

 月城はがくりと首を折るような頷き方をした。

「それに、どういうことか知りたい。何を探してこんな状態なの? ここを荒らしたのは叔父さんってこと? 空き巣じゃ……ないよね?」

「玄関に鍵がかかってたことを考えて、その可能性は低いだろ。まだ家の中、全部見てないけど、一番入りやすいのがリビングだろうけど、外から俺みたいに無理に開けた形跡もない」

「……でもここに入れた。鍵を持ってたってことだよね?」 

「そうだな」


〝叔父さん〟っていったら両親どちらかの兄弟だろうか? いくら兄弟でも鍵を預かってもらっていたとは考えにくい。だったら月城の親の遺品か……記憶のない月城の持ち物の中にこの家の鍵があったのだ。

 そりゃ兄弟の子が残されたのなら、正式に後見人になるための書類が必要かもしれない。


 俺はスマホを出し、〝叔父さん〟が後見人になるために必要な書類を調べた。

 後見開始届出書。被後見人の身分証明書。後見開始の許可決定書。後見人に関する誓約書。この家のものを無理して探さなくても、月城と妹の身分証明書があれば後見人にはなれそうだ。保険証くらいなら、ベッドのマットレスをひっくり返さなきゃならないような場所には置いてないだろう。

 けど、いきなり子供が二人も増えたら金銭的にだって大変なのはわかる。探していたのはおそらく、生命保険のようなもの? 

 でも、そういうものの探し方がこれか? これはあまりにもひどい。亡くなった人に対しての愛情をまるで感じられない。


 一番ひどいのは、記憶喪失になっている月城と、おそらく妹にも、家が焼失した、と教え込んだことだ。妹の記憶はある。来て確かめようと思えばできたのかもしれないけど、うつ病なら、気力を失っていて叔父さんの言葉を鵜呑みにしてもおかしくはない。きっと妹には、家は燃えた、としか伝えていないんだろう。月城みたいに新聞記事や偽造した現場写真を見せられた訳じゃない。

 月城は信頼しているらしい〝叔父さん〟だけれど、俺から言わせれば悪意の塊だ。


 ふと、隣にへたり込んでいる月城に視線を向けた。

 俺がごちゃごちゃと考えている間、月城の方も唇を引き結び、眉間に皺を寄せ、何かを解き明かそうと懸命になっていた。

「月城……?」

 俺の声が届かないくらいの集中の度合いだった。

 月城は今、一生懸命自分の中に眠った記憶を探し当てようと戦っている。俺は声をかけるのをやめた。

 十分か十五分が経った頃、月城はおもむろに立ち上がった。俺も後に続く。

 埃の積もる床をそっと歩き、止まったのは観音開きのタンスの前だ。観音開きを開けると、中は内桐になっているようで着物用の棚が並んでいる。でも、一番下には引き出しがあった。その引き出しには鍵穴が付いている。鍵穴の周りには、引っ掻き傷がいくつもできていて、針金か何かを使ってどうにか開けようとした形跡が残っていた。

「思い出した。ママとパパに何かあったら、ここに重要書類が入ってる、って言われてた。保険証とか日常使うものとは違う……たぶん生命保険のたぐいだと思う」

「鍵は?」

「……思い出せない」


 月城と妹に、重要書類の場所を教えていたなら、鍵のありかも伝えていたはずだ。

「十中八九、探していたのはここの鍵だな。金庫ならそのまま運び出すってこともできるけど、このタンスじゃな。めちゃくちゃ重そうだし。壁に固定までしてある」

「なんか、ほんとに徐々に思い出してきた」

「無理すんなって。そんなに一気に思い出そうとして、大丈夫なのか? 病院行って相談したほうが良くないか?」

「今日、全部思い出すの! そうしないとまた忘れそうで怖い」

「そっか」

「ふ……副社長」

「あ、はい」


 副社長って呼び方にものすごい違和感を感じる。今この瞬間、俺の中で、月城はもう昔の同級生以外の何者でもなく、最後のクラス会から十二年後に再会して、また強烈に気になり始めている女の子だ。

「ごめんなさい!」

 月城はすごい勢いで俺に深く頭を下げた。

「えっ……」

「本当にすみませんでした」

「ああ」

「ここまでの事実を突きつけられたら、さすがに自分が間違ってたってわかる」

 月城は頭を上げない。

「まず頭を上げようか。それじゃ話もできない」


 頭を上げるのを待ったけれど、月城は一向にそうしようとしない。仕方なく俺は彼女の両肩を持って顔を上げさせた。ひどい泣き顔だけど瞳の輝きは強い。

「それって俺の嫌疑は晴れたってこと? 俺は月城の親を事故に遭わせた人間じゃないって信じてくれたってこと?」

「はい。だって……焼けたって言われてた自宅がこうして実在してて、しかもそこに連れてきてくれたのは、中学が同じで近所だったって証拠だし。おぼろにだけど、卒アルにも見覚えがあるような気が……してきてる」

「マジでか。それはもう……。ほんとありがたい」

「まだ調べたいの。自分の部屋とか。でももうこんな時間だし、その……ふ……副社長をつき合わせるのは−―」

「あー一個お願いしてもいい?」

「何?」

「まだ俺のことを思い出さないのはわかる。でも同級生だったって理解はしてくれたんだろ? だったらこういうプライベートの時には、副社長はやめてくれない? 仲良かったんだよ、俺たち結構。村上、って呼んでた、俺のこと」

「さすがにそれは……」

「頼むって」

「じゃあ、村上さんで」

「せめて村上くんにして」

「あの……。で、こんな時間まで付き合ってもらうの、申し訳ないから、もう帰っても……大丈夫、だよ? 実家近いならそこに泊まれるでしょ?」

「月城は?」

「わたしは、まだ自分の部屋とか調べたい」

「でも、ここじゃ寝れないだろ? 布団なんて十二年使ってないんだぞ? めっちゃ虫いそうじゃん。」

「……虫?」

「そう。ダニとか。あと部屋に絶対にいるのがGのつくやつな」

「…………」

「そんじゃあ、あと頑張れよ」


 俺はヒラっと手をあげて部屋から出ようとした。五歩くらい歩いたところで、先に進めなくなった。ダウンジャケットの裾を掴まれている。

「なんだよ、月城」

「えーと……。あれっ、なんか手が引っかかった……かもしれない」

 ぶぶっと吹き出しそうになる。計算済みに簡単に引っかかる月城がかわいい。君は虫が苦手で、特にGは名前を言われるだけで鳥肌を立てるほど大っ嫌いだったんだよ。そのくせ、掃除の時間に出てくると、本気で逃げ回りながら、無駄な殺生はやめろ! とかばか真剣に叫ぶちょっと変わったやつだったんだよ。

「素直じゃないんだよ。俺のが有利だからな? 月城が虚勢張って言ってんのか本音なのかすぐわかるから。昔と性格変わってないもん。めっちゃ顔にでる」

 俺は手のひらの一番下、骨の部分で月城の額を軽く押した。


「……」

「自分の部屋が気になるんだよな? そこには月城の中学時代がそのまんま残ってる。俺はここにいるよ。だから行ってこいよ。どの扉だか思い出した?」

「でも……悪い。こんな時間まで」

「俺も聞きたいことはあるんだよ。なんでCanalsを狙ったのか、とかな」

「そうだね。それもちゃんと話す」

「じゃ、行ってきなよ」

「……うん」

 月城は歩を進めようとしない。


「はいはい。Gが怖いんだよね! 一緒に行こう」

「あっ! わたしが最初に入るね! いいって言うまで入ってきちゃダメね!」

 月城は俺に背を向け、歩き出した。

「はいはい、承知しました。月姫さま!」

 おもむろに立ち止まるから、俺はつんのめって月城の背に突っ込みそうになった。

 月城はけっこうなスピードで振り返る。サラサラしたボブが宙に浮き、スマホの光の中でしなやかな半円の軌跡を作った。

「なんだよ」

 闇の中で濡れたように光る双眸が、強く俺の顔を見据えてくる。

「穴が開くって。そんなに見られると」

「ごめん……」



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