◇◇村上健司◇◇ 対峙
「盗聴器を仕掛けたのも君だろ。会話を聞いてここに俺のパソコンがあると知った。外部からのアクセスで失敗したから、本体パソコンから情報を流出させるしかないと判断したわけだ」
月城は夢でも見ているような表情で、まだ口を開くことができないでいる。
「なんでこんなことをやってる?」
「……わたしだって、わかってたの?」
「そうだよ。最初から全部が演技だろ? 美容院の俺の予約をハッキングして調べ、先に自分が終わるような時間に予約を入れた。わざとダウンジャケットを取り違えて、俺と接触を持って、自分を売り込んでおけば、Canalsのキャリア採用に有利になると考えた。違うか?」
「どうして……」
「もちろん最初からわかってたわけじゃない。だけど思えば初めから、何かはわからないが引っ掛かるものがあった。だから俺はスタバで月城に会った時、感触がよくてすぐにでも入社してもらいたいと強く思ったのに、推薦はできなかった」
「そうだったんだ…………」
「ずいぶん後になってから引っ掛かりの正体に気づいた。電報堂のSNS広告の部署が最近、大掛かりな改変をしたって話を思い出したんだ。まだ内部事情だったかもしれない。SNSを一括りにするんじゃなく、プラットフォームごとに細分化したって話だ」
「…………」
「俺の高校時代の仲間が電報堂にいるんだ。月城の名刺にあったSNS広告事業課は俺たち
が再会したスタバの時点ですでになかった。ギリギリな。だから月城のダウンジャケットに入っていたあの大量の名刺発注は、おかしいんだ」
「……そうなんだ……」
月城は視線を伏せて呟いた。
「その綻びから疑い始めて、ほぼ決定だな、と確信したのが、この間月城が手伝った浅見さんの担当案件のコードだ。周知の実力であんなコード作成ができるわけがない。親切が命取りになったな」
「…………」
「なんの目的でこんなことしたんだ? 月城。お前、こんな奴じゃなかったよな」
「何それ? ああ……。なんか最初に会った時、変なこと言ってたよね? 同じ小学校のクラスメイトだっけ? そんなはずはないよね? 歳が違うもん。まああの時はこの人なんか勘違いしてるんだろうな、って話合わせておいたけど。クラスメイトだと勘違いしたままの方が採用に有利だと判断したんだけど、態度に出ちゃって失敗したな、と思ってたよ」
「月城、本当に覚えてないのかよ? 思い出さないのかよ」
「悪い? 全部失ったんだよ、あの時。あなたに全部奪われたんだよ。わたしの父も母も。わたしの今までの記憶も! 全部。全部ね」
月城はそこまで言うと、椅子をひっくり返しそうな勢いで立ち上がった。パイプ椅子の脚がデスクに激突して大きな音を響かせる。無人の四十二階じゃなかったら何事かと人が集まりそうな音だ。
失った? 両親や記憶を失ったってなんだ?
月城は確か妹がいる四人家族で、ごく一般的な家庭のお嬢さんだったはずだ。
受験して私立中学に入った俺とは小学校で分かれてしまったけれど、実家のある地域は近い。月城の家はまだ新しく綺麗で大きな建売住宅だった。
おそらく小学校五年くらいから月城のことが気になり始めた俺は、遊び帰りに住所を頼りに彼女の家を探したこともある。暖色系のライトがリビングから漏れていて、母親らしき人の影がカーテンの向こうで動いていた。子供――たぶん月城と妹――がふざけ合っている、幸せ家族の典型のような
再開発なんかをされていない地域だから、たぶん今でもあるんだろう。
記憶を失った? だから俺のことを覚えていない? それなりに仲が良かった俺のことを覚えていないのはあまりにも不自然だとは思っていた。
それより……。
「月城。『あなたに全部奪われたんだよ』ってどういう意味だ?」
小学校を卒業してからその後、二、三回の同窓会以外で俺たちは会ったことはない。その後の繋がりはなかったはずだ。月城に何かの……記憶を失くすという人生をひっくり返すような重大事件が起こっていたことすら俺は知らない。
「それでも人間なの? わたしみたいに記憶を失くしてるわけじゃないのに、自分が殺めた人間のことを、どうやったら忘れられるの?」
「あ……? 殺めた? 殺めただと? 俺がか?!」
仰天する俺に、月城は、片側の唇だけをあげるような心底蔑むような表情をした。こんな彼女の顔は、小学校時代も再会してからも見たことがない。
「入社の面接の時さ、あなたがどんな顔するのかと、両親の事故のことをわざと話してみたんだよね。ちょっとは良心の呵責に苦しむかと思ってさ。結構、同情はしてくれたのか、顔色が失せてたから、それなりの感情はあるんだな、と思ったよ。月城、って苗字は知らないはずなのにね」
「苗字? いや……。なんの話だっての。最初からちゃんと聞きたい」
「自分の起こした無免許運転で二人も殺めておいて、未成年だからってごく軽い罪で済んでる。世間に名前も公表されず、今や上場企業の副社長だもんね。人生って不公平もいいとこだよね」
悲しく暗い底なしの池のような虚無と同時に、果てしない憎悪がこもった瞳が俺を刺す。興奮して上ずる声音をどうにか抑制しようとしている。
「待ってくれって、月城! 俺にはなんのことだか本当にわからない。俺は無免許運転で事故を起こしたことはない」
「これでもそう言えるの?」
月城は簡単な操作をしてから、俺にスマホを突きつけてきた。裁判記録のようだ。
「裁判は非公開だったしメディアも未成年だからって名前を報じることはなかった。今ほどSNSが発達した時代じゃなくて、あなたの実名が世に出ることはなかった」
「……マジか」
そこにあった被告の名前は〝村上健司〟だった。
「当時、未成年で精神的ショックが大きいとかで、弁護士が間に入って加害者には被害者の情報は徹底的に伏せたんだってさ。だからあなたは月城って苗字にも思い当たることはなかっただろうけどね」
いや、いくら未成年でも、被害者が加害者の名前を知らないなんて、無理はないのか? いや法律には詳しくないけど。
法定代理人、って人が月城の誰に当たるのかはわからないけれど、そいつが裁判記録を月城に見せたんだろう。もちろんなんらかの意図を持って、だ。俺が月城の苗字を知らない、って状況も、たぶんそいつが作り出した。彼女にそう刷り込んだ。
月城の同級生に〝村上健司〟という事故を起こした人間と同姓同名の男がいたことは、おそらくそいつは知らなかったんだろう。だけど俺にとって無実を晴らす最大の証拠がそこにある。本当にラッキーだった。
月城の古い裁判記録の年号と、被告人である村上健司の年齢、そして俺の年齢があっていない。俺と月城は小学校の同級生であり、同い年だ。被告人の村上健司は俺より二つ年上だった。
年号から計算するに、事故があったのは、おそらく月城が中二の時だ。
Canalsの副社長の名前が、たまたま自分たち姉妹の両親を殺した〝村上健司〟だった。それが、記憶を失っている月城を利用するのに好都合だった人物がいたんだろう。月城にCanalsの情報を流出させるよう指示を出した人物は、事故を起こした人間と俺は別人だと知っていたはずだ。
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