◇◇月城一颯◇◇ 違和感
想像していた人物像と、あまりに違う。
会議室で、大型スクリーンのレーザーポインターの箇所よりも、わたしはその前に立って説明を続ける村上健司に視線がいきがちだった。
Canalsの広いフロアに自分の居場所がある。やっとこの位置まで漕ぎ着けた。
Canalsの今までの歩みや功績を調べるうちに、気づくと強烈に惹かれている自分に愕然とする。
Canalsは創業時から常にファーストペンギンだった。
餌を取るための海には天敵のアザラシがいる。恐怖で入水をためらうペンギンの群れの中で、最初に飛び込む一匹のことをファーストペンギンというらしい。
そこから、ビジネス等でも先陣切って新しいことに挑戦する企業や個人のことを、指すワードにもなった。
ファーストペンギンは、天敵の餌食になる危険と引き換えに、一番いい獲物にありつける可能性が高い。
Canalsは他の既存のサービスとはかけ離れたものを提供し続けている。知れば魅力的だと思わずにはいられない。
けれど、会社の魅力と個人のそれは別物だ。
Canalsの副社長、村上健司は人間的には最悪に決まっている。倫理観もないクズに違いない。そう思っていた。
それなのに、最初にダウンジャケットの取り違えがあってスタバで会った時、あまりに想像していた対応と違って、内心戸惑いまくっていたのが本音だ。
覚悟を決めてスタバに向かった。でも、わたしがジャケットを取り違えたせいで、せっかくの休日に時間を割かれたというのに、責めるような事がまるでなかった。電報堂の名刺を持っているわたしに、下手な態度を取らないためなんだと思おうとした。
けれどわたしがAIに興味を持っていることや、デジタル分野にある程度精通していることを知った際の瞳は、子供が宝物を見つけた時みたいにきらめいていた。
きわめつけが、わたしが転職を望んでいると知った時のセリフだ。
「もし、よかったら。いや、よくなくてもぜひ、ぜひ聞きたいです、どこか」
〝よくなくてもぜひ〟ってなんだよ? と吹き出しそうになった。必死すぎだって。
あの時、わたしは自分の立ち位置を完全に忘れていた。
会社のために優秀なデジタル人材が欲しい、その気持ちがビリビリと伝わってくる。
村上健司はCanalsの副社長。わたしが、キャリア採用を狙っている会社の副社長の名前を知らないはずはないのに、そこには全く思い至らなかったようだ。
さりげなく、でも最大限の自己アピールはしたつもり。
そして、思惑通りにCanalsに採用になり、デジタル統括本部に配属になってからは、さらにその感触は強くなっていった。
村上健司は社員にこの上なく慕われている。普段から社員と非常に距離が近い副社長で、気安くなんでも伝えられる関係性を築いている事は、入社以来の観察で理解していた。
けれどこの間の歓迎ボーリング大会での言動は衝撃的と言ってもいい。若手社員が副社長を強引に三次会まで誘っている。仲間を誘うような気やすさだった。それに村上健司は嬉々として参加してしまう。
いくらなんでも行き過ぎじゃない? と疑問で眉間に皺が寄ってしまう。
その割に女子の帰宅時間の心配をするところは、しっかりと経営側だ。
大型スクリーンを使い、目の前で今後の事業展開やその心構えについて説明をしている村上健司。彼を見ていると、ついつい不思議な感覚に陥ってしまう。流されそうになる自分が嫌だ。
Canalsは対外的な約束の予定が入っていない場合、社員の服装は自由だった。それは副社長でも変わりはない。
今、村上健司は白のトレーナーに黒のテーパードパンツというラフな格好で、スクリーンの前に立っている。同じイケメンでも甘さを残す顔立ちの一ノ瀬社長と違い、村上健司は、雄々しい印象で野生のピューマを連想させる。
スポーツをやり続けているだけあって、それをアピールする服装ではないのに、立ち姿で体脂肪率の低さがわかる。
Canalsは副社長の村上健司同様、一ノ瀬社長もイケメンだし、なぜか創業メンバーが揃いも揃って見栄えがする。顔はそこまででも……って人でも、身長は高く体つきも皆引き締まっている。スポーツつながりの仲間で創業したからかもしれない。
それがここまでの急成長の要因ってわけでもないだろうけど、外見に引っ張られるハロー効果も、業績には貢献したように思えてならない。
新進気鋭の創業メンバーは高学歴のイケメン揃い。取引先にも大学の先輩は多いだろうけれど、そこで悪い印象を与えることはないんだろう。
熱意と自由な気風で、Canalsは創業からそう時間がたっていない頃から、一部の学生の人気を集め始めていた。最短でIPO(新規株式公開)の特集を、SNSの就活系動画サイトで特集された。それを機に人気に火がつき、加えてこの斬新な内装の新オフィスへの引越しで、それは就活生の間で確固たるものになったように見える。
ぼんやりそんなことを考えながら村上健司の話を聞く。
「じゃ最後に」
次のプロジェクトの大まかな概略を伝え終わるとスクリーンが切り替わった。
「ビジネスにおけるインパクトについてだ。常にこれを目指して仕事をしてほしい。自分も楽しく、相手も楽しい。仕事は総花的であるべきで、その目標に近づく一助となれば嬉しい」
「え……」
巨大スクリーン上の切り替わった画像に、わたしは思わず声を漏らしてしまったらしい。長テーブルに腰掛ける隣の女子社員がちらりとこっちに視線を向ける。
スクリーンには、山の上に、長く裾を引く衣服を纏った巨大な女性が立っている映像が、映し出されていた。
「白衣観音、超巨大な観音像だ。子供の頃の家族旅行で、国道を車で走っている時に見た光景に仰天した。山の上に人が立っている。だけどサイズ感が明らかにおかしい。人間の形をしているけど人間じゃない! 恐怖にも似た好奇心が強烈に湧いたのを覚えている」
わたしはなぜだか急激に悪寒に見舞われた。
「旅行後に小学校で友達に喋りまくったのを覚えている。どうだ、この映像。子供だったら触れ回りたいくらいのインパクトがあるだろ?」
怖い。すごくすごくすごく怖い。と、同時に……心の深い部分にある琴線に触れる気がした。なぜだかそれはとても柔らかく、甘酸っぱいものだった。
でもやっぱり恐ろしさの方がずっと優っている。
「のちのち忘れられないようなインパクトが大切なんだ。まず最初の一撃を与えること。僕にとっての白衣観音のように、みんなにもそういう経験があるかと思う。思い出してみてほしい。自分の概念が覆されるような衝撃を」
どうしてだろう。脳の一部がショートするような感覚がする。
「君たちが人生で感じた最大のインパクト。それを顧客やユーザーに提供できるようにーー」
村上健司の言葉がどんどん遠のいていく。
それでも目の前のスクリーンに視線が貼り付けられて、逸らす事ができない。
山の上に立つ人型。あれが……白衣観音。
吐き気が込み上げてきて、わたしは両手で口を押さえた。ぐらついて右肩が長テーブルの淵に激突し、痛みを感じる。次に頭がそこについたかどうかというところで、今度は身体が横に倒れていくのを感じる。
「月城?」
スクリーンの前でわたしの変化に気づいたらしい村上健司の呟きが、なぜか耳に入ってきた。
わたしは、気を失うのだろうか。気を失えば、みんなの前で嘔吐するなんて迷惑で恥ずかしいことにならなくて済む……とどこか冷静な自分が考えている。
「月城っ!」
叫んだのはおそらく村上健司だ。わたしは床の冷たさを感じた。
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