心は何処にあるのだろう。

秋一番

「心とは体のどこにあると思いますか?みなさんで話し合ってみましょう。」


遠い昔小学校の先生が道徳だったか総合学習の時間だったかにこんなことを言った。確かその日は朝から雨が降っていて教室が少し湿気っていた。窓の外には「雲ひとつ無い空」を真反対にしたかのような曇天が広がっており、窓には小粒の雨がぶつかっては儚く消えていった。それにしても大人に聞くにしても難しい質問だ。小学校のくせになかなか難しい質問をしてくるのだなぁと当時小学生の僕はナマイキにもそんなことを考えていた。この質問には様々な回答が挙げられた。「心は心臓にあると思う。」「心は脳にあるんだと思う。」などと言う真面目クン(チャン?)達もいれば、「心は手の中にあるんだ!」という奇抜な意見もあった。中には「心なんてどこにも無いよ。」などと大人たちの授業の方針を無視して尖ったことをいうものもいた。あのときの先生のなんとも言えない顔に気づいた者はどれくらいいたのだろう。ちなみに僕は1番賛同者が多かった「心は心臓にある」説に賛同しておいた。べつにカッコつけたかった訳ではないのだが、真面目に考えることがアホらしく思えてしまったのだ。

あのときの先生が明確にこの問題に答えを出したかどうかは覚えていない。「みんなの意見は素晴らしかった。」などといって有耶無耶にして終わったのだろうか。それとも、もっともらしくそれっぽく聞こえのいいことを言ったのだろうか。それとも、万人が納得するような神がかった答えを導き出したのだろうか。今となって知る由はない。


夜の公園でブランコに座りながら何となくこんなことを思い出してみたのだが、今の僕にはこの問いかけに対する明確な自分の意見を持っている。

「心というものは胸にある。なまりとして。」




僕の家は特にこれといった問題もなく、貧しくも豊かであるとも言えないフツーの家庭であった。これまでとくに大きな不満もなく両親も僕に愛情を注いで、時には少し過保護ではないかと思うくらいに大切に育ててくれた。時には厳しく叱られ時には頭を撫でられ時には一緒に泣いてくれたりもした。そんな両親のことは好きであり、日常に不満や心配が全く無いわけではなかったが幸せであった。このまま順調に人生が進んでいくことを願っていた。このまま、幸せに。


しかし、ある晩両親が夫婦喧嘩をした。6月12日だ。よく覚えている。喧嘩自体はべつに珍しいことではなく、半年に1回くらいは起こることであった。いつもなら次の朝にはお互いが普通に顔を合わせ、いつの間にか仲直りをしたのか互いの怒りが自然消滅したのかは知らないがそれで終わりであった。ただ今回の喧嘩はいつもの比ではなく、掴み合いの末皿は3枚割れて窓ガラスにはヒビがはいった。お互いがお互いを暴言で罵り合い、親の仇を見るような目で睨みつけ合っていた。親が本気で泣きながら喧嘩をしている所を見るのは衝撃的であり、足元がぐらりと揺れて立ちくらみがした。しまいには母親が荷物をまとめ家を出ていこうとした。隣の部屋に避難していた僕もさすがに取り返しのつかないことになると思ったのか母親を説得しに玄関へ向かった。「母さん。待ってよ。」そう呼びかけられて振り向いた母の目は赤く腫れており涙の跡が見えた。「父さんも少しカッとなっただけで本当はあんなこと思ってないよ。2人とも熱くなってあんなこと言っちゃったんでしょ?少し時間をおいて冷静になろうよ。」母さんは黙ってこちらを見つめている。手に持ったスーツケースをしっかりと握り離す様子はない。「ねぇだから行かないでよ。」僕が言おうとした時母は口を開いた。「どうせ私じゃなくてもいいんでしょ!?家事する人が居なくなってもお手伝いさん雇えばいいでしょ!」僕は破綻した論理をすごい勢いでまくし立てる母に気圧されて怯んでしまった。が、勇気を絞り出し僕は口を開く「違うよ!母さんだから僕は今引き止めてるんだよ。母さんに居なくなって欲しくないんだよ。」正直我ながらここまで子供が親に言えば折れてくれるだろうと思っていた。きっとこれで解決してくれるとまで思っていた。母のスーツケースを握る手はより一層強くなりしばらく沈黙は続く。そして母が口を開く。「男はみんなバカだ!あいつも!お前も!バカばっか!」そして僕をキッと睨んで「私は女の子が生まれて欲しかった!!」と言って家を飛び出してしまった。その時の母の言い方はまるで子供がただをこねるときのような言い方であった。つまり今の言葉は本心なのだ。そう感じた僕はその後しばらく何も考えられなかった。頭が真っ白になり言葉が上手く繋がらず、ただ母の言葉が頭の中で反響し続けていた。父が僕になにか声をかけようとしていたようだが無視して2階の自分の部屋に行った。2階に登る途中で家の壁を思いっきり叩いてしまい、壁に暗く大きな穴がぽっかりと空いた。


部屋に入ってベットに潜った。頭の中で反響する母の声を聞きたくなくて枕と布団で耳を塞いだ。僕はベットの上でのたうち回った。苦しかった。思えばあれは過呼吸というやつだったのだろう。まだ聞こえてくる声。右からも左からも反響して何重にも聞こえる母の声。「私は女の子が欲しかった!!」それはつまり僕は生まれた時母をガッカリさせたということだ。ということは僕は要らなかったのだ。今までの愛情だと思って受けとっていたモノは嘘であったのだ。あの愛は本心ではなかったのだ。今までの幸せは嘘で塗り固められたものであったのだ。僕は要らないんだ。ということに気づいた時胸が痛いくらいに苦しくなった。どれだけ転がり回っても痛みは消えず、どれだけ強く壁に頭を打ち付けても胸が痛み、血が出るほど胸を引っ掻いても苦しかった。胸の奥に沈んでるなまりのようなものからどす黒い「何か」がとめどなく溢れ出てくる感覚。漠然とした痛みと苦しみを感じた。しかもソレはどんどん大きくなってきて僕を内側から押し潰してくる。苦しかった。気持ち悪かった。



気づいたら公園のブランコに座っていた。どうやってきたのかは知らないが部屋着を着たままそのまま家を飛び出てきたようだ。誰もいない閑散とした公園。まだなまりからは「何か」が溢れ、胸を押し潰していて苦しかったが、外に出て少し和らいだ。外に出たくらいで和らいでしまう自分が嫌になる。こんなんだから僕は要らないんだ。捨てられるんだ。そう思って俯いたとき地面に水滴の跡が見えた。そこで初めて自分が今泣いていることに気づいた。胸はまだ痛い。胸を引っ掻いたときの傷よりも胸の漠然とした痛みの方が遥かに強かった。


このとき僕は思ったのだ心は胸にある、と。しかも心の奥の方になまりとして具体的に形を持って存在している。なまりだからどうしようもないほどに深く沈んでいて、僕が何をしようとどうすることも出来ない。でも、掴めたとしても手からこぼれてしまいそうだ。心は深く暗く軟らかく、そして、重い。

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心は何処にあるのだろう。 秋一番 @akikiako

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