人生で最もよく使った鍋敷きの話
月見 夕
汝、ゼクシィを買え
結婚。
これからの将来を共にしようと決めた二人が、戸籍をひとつにまとめる作業のことを言う。夢も希望もない言い方だが、愛だの恋だのを削ぎ落とせばそんな感じのイベントのことを指すのではなかろうか。これから結婚しようとしている人はこんな体験談なんて閉じてしまった方が身の為だ。
結婚するのかしないのか煮え切らない期間が長引けば長引くほど、もどかしいを通り越して面倒になってくる。俗に言う冷めた状態だ。
だからお互いの「よっしゃ今行こ」のタイミングが合うかどうかが最重要なのだ。なのだが、実際はとても気が気じゃなく、そんな余裕は一ミリもない。
なんせ私は当時三十を目前に控えた適齢期の女で、周りはどんどん結婚していき、田舎の両親からは結婚をせっつかれる日々であった。
田舎の初婚年齢の低さを舐めてはいけない。大体の同級生やその兄弟姉妹たちは大概所帯を構えて子供に囲まれている。タマホームのCMみたいな二十代で建てた家が軒を連ねていると思ってくれていい。独身の肩身はなかなかに狭い。
唯一私と同郷で同世代で独身をやっている、貴重な女友達がいた。
東京に就職した彼女は結婚願望はないものの、男が放っておかない美貌を持っていた。だからフリーではあったものの相手に困っておらず、地元に帰ってきては頻繁に「良い男紹介しようか?」と持ちかけて来る感じの女性だった。
当時流行ってた前髪掻き上げ系女子・中村アンに似ていたのでここではアンとしよう。
ある時、正月休みだからと地元に帰ってきたアンと飲みに行くことになった。
当時私には結婚を考えるような彼氏がいた。しかし相手にその気があるのかどうか分からない……という、今の私なら「さっさと直接聞けや」と言わんでもないふわふわ感の中で生きていた。
その煮え切らない話を酒の肴に聞いていたアンは、カクテルを傾けてこう言った。
「汝、ゼクシィを買いなさい」
聞き間違いかと思ったのだが、その目は真剣だった。なんでまた結婚情報誌を。
電車の広告やテレビCMなんかで目にしたことはあるから存在は知ってる。けどあれはプロポーズが済んで結婚に向かい足並みが揃ったカップルが手にするものではなかろうか。
家を買う気もないのにSUUMOカウンターに行くようなものだ。カウンターの人も迷惑だろう。結婚のけの字も出ていない私たちの状態からすると二三手早いように思う。
リクルートの回し者か? と首を傾げたところで、アンはふっと笑った。
「ゼクシィ。あれは結婚が決まった女性だけが読むものではないの。中身を読めば“解る“わ。あなたに必要なのは心の余裕よ」
彼女は付録目当てに毎号買っているそうだ。東京の女子の間ではそれが普通らしい。さすが日本の中枢都市、その一端を担う女性たちは面構えの前に心構えが違う。
本当に付録目当てなのかはさておき、その覚悟からは相当な気迫を感じる。
道理で彼女はいつも余裕なのだ。だっていつプロポーズされても大丈夫だから。大人の色香はあの結婚情報誌に裏打ちされていたのである。
早速その帰りにAmazonでポチり、かくしてゼクシィは寂れたワンルームに舞い降りた。電話帳サイズのそれは、薄目で見れば私の幼少期を支えてくれたちゃおに見えなくもない。適齢期の私を支えておくれ、ゼクシィ。
ほぼ御守りのような気持ちで抱えたそれは、過分な期待を乗せてずしりと重さを放った。
その二週間後に本当にプロポーズされ、その報告をいの一番にアンにしたのだが、返信はなかった。今もない。
まあ結婚するしないが絡んだ女同士の友情なんてそんなものなのかもしれない。
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