第29話 傷つくくらいなら その1
次の日のことだ。
人のまばらな朝の教室。
暖かな春の日差しが優しく照っている。
開けた窓から春風が吹き込む室内は清々しい。
晴れて接近禁止令が解除された俺は、数週間ぶりに手塚の席へ向かっていた。尽力してくれたおっぱいのでかいギャルには感謝しかない。ナイス乳メスブタ。つまらなそうに窓の外へ視線を投げる魔王の姿を見て胸が高鳴る。
そういえば、手塚のことを好きだと自覚して以来、はじめて話しかけるんじゃないか。妙に緊張するのはそのせいだろう。ドキがムネムネしている。平常心、平常心。大きく息を吸って、大きく息を吐く。しかし、いつも通りの自分であろうとするほど普段の調子からどんどん外れていってしまい、結局俺はロボットのような間抜けな歩き方になって彼の元へ辿り着いた。
「よっ、手塚。おはよう」
「……ああ、おはよう」
声に反応してジロリと向けられる三白眼。
相変わらず痺れる鋭さだ。だが、それがいい。
どこか驚きの色を孕んだ表情を浮かべる手塚の前の席に座る。
そして沈黙。
がやがやと、楽しげなクラスメイトたちの声がやけに気になる。
まるで、ここだけ発声禁止エリアになったみたいだ。
しまったな、何を話すか考えとけばよかった。喜び勇んでここへ来たのはよかったが、好きな相手との会話だと思うと妙に緊張してしまっていけない。今までなら友達として手塚と楽しくお喋りできていたんだが、心のうちが変わってしまうとこうも小っ恥ずかしい気持ちになるもんなのか。軽快なトークはできそうにない。
靄がかる脳を必死に回して話題を探る。頭の一番前の引き出しに入っていたのは、俺と手塚の鉄板トークテーマ『料理』だった。
数週間話しかけてこなかった奴がいきなりいつも通りのトークテーマで話し出すのって不気味じゃないか?
もっと他に、気の利いた会話の入り口はないんだろうか。
うだうだ考え込んでずっと黙っていると、驚くべきことに、いつも無口で無愛想な手塚の方から口火を切った。
「犬神、悪かったな。悪い気持ちにさせた」
「え?」
「しばらく話しかけてこなかったのは怒っていたからなんだろ? 俺の態度がいけなかったな」
魑魅魍魎の首魁のような悪辣なる顔立ちに反省の色をわずかにのせた手塚の眉尻がすこし下がる。
思わぬ言葉に次ぐ言葉がでず、俺は呆然と固まってしまった。
なぜだか手塚は、接近禁止令にて交流が絶たれていたこの数週間を、自分が俺を怒らせてしまったがゆえの別離だと勘違いしているらしい。馬鹿言うなよ、お前はひとつも悪くない。ようやく再起動した俺の口が動くより早く、手塚は言葉を継いでいた。
「一緒に帰ろうって誘ってくれた時も、放課後遊ぼうって誘ってくれた時も、俺はそっけなくお前の提案を蹴った。満足に理由も言わないで、ただ断って、一言謝るだけで済ませていた。だから俺に怒ったんだろ? 友達になったくせに、中途半端な態度をとる俺に、お前は苛立ったんじゃないのか?」
傷だらけの相貌に浮かぶ黒の瞳が真っ直ぐ俺を見つめた。
いつもからは考えられないほど饒舌。普段ならば動かない涼しげな表情は僅かに歪んで後悔を見せていた。そんな見慣れない様子を見せる手塚の姿からいつになく真剣な雰囲気を感じ取り、俺は急いで彼の間違いを正そうとした。
大袈裟に手を振って否定する。
「違う違う、ぜんぜん怒ってないって」
「……嘘をつかなくてもいい」
「いや、本当だって。俺がここんところ手塚に話しかけなかったのは──」
──恋する乙女協会とかいう謎組織を結成しているメスブタどもに接近禁止を言い渡されていたからだ。
素直にそう告げようとして、固まる。
脳裏にふと片瀬の顔が浮かんだ。
彼女のことを悪く言うことができなかった。
もし、俺の不用意な発言のせいで手塚と片瀬の仲が拗れてしまったら、そう考えるだけで申し訳なくなる。
たしかにあいつはメスブタだし、おっぱいが腹立つほどでかいし、俺の恋のライバルでもあるのだが、接近禁止令の撤廃に尽力してくれた彼女には大きな恩があるし、今は友情だって感じている。闇討ちのような真似はしたくなかった。倒すのならば、正々堂々がよかった。
だから俺は、下手くそでもなんでもいいから精一杯誤魔化すことにした。
「あれだよ、あれ、なんというか運勢的な占い的なやつが原因なんだよ。たまたま知ったんだが、ここのところは星の巡りが悪くてだな、友人との交流は凶星との思し召しがあったわけ。だから近づかないようにしてたんだよ。手塚の態度に怒っていたとか愛想を尽かしたとかそういうのは一切ないし、むしろそんな風に心配させて悪かったって感じだからほんとまったく気にしないでくれ」
「……犬神、占い好きだったのか?」
「まあ人並みにな。星座占いで一位だったら嬉しくなるくらいには好きだぞ」
「……そうか、俺もあれはつい見てしまうな」
必死に話す俺をじっと見ていた手塚が、ふっと力が抜けたような笑顔を見せた。
剣山の中にひっそりと咲いた青い花のような美しい笑顔。あまり笑わない彼が見せる優しい表情に俺の胸はギュッと締め付けられた。ただ、笑っただけ。たったそれだけなのに、なぜこれほどまでに俺の心は満たされてしまうのか。この笑顔をずっと見ていたい。できることなら一番近くで。
気を取り直して、俺は手塚にいつも通り料理の話をふる。
昨日の夕飯は偶然二人ともハンバーグだった。
俺の恋愛は修羅の道だ。
露骨なアプローチは逆効果。
一寸先も見えない暗闇の中、落とし穴のある道を手探りで進んでいくように、彼との絆を深めていくしか方法はない。きっと友達としてしか見てもらえないことだろう。よしんば関係を深めても親友のカテゴリーに分類されてしまうだけだろう。それでも、いつか訪れるかもしれない幸運を、ふいに見出すことができるかもしれない光明を、ただじっと待ち望むしか方法がないのだ。
歯痒くて、じれったくて、切ない毎日を過ごすかもしれない。
けど、それでもいいと思える。
たまにでも、手塚が俺に微笑み、この心を満たす笑顔を見せてくれるのならば、俺はいつまでも頑張れる気がした。
「おはよー!」
教室の前扉を開けて、元気いっぱいの片瀬が姿を現す。
彼女は教室の陰で集まっている眼鏡のおさげ女子たちのもとへ突撃して楽しそうにオタトークを繰り広げはじめた。相変わらずのコミュ力に感心していた時、ふと、昨日のスドバでのピニャとの会話を思い出す。そして、芋づる式に思い起こされる左近寺や金井との会話。聞くところ、全員手塚との関係にろくな進展がなかった。そのとき、考えたのだ。もしかすると、手塚は女に興味がないのかもしれないと。だとするならば、逆説的に、男に興味があるのではと。
もし、俺の願望を含んだ予想が正しかったとするならば、俺の恋は一気に進展の兆しを見せる。
意を決して、俺は手塚に尋ねることにした。
手に汗をかいている。
手のひらをスラックスにごしごし擦り付けながら、上擦りそうになる声帯を根性で制御して俺は聞いた。
「なあ、手塚。お前ってモテるじゃん」
「なんだ、突然」
「いや、さっき片瀬が目に入ってさ。それで、手塚ってよく片瀬に絡まれているだろ? それだけじゃなく、昼間とか日暮とか、隣のクラスの左近寺やら金井やらだってお前のとこに来るじゃねぇか。実際、気になっている子とかいるのか?」
「……そう言う話か」
いつも通りの憮然とした表情。
黙り込んだ手塚は窓に目を向けて遠くの山々を眺める。
気まずい沈黙だ。もしかすると俺は踏み込んではいけないところに足を置いてしまったのかもしれない。焦る。焦るが言葉が出ない。また手から汗が吹き出してきた。スラックスで拭う。手塚はまだ窓の外を眺めていた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
体感時間は凄まじく長かったが、実際には大して時計は進んでいないのかもしれない。
いつも通り無愛想な顔の手塚が俺を見る。
「良い機会だ。ちょっと二人で話そう」
そう言って、ふいに彼は席を立つ。
するとタイミングの悪いことに、始業五分前のチャイムが鳴った。
ブリキ人形のネジ巻きが切れたかのように固まった手塚は、ちょっとだけ鼻の頭に皺を寄せると、気恥ずかしさを隠すように喉を鳴らして席に戻った。そして、わざとらしく気難しい顔を浮かべ普段通りを装い言葉を並べた。
「……昼休み、話そうか」
「お、おっけー」
珍しい一面を見れた気がした。
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