第4話 侍女がかたる不適切な物語①





「記憶が……、ときどき、記憶があいまいにございまして、ほら、ここ、ここ、ここ」


 平緒は奇妙な仕草で執拗に側頭部を指でたたいた。


「い、いえ、堅女きためさまを、忘れるはずなどございません。お話しせねば、そう、そうにございます、お話しせねば……、わかっております。きちんと話せます。ど、どうか、罰を……」


 キョトキョトと不自然に動いていた視線が、急に定まった。

 背筋をピンと伸ばす。

 その姿は勅使として現れたときの老練な女官を思いださせるものだ。


 そうして、平緒は一本調子の抑揚のない声ではあるが、低い声で話しはじめる。それは講釈師が慣れた話を繰り返すような淀みない語り口だった──



*********



 あなたの母上さま、紀堅女きのきためさま……。


 彼の方は、それは美しく、聡く、才能に溢れてございました。

 今も、あの美しい声が耳に響いて、もうお会いできないと思うだけで涙がこぼれそうにございます。


 申し訳ございません。

 頭に痛みがずっとつづいて、ああ、そう、そう、堅女きためさまにございます。


 堅女きためさまは、紀寺でお育ちになりました。


 王都の南奥にある小さな山寺をご存知でしょうか。ほら、あの、山深い里にある辺鄙な寺のことにございますよ。


 堅女きためさまは幼い頃、紀寺の山門前に捨てられた縁から、『紀』という苗字を与えられたのでございますが、不敬にも人間どもは、彼の方を寺の奴婢ぬひとして扱われたのでございます。


 それでも堅女きためさまの卓越したところは隠しようもなく、少女の頃から、その美しさ、その才能で目立っていたと聞いております。

 霊的な力が高かった堅女さまが、『死霊に憑依する巫女』として知られるのに時間はかからなかったのでございます。


 堅女きためさまにお会いしてから、すでに三十年余の年月が過ぎました。

 きっかけは当時、仕えていた地方豪族の奥方さまのためでした。奥方さまがをご所望されたのでございます。


 当初は、「そんな得体の知れない者などに、かかわりにならないほうがよろしゅうございます」と、奥方さまをお諌めしたのですが、ある事情があって奥方さまも必死にございました。そこは、お察しくださいませ。


 寺に多くの米を寄進したうえで、堅女きためさまについて、和尚さまから伺いました。その能力は本物なのか。いかがわしい者ではないのか。


 和尚さまが申すに、幼い頃、夢で啓示を受けてから能力を得たという話でございます。


『そなたの霊力が試される。しかし、その霊力は恐れられ裏切られる。忠誠を誓え、けっして、われを裏切ってはならない』


 まあ、そのような啓示だったらしいのですが、わたしめは半信半疑にございました。


 当時、堅女さまは、まだ十代のように見えました。奴婢ぬひにしておくには、もったいないほど美しい少女にございます。


 そう、もし夜鳴媛よなひめさまの髪が黒ければ、堅女さまとよく似ていらっしゃいます。


 ともかく、聖なる御力によって、わたしめのお仕えする奥方さまは懐妊したのでございます。


「礼には何がよろしいか?」と、奥方さまが尋ねたところ、「その女を、わらわに寄越せ」と、お応えになられたのでございます。

「平緒にございますか」

「そうだ」


 それを聞いて、わたしめは舞い上がって、天にも登る気持ちにございました。

 奥方さまは感情の起伏が激しく、気分によって周囲のものに当たり散らすという、難しい方にございましたから。


 そうして、堅女きためさまの侍女となったのでございます。


 わたしめは当時から堅女きためさまは、この山寺で埋もれるような方ではないと確信してございました。


 予想した通り、堅女きためさまの御力みちからは、またたく間に王都に広がり、れん家の夫人にも届いたのでございます。


 れん家は代々、朝廷の最高機関である神祇官の長をになうお家柄。国政を左右する祭祀をつかさどる名家であり、また、『ジンを殺す者』の血が入った末裔にございます。


 何百年に一度は甦るという恐ろしい怪異を、この一族が結界によって抑えてきたというのでございます。


 そんなれん家に跡取りが生まれないことは、一家族の問題ではすまされない、国の大事にございます。その重圧は他のものには理解できないことにございましょう。

 

 旦那さまは家の外に側女を何人も抱えており、いつ正妻以外に男子が生まれるかわかりません。

 

 れん家の屋敷に入り、まったく懐妊の兆しのない夫人が、秘密裏に堅女きためさまを頼られたのもむべなるかなと存じます。


 そう、この部屋、ここにございます。

 上京した堅女きためさまは、この部屋に入られました。今でも鮮明にまぶたに浮かびます。

 部屋の中央に立った堅女さまは、誰に言うともなくつぶやかれました。


「ここから、×××はじまる」


 確かにそう言われたのでございます。高揚するというより、どちらかというと悲しいほど冷静にございました。


 祈祷をする上で、家人への禁止事項もございました。


おのこは、われの祈祷する姿をけっして見てはならぬ。もし、のぞき見るものがいらば、わざわいを招くであろう」


 そう宣言したのには理由がございます。

 堅女きためさまは祈祷にあたり、まず清廉な聖水でお身体を清められます。


 夜明け前に聖なる湧水を水浴みのツボに集め、衣服を脱ぎすて、その聖水で身体を清め、薄物だけを身にまとって祈祷に入られます。


 祈祷場は庭の中央にございます。

 そうでございます。今は池になっておりますが、当時は更地でございました。紙垂しでによって区切った場をお造りになったのでございます。


 祭壇には、ちょうどこのくらいの大きさ(そう言って、平緒は両手を広げて長さを示した)の御神木を置いておりました。


 結界内で、堅女きためさまは四半刻ほど叩頭したまま、祈祷文を唱えつづけます。


 身体から水分が蒸発する頃、手首と足首に取りつけた鈴を鳴らしながら、舞いがはじまります。


 水を弾くほどハリのある素肌に、べったりと張りついていた薄物が乾き、激しい舞で衣が乱れる姿は妖艶そのもので、見るものを魅了せずにおれませんでした。


 くるり、くるり、くるり、そう、くるり、くるり、何度も何度も回転して、ああ、堅女きためさまのお姿が目に浮かびます。


 ほんに、お美しゅうございました。


 少女と成熟した女の妖艶さを兼ねもつ不思議な色香……。

 人にあらざる神々しさで、取り憑かれたように舞い踊るお姿は、この世のものとは思えず、いっそ恐ろしくもあったのでございます。


 ある日にございます。

 ついに大殿おとど莲氏伊支馬れんうじいこまのこと)さまがご覧になったのでございます。

 この家の当主から、巫女さまの存在を隠すなど、そもそも無理な話にございました。


 神聖なる祈祷は人払いをして行われましたが、大殿さまを止めることは誰もできません。


 そうして三月が過ぎ、夫人がご懐妊なさったのでございます。


 夫人は喜びのあまり、この屋敷そのものを堅女きためさまに譲るよう、大殿おとどさまに進言なさったのでございます。

 もちろん、ある別心から、大殿おとどさまは賛成してございました。


 懐妊中の夫人の目を盗み、大殿おとどさまが部屋を訪れるのに時間はかからなかったのでございます。


 そうして、秘密裏に大殿さまと堅女さまの熟れた関係がつづくなか、出産の予定月となりました。

 しかし、御子は生まれる気配がございませんでした。


 大殿おとどさまが、産気づかない理由を、堅女きためさまに問いましてございます。


 堅女きためさまは、ある宣託をなされました。


「命には命を」

「どういう意味で申しておる」と、大殿さまは問い詰めました。

「御子のために、われがすること。何も問わずにできましょうや」

「よい、そなたの思う通りにせよ。子が無事に生まれれば何も申すまい」

「お言葉、くれぐれもお忘れなきよう」


 それから、三日三晩。夫人は苦しみ抜いたのち、天祥さまをお産みになったのでございます。

 まさか、産んだ直後に……、堅女きためさまによって自分が殺されるとは、夫人には思いもよらなかったことでしょう。


 その時、大殿おとどさまは知ったのでございます。「命には命」という意味を。


 堅女きためさまの所業を、誰も訴えることはできませんでした。何しろ、待望の後継がお生まれになったのでございます。


 いずれにしろ、ご出産により、夫人の身体はひどく弱っておりました。

 堅女きためさまが刺殺なさらずとも、生き延びることは難しかったのでございます。


 その後、堅女きためさまは大殿の妻として迎えられ、天祥さまは堅女きためさまの腕のなかでお育ちになったのでございます。




 (つづく)

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