断章Ⅲ Exist
第二十六話〈断章Ⅲ〉 Exist
薄い意識の中。一面真っ暗な世界にユウキはいた。
どこに視線を向けても、景色は漆黒の闇でしかなくて。けれど、光の粒子と化した自分の身体が、ここが取り込まれた〈天使〉の中なのだということを静かに告げている。
……どうも、私はまだ完全に同化されたというわけではないらしい。
薄れた意識に、不愉快な“音”が直接入り込んでくる。
――なぜ、私達の同化を拒む?
――私達と同化すれば、お前が想い続ける故郷の人達とも再会できる。お前の望む者と一つになれる。孤独も悲嘆もない、幸福のみの世界を、お前はなぜ拒む。
「それがどうした」
〈天使〉の発する言葉を、ユウキは一笑に付す。
「私は、この世界に居たいから貴様らを拒否している。貴様の創り上げる世界には賛同しない。それだけだ」
〈天使〉に同化された者たちは、彼らが個々に持つ情報――
彼らの言う「幸福のみの世界」とは、個人や他者という枠組みを一切排除し、それぞれの持つ思考や感情といったものをなくすものになる。
そんな世界は、私には必要ない。
「この世界からいなくなることよりも、貴様の言う他者と一つになる世界よりも。私は現状を、この世界に個として存在することを選ぶ」
五年前の私には、自分という存在がなかった。両親の強制するままに振る舞い、感情を抑制していた。だから、〈天使〉に取り込まれかけた。
だが。今の私には、確固とした「自分」がある。納得のいかないことには従属しない、己の行動は己の意思で決めるといった「自分」が。
そして。なにより。私は、他者のいない世界など望まない。自分が存在しないことの幸福よりも、存在して他者と共存する痛みを選ぶ。
ユウキの目の前に、右目を包帯で覆った幼き日の自分が現れる。両親の期待を一身に受け、自身の感情を全て封じ込めていた五年前の自分だ。
情動の一切を抑制した瞳が、ユウキをまっすぐに捉える。
「ほんとうは、怖いんじゃないの?」
強引に呼び覚まされた記憶は、両親から受けた虐待の記憶だ。
幼少期の私は、両親の期待に沿った言葉や行動をとることが強制された。私の思いや感情は全て無視され、時には著しい否定を受けた。その結果が、今の私だ。
何にしても感情を表に出せず、まともに表情をつくることもできない。他者を必要としているのに、怖くて本心を打ち明けられない。全てをさらけ出すことができない。
だから、ミユキと再会してもずっとすれ違ってしまった。ありもしない罪悪感にずっと気付けなかった。彼の心に触れるのが怖かったから。
「私は、自分以外の人が怖いんじゃないの?」
――どうせ、その右目の傷もお前を恨んだやつがやったんだろ!?
表出させられた記憶は、ユウキの心を容赦なく突き刺してくる。
大切な人を喪った悲嘆と後悔が紡いだ痛切な言葉が、他者への攻撃性となって現れたものだ。自分の失策のせいで失ってしまった命だから、受け入れなければならなかった言葉だけど。けれど。
「ああ、そうだな。私は他者が怖い。今も昔も、ずっと」
分かってはいても、怖い。
過去は両親の存在が。今は私をなじる言葉が。気にしないようにはしているけれど。それでも、やっぱりそういう言葉は痛いし、怖い。
「だが。それは私という存在があったからこそ受けることができた痛みだ。そして。あの時お前たちを拒んだからこそ、私は今、他者を理解し想うことができる」
五年前のあの時、ミユキが私を助け出してくれたから。〈天使〉を拒むことができたから。だからこそ、今の自分がある。
あの日〈天使〉と同化していたら、私は幼馴染たちと楽しく過ごすことはできなかった。ラプラスに出逢うこともなかった。死んでいった者たちを
……ミユキを好きだと、思うこともできなかった。
「なのに。また私はミユキと一つになりたいと思ってる」
「それはお前が私を同化した影響だ。たとえ本心であったとしても、今の私は五年前のような感情は持ち合わせていない」
目の前の「自分」がぐにゃりと歪み、そして消えた。
真っ暗な世界の中で、ユウキは〈天使〉の最後の問いを聞く。
――世界を恐怖するのに、なぜ私達の安寧の世界を拒む。なぜ、痛みを拒まない。
ふっと、ユウキは軽快に笑った。
「恐怖も悲嘆も、全て私という存在があるからこそ得られる痛みだ。そして。私という存在があるからこそ、今、私は他者と共存する喜びと幸福を得られている」
意志を固めるように、ゆっくりと目を閉じて。ユウキは決然と告げる。
「私は、アレンやレツィーナと――ミユキと共に生きたい。それだけだ」
この戦争の行く末などユウキは知らない。けれど。自分の手の届く範囲ぐらいは。そう思った。
――理解不能だ。
と、脳内に〈天使〉の音が直接響いてくる。直後、ユウキは意識が急激に遠くなる感覚に襲われた。同時に襲ってくる激しい頭痛も相まって、ユウキは自分の意識を手放しそうになる。
舌を噛み切ろうとして――身体の感覚がないことに今更気づく。その間にも、意識はどんどん遠いところへ行こうとしてしまう。真っ暗な世界が消えかけた――その時だった。
「お姉ちゃんは、まだこっちにきちゃダメ」
突然、幼い少女の声が脳内に響き渡った。
「っ……!?」
驚くのもつかの間、ユウキの手を誰かが上へと引いていく。手の感覚はないが、そうされているのだと直感が告げていた。
意識が幾分か戻ってくる。と同時に、先程の声に妙な既視感が浮かび上がってくる。
……この声。どこかで聞いたことがあるような……?
「今は自分の意識を強く保つことに集中して。……大丈夫、お姉ちゃんがこの世界に居たいと思う限り、お姉ちゃんは消させないから」
険しい、けれども優しさの含まれた幼い声音だ。
……やっぱり、この声はどこかで聞いたことがある。
そんな確信と共に、ユウキは自分がここにいるということを考え続ける。自分の名前、誕生日、年齢、性別……様々な自分に関する情報を、頭の中に何回も思い浮かべる。
自分という存在はこういう者なのだと唱えるように。
相変わらず激しい頭痛の中、ユウキは一言、とても小さな声音で呟いた。
――私はここにいるぞ、ミユキ。
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