第二十三話 生と死の狭間

 それから数週間、ミユキは絶望の中でリハビリと治療だけに専念した。病院にいては何をするにしても大きな制限がかかってしまうし、なにより、それらをする時だけは辛い気持ちを遠ざけることができたから。喪失感から逃げるようにして、ミユキは自分の回復に目を向け続けた。

 専念の甲斐あって、七月の終わりごろには入院前の水準にまで身体の筋肉は戻っていた。同化による影響も完治したミユキは、軍令部から元の駐屯地での待機とを命じられた。




 八月一日。晴れて軍病院を退院となったミユキは、元いた駐屯地――技研科の近くにある特設S技術T試験部隊Tの兵舎だ――へと帰っていた。

 支給された食糧品のキャリーバッグを片手に、ミユキは誰もいない兵舎の中へと足を踏み入れる。ラプラスについては、最終作戦前の調整のため、当分この部隊に帰ってくることはないとの通達があった。


 一ヶ月近くを空けていた兵舎の中は、少し埃っぽくて。窓際に目を向けると、宙を舞う埃が陽の光を反射していた。

 明かりを付ける気にもならず、ミユキはそのまま食堂を突っ切ってキッチンへと進んでいく。無音の兵舎は、否応なしに孤独と喪失感を際立たせてくる。

 食糧品を冷蔵庫へと詰め替えると、ミユキは一本のペットボトルだけを持って二階へと上がる。二階の最奥さいおうにある執務室が、ユウキの使用していた部屋だ。


 ドアノブを捻って、中へと踏み入る。

 照明をつけて部屋を見渡す。部屋の中は、隅から隅まで整理整頓されていて。本当に女子が使っていた部屋なのかを疑うほどに、私物は少なくて、そして素っ気ないものだった。

 唯一置かれている鏡だけが、彼女がいたことを示している。


 執務机の横を通り抜け、カーテンと一緒に窓を開ける。目に飛び込んでくる蒼穹そうきゅうはとても綺麗な青色で、なのにミユキの心はちっとも動かされない。

 遅れて吹き込んできた突風は、夏に特有の暖かい風だった。


 パタン、と何かが倒れる音がして、ミユキは「ん?」と振り返る。

 音のした先、執務机には倒れた写真立てが置いてあって。ミユキは何気なくそれを手に取る。

 中に入っていた写真に、息が詰まった。


「――――!?」


 その写真は、一見ただの紙くずのようにしか見えない。だが。よく見てみると、そこには在りし日のみんなの姿が映っていた。

 ユウキはもちろん、ミユキにアレン、レツィーナや、更にはキルシェミユキの妹や故郷の同級生までもが一同に介している。


「……集合、写真」 


 写真に残っている桃色と幼い容姿から察するに、これは小学校の入学式で撮ったものだろう。それも、式が終わったあとに撮ったプライベートなものだ。

 両親から強い束縛を受けていたユウキが唯一、欲しいと言ってミユキの家にひっそりと訪ねてきた時のもの。あまりに珍しいことだったので、記憶に残っている。

 抑えていた感情の堤防が、ゆっくりと崩壊していくのをミユキは感じる。


 ……なんで。こんなにみんなを想っていたやつが。ユウキが、消えなくちゃならないんだ。


 ぶり返してきた後悔と悲嘆の嵐が、ミユキの心を掻き乱す。奥底にずっと閉まっておいた感情が、流れ出てきては止まらない。

 ユウキは、おれたちに生きていて欲しいと思っていた。彼女は、一緒に生きようとおれに言ってくれた。

 両親もキルシェも、アレンもレツィーナも。みんな、おれに生きろと、生きていて良かったと言ってくれた。


 目頭に熱いものが込み上げてくる。涙を流すのは、これでもう何回目だろう。

 写真立てを両手で大事に抱え込んで、膝から崩れ落ちる。

 ずっと渦巻いていた希死念慮が、別の感情とせめぎ合いを始める。


「これじゃあ、死ねないじゃんか…………!」


 震える声で呟いて。ミユキは、その場で泣き続けた。

 いなくなりたい気持ちと、生きなければという感情の合間を何度もさまよいながら。

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