第十八話 作戦開始

 聖暦二一四六年、六月二二日。ブレンツラウ中継基地。

 未だ夜の静けさが周囲の平原を支配する中で。ミユキたちは輸送機に乗って出撃のときを待っていた。


 窓外に見える空は、あいにくの一面雲に覆われた鈍色にびいろで。航空機が空を飛ぶには、あまり適さない天候にもみえる。だが。そんなことはお構い無しに、先遣隊の航空機は次々と滑走路を離陸していた。

 先遣隊は、小型の戦術核と通常のミサイルの両方を積んだ戦闘爆撃機と、魔導士部隊を乗せた輸送機から構成されている。作戦によると、彼らが〈天使〉の前進拠点――〈ドーム〉までの道を切り拓いてくれるらしい。


 そして。その開いた道から〈ドーム〉へと進撃するのが、ミユキたち強襲魔導士部隊の役目だ。

 北へと一直線に向かう大編隊から目を離し、意識を自分の乗る輸送機内へと戻す。

 隣に乗っているのがユウキで、通路を挟んだ向こう側の後ろにまとまって座っているのがアレンの率いる第一八九魔導士小隊だ。緊張を紛らわすためなのか、そこからは小さな話し声が絶え間なく聞こえてきていた。


 ツー、という音ののち、輸送機の操縦士パイロットの声が機内無線で届く。


『只今、統合軍司令部より出撃命令が下達されました。よって、これより本機も離陸準備を開始します』


 その言葉に、つい先程まで喋っていた声が小さくなる。ミユキも、自然と顔が強ばるのを感じていた。


「……なんだ、緊張しているのか?」


 ユウキがちらりと目線を向けてくるのに、ミユキは小さく笑みをこぼす。


「ほんとに、この時が来たんだなって思って」


 今から約三十年前。北極点基地エルドラド・ベースの爆発事故から今日の作戦まで、人類は〈天使〉を前に後退と挫折ばかりを余儀なくされていた。

 しかし。そんな敗退の歴史は、今日をもって終わりを告げることとなる。そして。その第一歩は、ミユキたちの活躍にかかっているのだ。

 今更そのことに実感が湧いてきて、ミユキは重圧と緊張に心が押し潰されそうになる。


「戦場こそ初めての場所ではあるが、今まで通りの行動さえできていればそう簡単に死にはしない」

「……ああ」


 こくりと、ミユキは頷く。

 戦場こそ未知の場所とはいえ、敵そのものは今までと同じ〈天使〉だ。〈智天使ケルビム〉さえ撃破できれば、みんなの実力があればあとはどうとでもなるし、味方の戦力も、攻勢をかけるには十分な数が確保されている。


 だから。いつも通りのことをすれば、全員が生還できる可能性は高いのだと、頭では分かってはいるのだが。

 どうにも、心配と不安が拭えない。


『そう心配すんなって。なんてったって、今日はがついてるんだからな』


 耳につけていた複合通信機から、抑揚の効いた男性風の機械音声が届く。その聞き慣れた声に、ミユキは自然と小さく笑みをつくっていた。


「久しぶり、ラプラス。一週間ぶりだな」

『よっ。二人とも元気にしてたか?』


 声の正体はラプラスだ。彼がこの基地に到着したのは今から十分前で、定刻のギリギリになってやっと精神接続クロッシングができた次第である。遅れた理由を聞いたところによると、最終調整に思いのほか時間がかかってしまったらしい。


「最終調整はどうなったんだ?」

精神接続クロッシングの感度調整と、異次元転移痕てんいこんの検出範囲を一〇%拡大。それと、魔導の出力上限が一五〇〇%になった』

「では、使用感は以前と変わらないという認識でいいな?」

『それで大丈夫だ』


 二人の業務上のやり取りを隣で聞きながら、ミユキは目をつぶる。

 一週間の休息期間があったとはいえ、今は午前の四時だ。就寝時間こそ二一時ではあったものの、起床が午前一時だったためにミユキはいつもの半分程度しか寝れていないのだ。〈天使〉の非活性化時間がこの時間帯だから仕方ないとはいえ……さすがに眠い。

 睡眠不足は判断ミスのもとにもなるので、隙間時間に少しでも睡眠をとろうとした――その時だった。 


 再び、機内無線に操縦士パイロットの声が響く。


『これより本機は離陸行動を開始します。各員、シートベルトを着用して離陸に備えて下さい』


 そう、操縦士パイロットが宣言すると。

 機体はゆっくりと滑走路の上を走り始めた。




  †




 空のそこかしこで戦闘の極光と爆炎が咲く中を、ミユキたちの乗る輸送機はお構いなしに駆け抜ける。

 近くで爆発が起きる度に機体が揺れ、防弾ガラス越しに伝わる炸裂音と刹那の光が機内を幾度となく駆け巡る。


 ブレンツラウ中継基地を発ってから二時間、戦闘領域に入ってから十五分。

 〈D-TOS〉の戦闘準備を終えたミユキたちは、座席にしがみつきながら作戦開始の時を待っていた。


「これ、ほんとに投下地点はまだなのか……!?」


 もう何度目かも分からない閃光と座席の揺れを感じながら、ミユキは問いを投げかける。

 いくら護衛の部隊がいるとはいえ、この近さで戦闘が起きているのは流石に不安だ。もしかして、既に投下地点を過ぎてしまっているんじゃないかとミユキは勘繰る。


『投下地点ポイントはあと五〇〇メートル先だ。歌でも歌いながら待ってろ』

「そんなのできるわけないだろ……!?」


 言い捨てて。より一層激しい揺れに、ミユキは歯を食いしばる。こんな不規則な振動のある場所で歌なんて歌えば、誤って舌を噛みかねない。こんな時にも飄々と喋れるラプラスを、ミユキは少し羨ましいなと思った。

 冷然とした面持ちを崩さぬまま、ユウキは淡々とした口調で訊ねる。 


「ラプラス、第一八九魔導士小隊との精神接続クロッシング同期は完了したか 」

『ああ。そちらも準備オーケーだ。繋げてみな』


 耳の複合通信機に手を当てて、ユウキは口を開く。


「アレン、聞こえるか」

『ああ、聞こえてる。……ミユキも、聞こえてるか?』

「大丈夫だ。ちゃんと聞こえてる」


 空を覆う無数の純白――〈守護天使ガーディアン〉の勢力圏内では、電波による通信は阻害されて使えない。そのため、軍では〈D-TOS〉を中継とした量子通信によって連絡手段を確保しているのだ。

 ツー、という音ののち、操縦士パイロットの声が機内通信に響く。


『投下ポイントに到着しました。これより、後部の降下ドアを解放します。……どうか、ご武運を』


 二人はこくりと頷くと、すぐさま席を立った。ミユキが後部へと足を進める傍ら、ユウキは機内通信に告げる。


「ここまでの輸送と激励、感謝する。……貴方も、また再会できることを期待している」


 では、と言い置いて、ユウキは通信を切る。駆け足でこちらに来るのを確認すると、今度は複合通信機越しにアレンの声が聞こえてきた。 


『まずは俺たち第一八九魔導士小隊が先に出る。特設S技術T試験部隊Tは俺たちの後に続いてくれ』

「え……?」

「了解した」


 質問をする前に、ユウキが了承を返してしまった。

 行き場のない質問にモヤモヤしていると、それを精神接続クロッシングで感じ取ったらしい。ラプラスが解説を付け加えてきた。


『俺たちが戦うべきなのは、〈座天使ソロネ〉や〈智天使ケルビム〉みたいな大型の〈天使〉だ。この戦場の最強戦力にあたる俺たちには、雑魚に構ってられるほどの余裕も時間もない」


 「そういうことか」と、ミユキは納得の声を上げる。確かに、階級二位や三位の〈天使〉と連戦するとなると、文字通りの死力を尽くした戦闘が要求される。そして。恐らく、そこに他の〈天使〉に構うような余裕は発生しない。

 アレンたちが降下していくのを見ながら、ユウキが問う。


「レーダーの応答は?」

『〈座天使ソロネ〉が三体に、〈智天使ケルビム〉が一体だ。時空歪曲率から推測するに、まだ増える可能性がある』

「……了解した」


 と、呟いて。数秒の沈黙ののち、ユウキは再び口を開いた。


「こちら特設S技術T試験部隊T隊長、ユウキ・アレスシルト。第一八九魔導士小隊に告ぐ。敵大型〈天使〉の増加が予測されるため、作戦行動開始後、私たちは〈智天使ケルビム〉の撃破を最優先に行動する。よって、貴官らには進路上に存在する〈座天使ソロネ〉の牽制および戦闘区域の確保にあたってもらいたい」

『……了解』


 帰ってきたのは、短い言葉だけだった。


「では、私たちも行こう」


 ああ、と、短く応答して。直後、二人は後部ドアから空に飛び降りた。

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