第十七話 対話と本心

 その日の夜は、作戦説明のあとの緊張と不安で中々寝付けなくて。ミユキは気分転換でもしようと、屋上へと向かっていた。

 向かう途中に見えた時計の針は、午前一時を指していて。三時間も寝付けないでいたのかと、ミユキは自分自身にため息をもらす。こんなに寝れないでいるのは、五年ぶりだ。


 薄暗い廊下と階段を抜け、屋上に続く扉を開ける。踏み出したミユキを出迎えてくれたのは、雲一つない満天の星空だった。

 見渡す限りに視界を遮るものはほとんど何も無く、眼下の基地には最低限の照明だけが静かに基地を照らしている。空を見上げると、そこにあるのは見慣れた二つの交錯した銀河だ。数億光年という長い年月をかけて融合を果たすらしい、宇宙の神秘の一つ。

 ミユキたちの駐屯基地ほどではないにしろ、ここでも夜空は絶景と言って差し支えない光景だった。


「どうした、こんな時間に」


 聞き慣れた少女の声に、ミユキは視線を前へと戻す。そこには、マグカップを片手に欄干らんかんにもたれるユウキの姿があった。

 苦笑をもらしながら、ミユキは答える。


「ちょっと寝付けなくてな。ユウキは、なんでこんな時間に?」

「分析が一段落したから、休憩にだ」

「分析? 何の?」

「今行っているのは、対〈智天使ケルビム〉戦闘についての戦術だ。先の討伐作戦では、私たちは大きな苦戦を強いられただろう。あんな薄氷の勝利は、二度と御免だ」


 ユウキが肩を竦めて微笑をつくるのに、ミユキもつられて笑う。こんな穏やかな表情をするユウキを、ミユキは初めて見た気がした。

 彼女の隣に駆け寄って、ミユキも同じように欄干らんかんに両腕を載せる。視線を横へとずらすと、丁度コーヒーを飲むユウキの姿が目に入った。


「……こんな時間にコーヒーなんて飲んで大丈夫なのか?」


 知っての通り、コーヒーに含まれるカフェインには覚醒作用があり、眠気を取り除く効果がある。そんなものを午前一時こんな時間に飲むというのは、あまりよろしくないんじゃないだろうか。

 第一。昨日は半日中〈D-TOS〉を使いっぱなしだったのだ。さすがにそろそろ脳を休めてあげないと、明日に響く。

 そんな心配を知ってか知らずか、ユウキはさらりと告げる。


「問題ない。このあとも、もう少しだけやる予定だからな」

「もう少しだけって……。今、何時なのか分かってるのか?」

「午前一時だろう? それも承知しているさ」

「だったら、なんで」

「今分析中の資料が、もう少しで終わりそうなんだ。これを中途半端に残しておくのは、どうにも落ち着かなくてな」

「……なんだ、それ」


 思ったよりしょうもない理由に、ミユキはがっくりと欄干らんかんにもたれかかる。

 変なところで不器用なのは、昔から変わらないけれど。だからって、そんなところで不器用を発動させなくてもいいのに。

 はぁとため息をついて。ミユキはユウキに視線を送る。


「まぁ、俺たちのために頑張ってくれるのは嬉しいけどさ。あんまり、無理はするなよ?」


 ユウキはこくりと頷いて。


「ああ。それは承知している」


 と、嘘偽りのない双眸でそれだけ答えた。

 それきり会話は途切れて、二人の間には心地のいい沈黙の時間が訪れる。

 静謐の星空の中。ミユキは、こんな平穏な時間が永遠に続けばいいのにと心の底から思った。

 なんとなくユウキの横顔を眺めていると、ふと、右手でマグカップを傾ける彼女と目が合った。左右で色味の違う緑玉エメラルドの双眸が、こちらを向いてぱちくりとまばたく。


「……お前の分もれてこようか?」

「え?」


 今度はミユキがまばたくのに、ユウキはちょこんと首を傾げる。


「欲しいのかと思ったんだが。違ったか?」


 ……そんなことは全く考えてもいなかったんだけど。

 しばし考えてから、ミユキは答える。


「……まぁ。わざわざ淹れてもらうほどではないかな」


 美味しそうだなとは思うが、今の時間に飲むとこのあと寝れなくなりそうだ。寝るために来たのに寝れなくなってしまうのは、本末転倒でしかない。


「……仕方ない」


 と呟くと、ユウキは自分の持っていたマグカップを差し出してきた。


「残りをやる。多少冷えてはいるが、まだ美味しいはずだ」


 差し出されたマグカップを、しばし見つめて。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 一言入れて、ミユキは彼女のマグカップを右手で譲り受ける。ぐい、と傾けると、口の中にほろ苦い液体が流れ込んできた。

 コーヒーに特有のこうばしい匂いが鼻をくすぐり、苦味の中にきめらく甘味とわずかな酸味が独特な美味しさを醸し出している。

 この味だと……コーヒー以外には何も入っていないな?


「お前、ブラックで飲んでるんだな」

「それが一番早いし、美味しいからな。……なんだ、お前は無理だったか?」


 疑念を瞳に灯すユウキに、ミユキは優しく笑う。


「いつもはオーツミルクと人工甘味料シロップ入れてるから、こんな味なのかと思って。……けど、これはこれで美味しいな」

「そうか。ならよかった」


 にこりと口元を緩めて、ユウキは満天の星空へと視線を向ける。交錯する二つの銀河と散りばめられた星雲が美しい、見慣れた星空。

 再び訪れた沈黙に、ミユキはしばらくの間押し黙って。

 ふと、意を決したように訊ねた。


「ユウキは、なんで軍に入ったんだ?」

「……なんだ、急に」

「お前の父さんと母さんが軍人で、お前を軍人にしようと育ててたのは知ってる。けど。だからって、軍人になる必要なんかなかったんじゃないのか?」


 ミユキは知っている。彼女が、両親の期待と夢に押し潰されそうになっていたことを。己のやりたい事がなにもできなくて、静かに心をすり減らしていたことも。

 だから。なぜ、両親の呪縛がなくなってもなお、ユウキが軍人という道を選んだのか。ミユキには分からなかった。

 視線を星空へと投げかけたまま、ユウキは答える。


「私にできることは何かと考えたとき、それしかなかったからだ」

「え……?」

「目が覚めた時には故郷は滅び、両親は戦死し、お前たちとも二度と会えない状態なのだと聞かされていた。その当時の私は身寄りもなく、そして生きる希望も持ち合わせてはいなかった。そんな私が唯一できることは、軍人として戦場に立つことだけだと思ったんだ」


 軍人になれば、両親との繋がりだけは感じられる。〈天使〉と戦うことで、故郷と友を失った絶望は忘れることができると。当時のユウキは、本気でそう思っていたのだ。

 暗い表情をするミユキに、ユウキは視線を送って肩を竦める。


「……そんな顔をしないでくれ」

「だって、お前」


 それが原因だったのなら。おれがお前を戦わせたようなものじゃないか。

 俯くミユキに、ユウキは確固とした声音で告げる。


「たとえ敷かれていた人生であっても、それしか選択肢がなかったとしても。この仕事は、私が、私の意志で決定し選択した未来だ。だから。私は、この選択に一切の後悔はない」


 一点の曇りもない言葉だった。

 そこまで強い意志で断言されてしまっては、ミユキは何も言えなくなってしまう。彼女が納得し、そして自分の意志で選んだものならば、喜ぶべきものなのだ。

 だって。それまでは、何一つ自分の意志で決めさせて貰えなかったのだから。

 「そっか」とだけ呟いて。ミユキは精一杯の笑みをつくる。心の内にくすぶる感情を、賞賛すべき第一歩なのだと塗り潰して。


「ミユキこそ、お前はなぜこの道を選んだんだ?」


 軽く、けれども真剣さのこもった声音でユウキは問うてくる。

 今度はミユキが空へと視線を向けながら答えた。


「……力が、欲しかったから」


 脳裏に巡るのは、五年前の記憶。〈天使〉の襲撃を受けた時の記憶だ。


「五年前のあの時、おれは何もできなかったんだ。父さんと母さんを見捨てて、光になって消えていくキルシェを、おれはただ見て、逃げることしかできなかった」


 生きろとだけ言い遺して、両親はミユキたちを逃すために無謀にも〈天使〉に立ち向かって行った。

 それなのに、共に「生きろ」と言われたキルシェが光の粒となっていくのを、ミユキはただ見ていることしかできなかった。

 大切なものは、何一つ守ることができなかった。


「あんな想いはもう二度としたくないと思ったし、誰にもして欲しくないと思った。だから……かな?」

「……かな?」


 案の定、疑問形になってしまったところを突っ込まれてしまった。無意識に出てしまったとはいえ、この流れで疑問形は流石に不自然でしかないだろう、自分。

 今更嘘を言ったところで通じないと判断して、ミユキは実際のところを打ち明ける。


「今思うとそうだって言えるんだけど、試験の前後のことはあんまり記憶になくて」


 故郷の襲撃があってから士官学校の入学まで、その間はとにかく自分の気持ちに整理をつけるので精一杯で。アレンとレツィーナに追随するままに受けたような気もする。

 いやまぁ、実際その時はそうだったのかもしれないが。


「そうか」


 と、ユウキは呟くと。それきり、黙り込んでしまった。

 再び星空に視線を向けかけたところで、ユウキが口を開いた。


「お前は確実に誰かの命を守り、救っている。……だから。お前は、もう無力ではない」


 え、とミユキは微かに目を見開く。構わず、ユウキは続ける。


「それに。お前の帰るべき場所はここにある。そのことだけは、決して忘れないでくれ」


 確固ととした意志の宿った、けれどもどこか少し悲しさを感じさせるような声音だった。

 真剣な緑玉エメラルド色の双眸が、ミユキの瞳を真っ直ぐに見つめてくる。

 どんなことを思っているのかなんてものは、他人である以上分からないけれど。だけど。その眼差しに、ユウキが自分のことを本気で心配してくれているのだということは分かった。

 心が暖かくなるのを感じつつ、ミユキは目を細める。


「……ああ。ありがとな」


 うん、とユウキは無言で頷いて。それから、扉に向かって歩き出す。ドアノブに手をかけたところで、彼女は振り返ってきた。 


「ミユキも、あまり夜更かしはするんじゃないぞ」

「それ、お前が言うのか」


 思わず、そう返してしまった。

 今から夜更かしする気満々の奴が、何を言っているんだか。

 少しの硬直の間を置いて、ユウキは何事もなかったかのように続ける。 


「おやすみ、ミユキ」

「ああ。おやすみ、ユウキ」


 そう言い合うと。ユウキは扉の向こうへと消えていった。

 一人になった屋上で、ミユキは誰に言うでもなく呟く。


「ほんと、敵わないな」


 顔には、一点の曇りのない微笑が浮かんでいた。

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