第五話 〈天使〉

 中継基地から、北西に約十五分。飛行魔導で巡航したその先に、〈天使〉と戦う仲間の戦場はあった。


 陽の光は地平線のすぐ傍にまで傾き、世界を赫々かくかくとした茜色で染め上げている。

 そんな空を彩るのは、地上の防衛陣地から撃ち放たれる緑色の光条と各種の対空火器。そして、幾度となく打ち上げられている地対空ミサイルだ。


 どうやら、この戦線に魔導士部隊は配置されていないらしい。空に咲くのは、爆炎と光条の織り成す刹那の花だけだった。

 茜色の西日が、先行する銀髪の少女を赤く染め上げている。


『戦闘区域に入る。各員の〈D-TOS〉を戦闘起動』


 淡々としたユウキの声に、『了解』とラプラスの応答が続く。

 ……先程から薄々感じてはいたが。どうも、この〈D-TOS〉は使用者とのコミュニケーションを取りつつシステムの稼働を行うらしい。

 いったい、どんな効果を期待してこんな機能をつけたのだろうか。ミユキにはさっぱり分からない。


【〈D-TOS〉戦闘起動開始。飛行魔導を巡航状態から戦闘状態へと移行】


 脳内に、無機質な機械音声が通る。

 〈D-TOS〉の音声は、精神接続クロッシングを通じて直接脳内へと情報が送られている。そのため、実際にはそのアナウンスは百万分の一秒マイクロセカンド以下の速度で伝達され、そして処理されているのだ。


 背中の純白の翼が、微かに実体味を帯びて速度と揚力が上昇する。

 続いて、視覚と各種神経系の感応速度が強化され、高機動戦闘に耐えうるように身体機能と呼吸器系が強化される。


 ……これで、戦闘適応処置は完了した。


【〈魔導銃レーヴァテイン〉および〈魔導剣ダインスレイヴ〉を起動。――――全〈D-TOS〉戦闘起動を完了】


 手に持つ小銃が幻の熱を帯び、左右に提げた長剣が鞘の隙間から微かな青色をこぼれさせる。

 右目の視界を拡大させて、眼前の敵を捉える。


「……あれが、〈天使〉」


 思わず、呟いていた。

 人間のような形状をしながらも、顔のパーツは何一つ見当たらない。全身を構成する光の物質が極光を放ち、赤い空に不自然な白色をくっきりと浮かばせていた。

 そして。その背にあるのは、〈天使〉の名に相応しい純白の翼だ。

 自身の全高と同じぐらいの純白の翼を悠然と広げて、〈天使〉どもは茜色の空から眼下の対空部隊を蹂躙している。 


『対〈天使〉戦闘の方法は熟知しているな?』


 ユウキの言葉に、ミユキはこくりと頷く。


「あいつらの中にあるコアを壊せばいいんだろ?」


 コア。〈天使〉どもをこの世界に存在させうる、自然の全元素の集合体だ。

 それさえ破壊できれば、〈天使〉は消滅する。


『その通りだ。……ミユキ、お前は、お前の戦い方で敵を撃滅しろ。私はお前の援護にあたる』 


 その言葉に、ミユキは一瞬逡巡して。


「わかった!」


 言うのと同時。ミユキは〈天使〉の大群めがけて〈魔導銃レーヴァテイン〉を撃ち放っていた。

 それと同時に左腰の剣を抜き放ち、〈魔導剣ダインスレイヴ〉の放つあおい燐光がいつにも増して煌めく。


『今回の出力は二〇〇%で設定してあるから安心しろ。……訓練通りにやれば、お前も隊長も死ぬことはない』


 荒々しく、けれども不思議と安心感のある声だった。

 ラプラスの言葉に、ミユキはこくりと頷いて。


【飛行魔導を超加速ブースト


 直後。〈天使〉に向かって突撃を開始した。


【感応速度を三五〇%へと強化。身体機能を六〇〇%に一時強化ブースト


 いつもよりも遅く見える世界を、ミユキは一振りの〈魔導剣ダインスレイヴ〉片手にけ抜ける。

 目指すは敵集団の中央、もっとも大きな個体の〈使〉だ。

 一概に〈天使〉と言っても、その姿や能力は様々である。

 今、空に蔓延っているのは二種類。〈大天使アークエンジェル〉と、それを指揮統制する〈主天使ドミニオン〉だ。どちらも不自然なほどくっきりとした白い光の人型に、純白の翼を持った、開戦以来から存在する〈天使〉である。


 〈主天使ドミニオン〉さえ倒せば、周囲に存在する大量の〈大天使アークエンジェル〉どもは指揮系統を失い、一時的にであるがただの有象無象と化す。

 だが。コンマ数秒の判断が命取りになる戦場にとって、その隙は敵を撃滅するのに充分すぎる時間となる。

 そして。ミユキは〈主天使ドミニオン〉の撃破を可能にするだけの速度と〈D-TOS〉適合率を持ち合わせていた。


 〈大天使アークエンジェル〉の隙間を通り過ぎ、ミユキは〈主天使ドミニオン〉目掛けて突き進む。

 あらゆる方角から〈天使〉の放つ青の光条が降り注ぎ、けれどもミユキはそれを片っ端からかわし、〈魔導剣ダインスレイヴ〉で斬り払っていく。


 眼前に、〈大天使アークエンジェル〉が立ち塞がる。

 回避は不可能と判断し、〈魔導剣ダインスレイヴ〉を構える。進行方向を僅かに左へとずらし、進路を確保。直後。通り抜けざまに蒼刃そうじんが一閃。

 肉を切り裂く感覚は一瞬、〈魔導剣ダインスレイヴ〉はそのまま〈大天使アークエンジェル〉のコアへと到達する。

 硬い宝石のような感触を、剣の柄越しに感じる。構わず、振り抜く。

 真っ二つに割れたコアは異様な音を生じさせ、粉々に砕け散る。直後、背後に極光の爆発が巻き起こった。


 肌を焼くような熱量を背中に感じながらも、ミユキはそれを追い風にして更に奥へと突き進む。

 周囲でいくつもの爆発が巻き起こり、ミユキの進路の安全を確保する。ちらりと右上ななめ後ろを見ると、そこには〈魔導銃レーヴァテイン〉を構えるユウキが併走していた。

 〈D-TOS〉の送る位置情報によると、ラプラスは地上の防衛陣地に隠れている。〈D-TOS〉は、近ければ近いほど魔導の起動速度が早くなる。そのため、後方ではなくできるだけ前線に居てくれるのは、こちらとしてもありがたい。


『私が〈主天使ドミニオン〉の注意を誘引する。その間にお前がやつのコアを破壊しろ』

「わかった!」


 直後。ユウキの射線が〈主天使ドミニオン〉へと振り向けられた。

 連射された緑の光条は、一発目に頭部、二発目と三発目がそれぞれ左右の翼へと直撃。以降の射撃は全て胸部、コアのある場所へと殺到する。が。そこには傷一つ付いていない。


 〈主天使ドミニオン〉が動く。


 パーツのない頭部をユウキへと向け、周囲の虚空からいくつもの青い光条を彼女に向けて撃ち放つ。同時に近くの〈大天使アークエンジェル〉を招集。あらゆる方角から放たれる光条に、ミユキは思わず悲鳴のような声を上げる。


「ユウキ!?」


 対して、


『このぐらいならばどうとでもなる! お前は速くコアを破壊しろ!』


 怒鳴る少女の声に、ミユキは視線を眼前の〈主天使ドミニオン〉へと振り向ける。


【〈魔導剣ダインスレイヴ〉の出力を五〇〇%に一時強化ブースト


 蒼い刃が更に煌めきを増し、光の刃が実体の二倍ほどにまで延伸される。


『それで全部たたっ斬れるはずだ!』


 通信機に響く、ラプラスの声。

 それに呼応するかのように、ミユキは〈主天使ドミニオン〉の胸部目掛けて吶喊とっかんする。大きく振りかぶり、虚空に向けてあお光刃こうじんを振り下ろす。

 がぁん! という音とともに、刃は虚空に生じた紫の障壁と激突した。


 個体防壁。それが、この半透明の障壁の名だ。〈天使〉ならば必ず持つそれは、衝撃の九〇%を吸収し、通常兵器の火力を著しく減少させる。

 〈魔導銃レーヴァテイン〉を手放し、右腰の剣を振り抜く。


【〈魔導剣ダインスレイヴ〉を並列起動。――〈D-TOS〉使用者の脳内使用率が一〇〇%を突破】


 しかし。人体保護プログラムは発動されない。

 構わず、右手の〈魔導剣ダインスレイヴ〉と同じ五〇〇%にまで一時強化ブーストし、〈主天使ドミニオン〉の個体防壁を今度こそ打ち破る。

 そのまま、突撃。


 右手の〈魔導剣ダインスレイヴ〉で光の肉体を斬り裂き、コアまでの侵入経路を構築する。左手の剣でそれを更に広げ、三撃目。

 右手の〈魔導剣ダインスレイヴ〉を突き刺そうとした――その時だった。



『【全ては、一にかえる】』



 直接脳内に入りこんできた“音”に、ミユキの動きが止まる。

 不愉快と吐き気が支配する中に、不自然な喜びと安堵感が生まれてくる。


『【個は一にかえる。全ては、神に帰す。全ては、一つに戻る】』


 意識がだんだんと薄くなり、この“音“に何もかもを委ねたくなる。自分の全てが消失していくような感覚がして――


 ――いやだ!


 頭を振って、ミユキは“音”の残響を振り払った。

 まだ、おれは消えたくない。

 まだ、おれはユウキになにもできていない。

 まだ、おれはここにいなきゃならない。

 一度距離をとり、下唇を噛み切って意識を強引に取り戻す。修復しつつある肉体を視界の中央に捉え、〈魔導剣ダインスレイヴ〉の切っ先を突き立てる。

 そのまま、コアへと直進。極彩色の宝石へと突き刺さった剣を、縦方向に振り抜いた。




 〈主天使ドミニオン〉のコアが粉々に砕け散り、純白の身体が更なる極光に光り輝く。

 咄嗟にその場を退避して――直後、〈主天使ドミニオン〉は極光と大熱量を撒き散らしながら爆散した。

 視界が白い光にかれるさなか、通信機にラプラスの切羽詰まった声が届く。


『精神保護プロテクトの上書きを完了した! ――すまん、一次精神保護を突破されていた。 二人とも大丈夫か!?』

『私は大丈夫だ。ミユキは、』

「おれも、大丈夫だ」


 二人の応答に、ラプラスはほっとした音声を上げる。

 それもそのはずか、とミユキは思う。なぜなら、あの“音”は、心地の良い感覚に身を委ねたら最後、二度とかえってくることはできないのだから。


「……あれが精神侵入、か」


 平静を装いながら、ミユキは呟く。

 先程の“音”は、精神侵入と呼称される〈天使〉に共通した攻撃方法の一つだ。

 どんなに強い魔導士であろうが、あの音に意識を預けてしまうだけで、その人はこの世界から

 〈天使〉と同じように、全身を光に変換されて、何も残さずに消え去ってしまう。

 動きを止めた〈大天使アークエンジェル〉を傍目に、ユウキが緊張感を緩めずに告げる。


『あとは残った〈大天使アークエンジェル〉を掃討すれば、この戦闘は終わる。……くれぐれも、気は抜くんじゃないぞ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る