第二章 不協和音のそら

第四話 〈ラプラス〉



『久しぶり、ミユキ』



 傾いた朱色の光を綺麗な銀髪に煌めかせ、色味の違う緑玉エメラルドの双眸をにこりと細めて、目の前の少女はさも当然のような振る舞いで言ってくる。


 ユウキ・フォン=アレスシルト。


 五年前に別れたきり会うことのなかった、大切な幼馴染だ。

 ユウキが向けてくる微笑に、ミユキは全身が恐怖で凍りついていた。

 ユウキと再会できたことは嬉しい。だけど。それ以上に、ミユキの胸中には激しい不安と恐怖が嵐のように吹き荒れていた。


 彼女の右眼に残る、生々しい縦の傷跡。それは五年前、彼女と別れる直前にだ。

 現代の医療ならば、その傷は完全に消し去ることができる。なのに。彼女は五年の歳月を経てもなお、その傷を消さないでいた。

 それは、彼女にとって右眼の傷はなんらかの意味があることを示している。

 後ろめたさに言葉が詰まり、右眼の傷とみどり色の瞳が直視できない。

 目線をあちこちへと彷徨さまよわせた結果、ミユキは逃げるように〈D-TOS〉へと視線を逸らしていた。


「……こいつが、おれたちの使う〈D-TOS〉なのか?」


 不自然極まりないミユキの言動に、ユウキは何の反応も見せない。昔から、彼女が感情を表に出すことは稀だ。

 微笑を消して、ユウキが凛とした声音で答える。


「そうだ。あと一八〇秒ほどで起動する」

「マクスウェルとは、何が違うんだ?」

「全てだ」

「ぜん、ぶ?」


 即答に戸惑うミユキをちらりと一瞥いちべつして、ユウキが更に言葉を続けてくる。


「索敵範囲が三キロから五キロへと延伸され、精神接続クロッシング距離は新構造の採用で世界の半分をカバー可能になっている。各種魔導の出力上限も、この〈D-TOS〉ならば最大一〇〇〇%までは可能だ」

「……それって、大丈夫なのか?」


 最後の説明に、ミユキは少し怪訝な顔をする。

 通常の〈D-TOS〉マクスウェルの出力上限は五〇〇%。しかし、これは人体保護の観点から制限された数値だ。それを大幅に超えるような出力など、大丈夫なのだろうか。

 横髪からちらりとこちらを見つめて、ユウキは断言する。


「問題ない。この〈D-TOS〉は適合率の高い者以外には使用できないように使用制限ロックがかけられている。そして。私とお前の適合率なら、一〇〇〇%の出力を行っても悪影響は生じないはずだ」

「……そうか。なら、よかった」


 見つめてくるみどりの瞳から目を逸らし、再び、眼前の〈D-TOS〉を見上げる。


「それと。あと一つ、この〈D-TOS〉には大きな特徴がある」


 ユウキが言葉を切るのと同時に、〈D-TOS〉のディスプレイに光が灯った。右上の隅に配されていた電源ランプが青色に点灯し、ディスプレイに文字の羅列が高速で過ぎ去っていく。

 画面が安定するのを見計らって、ユウキは告げた。


「それは、この〈D-TOS〉には高度な人工知能が搭載されていることだ」


 認証を要求する画面で、ディスプレイに表示された文字が静止する。

 一歩、歩み寄って。ユウキが音声認識を起動。


「認証コード登録を開始。……登録者No.2144001、ユウキ・フォン=アレスシルトと、登録者No.2146001、ミユキ・ヘルフェインだ」


 数秒ののち、〈D-TOS〉から無機質な機械音声が流れてきた。


「登録者コード確認。――承認完了。〈D-TOS〉XMk.Ⅵ『ラプラス』、起動開始」


 その音声が流れたきり、二人の間には沈黙が支配する。

 ……が。それから全くと言っていいほど動きがなく、故障したのかと思ったところで、その声は口を開いた。


「よう。待たせたな!」


 やたらとテンションの高い、いかにも軍人とした口調の若い男性の声だった。


「………………え?」


 あまりに唐突かつ意表を突くような口調と声に、ミユキは理解が追いつかない。説明を求めてユウキに視線を向けた先、彼女の顔にも少し驚きの色が見えた。

 目の前の黒いモノリス――もとい新型〈D-TOS〉が、その姿に見合わぬ流暢な声音で言葉を重ねてくる。


「おいおい。せっかくオレが起動したってのに、二人ともだんまりか? 初めての人にはちゃんと挨拶しようって学校で習ったろ?」


 直立不動のモノリスが言うのに、ミユキはしばしの間呆気にとられて。


「……お前、喋るのか」


 ぽつりと、そんな言葉がこぼれ落ちていた。

 気を取り直したらしいユウキが、なにごともなかったかのように説明を始めてくる。


「先程言った通り、こいつに」

「ラプラス、だ」


 一つ咳払いをして、続ける。


「……ラプラスには、試験的にではあるが高度な人工知能が搭載されている。何か困り事があったりした時には、気軽に訊ねてみるといい」

「というわけで、よろしくな! アレスシルト大尉! ヘルフェイン少尉!」

「あ、ああ。よろしく……」


 ラプラスのノリについていけず、戸惑いつつもなんとかミユキは笑顔を取り繕う。相手は人工知能AIとはいえ、高度な技術で人格を形成された存在だ。

 これから共に戦う仲間でもあるのだし、彼のノリにはある程度慣れておかないとな、とミユキは思う。

 隣で、ユウキが「よろしく頼む」と言った時だった。



 突然、耳を劈く不穏な警報音が鳴り響いた。



 ラプラスとユウキが警戒態勢へと雰囲気を変える中、ミユキだけが呆然とその警報音を聞いていた。……これは、敵襲……?

 肩にかけたバッグから何かを取り出しながら、ユウキは先程までとは打って変わって冷徹そのものの声音で呟く。


「……こんな時間に来るとはな」


 視線を〈D-TOS〉ラプラスへと向け、その意図を汲み取ったらしいラプラスがディスプレイに地図を表示させる。


「北西五キロメートル地点に異次元転移痕てんいこんを捕捉した。数はそう多くはないが……、ここはこの前突破されたばかりの戦線だ。食い破られるのも時間の問題だろう」

「了解した」


 くるりと、振り返る。

 警報の緊迫感の中、ユウキは駆け回る士官の一人を捕まえる。その士官がなにごとかと訊く前に、ユウキはさも当然のように告げた。


「私達が迎撃に出る。この基地の司令官に伝えてくれ」


 え、とミユキが漏らすが、その声は誰にも聞こえずに大音響の中に溶けていく。察した士官は、「了解しました」とだけ言いおいて、基地司令部の方へと駆けて行ってしまった。

 不安に駆られるミユキに、ユウキが振り向く。圧倒的な決意のみどり色で。


「来て早々悪いが、これから私達は実戦に出る。……力を貸してくれ、ミユキ」


 その言葉に、ミユキは微かに俯く。

 ずっと、いなくなりたいと思っていた。大切な人を平気で傷つけてしまうような自分は、この世界に存在するべきじゃないと思っていた。

 だけど。本当は、いなくなるのも怖い。この戦闘でいなくなるのかもしれないと思ったら、心が寒くなる。


 でも。


 もし、これが、罪滅ぼしになるのなら。

 受けるべき罰も裁きも受けなかった自分が、〈天使〉と戦うことによって、力を貸すことによってユウキの役に立てるなら。

 おれは、全身全霊をもってやらなくちゃならない。たとえ、それでこの身が尽き果て、消えようとも。 

 恐怖と不安を決意で塗り替え、ユウキのみどり色の双眸を真正面から見据える。


「……おれは、どうすればいいんだ?」


 どうすれば、おれはお前の役に立てる。


「そう身構える必要はない。士官学校でやったことと同じことをすればいいだけだ。……お前が自分自身を見失わない限り、この世界からいなくなることはない」


 そう言うと、ユウキはバッグから黒い何かを手渡してきた。手元に目をやると、そこには見慣れた複合通信機がある。


「それがお前の通信機だ。使い方は分かるな?」

「ああ」


 こくりと頷いて。二人は複合通信機を耳へとつける。

 〈D-TOS〉システムを待機モードで起動し、飛行魔導を発動させる。背中に半透明の白き翼が出現し、二人の身体を宙へと浮かばせる。

 準備が完了したところで、黒いモノリス型だったラプラスが正八面体に変化した。

 この姿が、〈D-TOS〉の戦闘体形なのだ。


「では、行くぞ」


 ユウキが一言、言い置いて。二人と一機は、〈天使〉の迫り来る方角へと飛び立った。

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