暗い部屋の中、響介がソファに座っていた。

　絢音がそっと横に立つと響介がどうぞと席を開けてくれた。

「眠れないの？」絢音が心配そうに囁く。

「ああ、なんとなく」

「真琴は？」

「とても疲れてるみたい、ぐっすり眠ってるわ」

「そうか……」

　コロニクスが二人に気付いて話しかけるタイミングを計っていた。

　それに気づいた響介がコロニクスに声をかけた。

「なんでしょうか？」絢音もコロニクスに顔を向けた。

「いや、今、大丈夫かな？」コロニクスは二人の顔を交互に見て様子を伺った。

「大丈夫です。何か？」

「君にオムネ城から荷物が届いている。バルコニーに置いたよ」

　コロニクスは、そういうと部屋から出て行った。

「オムネ城から･･････」

「何かしら？」

「行ってみよう」

　響介と絢音はバルコニーに向かった。

　バルコニーにあったのは、ピアノだった。

　響介は、ピアノに近づき輪郭を指先でなぞり、ひと回りした。

　鍵盤の蓋をゆっくりと上げ、椅子に座り、鍵盤を叩いた。

「どうしたの、これ」絢音もピアノを見つめている。

「音楽の間で、このピアノを弾いたんだ。

　気に行ったなら、部屋に届けてくれるって言ってたんだ」

　響介は、指の緊張をほぐすし、ウオーミングアップを始めた。

　静かな夜にピアノの音が響き渡る。

「真琴、起こしちゃうね」と、響介。

「大丈夫、真琴は起きないわよ。ここは、バルコニーだし、きっと大丈夫」

　そうだなっと響介は頷いて、ウオーミングアップを続けた。

「最高だ！」響介の目が、キラキラしていた。

「なんか懐かしいね」絢音のそんな響介を見るとうれしかった。

「ああ、幼稚園の時、いつも隣で聴いてくれたよね。絢音が居ると安心して弾ける」

　絢音は、バルコニーの端まで行って、夜空を眺める。

　ここでは、街は全て塔の中にあるので明りが外に漏れない。

　そのため、空に光る星は鮮明に見える。

　遥か遠くまで広がって行く宇宙の壮大さが伝わってくる。

　ずーっと見ていると宇宙に吸い込まれて登って行くように感じる。

　ただ、大きな月が煌々とバルコニーを照らしていた。

　自ら、発しない光。

　太陽の光に照らされ、反射して周りを照らす。

　自分を主張しないのに、誰かの力で柔らかく輝いている。

　そんな控えめの美しさに心を奪われていた。

　響介も絢音の視線を追って、空を眺めた。

「綺麗な月だね」響介の声。

　絢音は、「ええ」と頷く。

　絢音は、「これは月ではない」と思っていたが、言うのをやめておいた。

　そして、響介の言葉に思わず微笑んでしまった。

　”綺麗な月ですね”は、愛の告白に使われた言葉だと思い出したからだ。

　この遠回しな言い方が、やはり月なのだろうと。

「あなたと……」と、絢音が言いかけた時、響介は曲を弾き始めた。

　月の光。

　白と黒の鍵盤の上を長い綺麗な指が躍っている。

　この男は、なんて綺麗な横顔をしているのだろうと見とれてしまう。

　見ているだけで幸せを感じる。

　幸せが来ると……。

　そう、この曲を駅で聴いている時、アイツにあったんだ。

　あの浮浪者に。

　その時の光景が蘇ってくる。

　突然、ピアノの音が止まった。

　響介が、ピアノの前で固まっている。

　絢音は、あわてて響介の元に駆け寄った。

「手、手が･･････」

　響介は、絢音を見上げる。

　絢音は、響介の手を探した。

　そして、はっと息を飲んだ。

　鍵盤の上にあるはずの響助の手が透けていた。

　絢音は、思わず響介の頭を抱いて胸に押しつけた。

　見なくてもよいと言うように。

「大丈夫、大丈夫……」

　絢音は、自分の手も透けているのに気づいた。

　響介ほどではない。

　まだ、感覚がある。

　響介の柔らかい髪の毛の感触がある。

　二人は、しばらくの間、そうしていた。

　響介の為に。

　そして、自分の為に。

「絢音……もう大丈夫だ」響介が絢音を見上げる。

　絢音の胸の谷間から、恥ずかしそうに見上げている。

「ああっ」

　絢音も何ていうことをしてしまったのかと、慌てて手をどけた。

　お互いにはずかしい時が流れる。

　

　響介は、絢音の横に座って手を取った。

　絢音を手の優しく撫ぜた。

　綾音の手も少し透けていた。

　でも、まだ感触がある。

「時間切れかな。爺さんが言ってた、生まれ変わるって」

　絢音も思い出していた。

「そうだ。段々身体が透けてきて、やがて･･････」

　その先は言わなかった。言いたくなかった。

「真琴を戻さないと……、爺さんが頼むって……」

　二人は、寄り添って部屋に戻っていった。

　眠れぬ夜は続いた。

　結局、絢音と響介の二人は、眠れなかった。