第4話
「でも」
気持ちと反対の行動をとってしまう。
そんな自分に、後悔してしまう。
「悠真様と……こうして、二人で過ごせる時間に……」
そんな後悔の気持ちが、私を勇気づけてくれたのかもしれない。
それとも、彼と過ごす時間に限りがあることが私を急かしたのか。
普段なら鍵をかけてしまって二度と出て来られなくなる言葉の数々を、今日は伝えようと思った。
「凄く幸せを感じています」
神様。
「恥ずかしがって、申し訳ございません」
今日だけは。
「悠真様は、いつか私のことを忘れてしまうかもしれませんが……」
今日だけは……。
「私にとって悠真様は、ずっと大切な婚約者です」
蝶の記憶を辿る異能持ちが、大切な人に笑顔を向けることを許してください。
「ありがとう」
ここに鏡はない。
悠真様の瞳を覗き込んだところで、自分がどんな表情をしているかよく分からない。
けど。
「……別れの挨拶、早すぎですね」
「ははっ、そうだな」
「申し訳ございません……」
「でも、それが俺たちらしい」
今まで生きた人生の中で一番、綺麗に笑うことができている。
そんな気がする。
「悠真様」
こんなにも多くの想いと言葉が溢れているのに。
私は、今という時間に幸せを感じているのに。
彼はやっぱり、こんなときでも嘘の言葉をくれない。
「私も……」
その言葉を、否定してくれない。
嘘でもいいのに。
嘘でいいから、私を励ましてくれてもいいのに。
「悠真様のこと、抱き締めても宜しいですか」
「結葵……」
仮眠用のソファは、二人で寝転ぶことができるくらいの広さがある。
けれど、抱き締め合うという行為をするには難しさもある。
とても幸福感に満ち溢れた空間なのに、腕の位置や腕の伸ばし方とか訳が分からない。
無理矢理、大切な人を抱き締めるという行為は……きっと私には向いていない。
「結、葵……っ」
「婚約者同士、ですよね」
このままの体勢を続けていたら体が可笑しなことになってしまいそうなのに、私の中の幸せは満たされたまま。
少しも減ることがない幸福感に、一生分の贅沢をしているような気分になってくる。
「婚約者同士ですから、許してください」
悠真様は、よく私のことを抱き締めてくれる。
抱きしめ癖があるのではないかと思うくらい……日々を生きることに不安を感じている私のことを、いつも優しさと温もりで包み込んでくれる。
「練習をさせてください、悠真様」
いつもなら、蝶の言葉を理解する化け物は輪の外へと追いやられる。
「……今日は、特別だ」
人の熱を感じることができないまま、私は独り放置されてしまう。
「……ありがとうございます、悠真様」
でも、今日は初めて悠真様と両想いの真似事ができた記念日。
「年下は、年上の方に甘えられるのでいいですね」
「結葵、調子に乗りすぎだ……」
「ふふっ」
互いが、体を背けたいくらいの羞恥に駆られていると信じたい。
一瞬だけ視線を外してしまった彼だったけれど、すぐに私を抱き締める腕の力を強めてくれた。
「経験のない年下を指導するのは、大人の役割ですよ」
蝶の言葉を理解する化け物は、ずっと世間から拒絶されてきた。
誰かに触れることを拒絶されることが当たり前だったから、私は触れてはいけないと思っていた。
蝶の言葉を理解する化け物に、触れたい人なんていないと思いながら生きてきた。
そう思い続けてきたはずなのに、彼は私に触れることを躊躇わない。
「正直に言うと……不安だった」
悠真様の腕に、力が入る。
より強い力で抱き締められた私は、益々勘違いしていく。
「筒路森がやってきたことを知ったら、結葵は筒路森を拒絶すると思い込んでいた」
悠真様も、不安。
私も、不安。
どちらも抱えている感情が同じで、同じを共有できることが、その不安を和らげてくれる。
「不安にならないでください」
彼と私は、両想いなんじゃないかって。
勘違いしそうになる。
「私は
でも、今やっていることは、ごっこ遊びに過ぎない。
すべては勘違い。
悠真様は、世界を知るために旅に出られる方。
私は、これから先も蝶を想って生きる側の人間。
「幸せになりましょう」
出会ったときから、世界を交えてはいけない人だった。
「互いがいなくなった世界でも、必ず幸せになるために」
世界を交えてはいけなかったはずなのに、私たちの世界は交わってしまった。
だから、私は、人を好きになるという感情を知ってしまった。
「……なんだか、矛盾した言葉の羅列だな」
「ですね、蝶が存在する限り、私たちの縁は切れることがないのに」
「ああ、結葵を手放すつもりは毛頭ない」
私も、できる限り腕に力を込める。
彼の幸せを願って。
「結葵のいない世界なんて、考えられない」
その言葉をくれるのなら、紫純琥珀蝶が飛ばなくなったがあとの人生も。
あなたと一緒に生きていきたいです。
そんな言葉を付け加えてください。
中途半端な言葉は、私の涙を誘う原因になってしまう。
「結葵は?」
名前を呼ばれると同時に、私を抱き締めていた腕が離れていく。
婚約者としてのやりとりが終わってしまうと嘆く前に、彼は私の下唇を指先で優しく撫でてくる。
彼の問いかけに答えを返さなければいけないのに、意識が唇へと集中する。
「結葵」
唇に触れる彼の指に魅入られていた私は、彼に名前を呼ばれることで彼と視線を交えてしまった。
「悠……」
悠真様の瞳には私が映っていて、私の瞳には悠真様が映っている。
そんな自覚が生まれたことが羞恥に繋がった私は、彼の名前を呼ぶことすら忘れてしまった。
「結葵」
悠真様は、私の名前を呼んでくれる。
私がされて嬉しいことを、彼にもしてあげたい。
そう思って、彼の名前を音にしようとした。
「悠真さ、っ……」
刹那、声が塞がれた。
優しく重なり合った唇。
触れるだけの口づけ。
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