第19話 本性

 いびつな姿に変身したジェシーを前に、スミレは変に落ち着いていた。


 自分が抱いていた違和感は間違っていなかったのだと確認すると同時に、それに初めから感づいていたエタに申し訳なくなる。


「気に病むのは後だ。ジェシーこいつはどうすればいい」


「……それでも私は、ジェシーを倒したくありません」


「十分だ!」


 襲い掛かるリボンにエタは咄嗟にナイフを構える。


「らアッ!」


 鋭い金属音がこだまする。弾いたリボンは鞭のようにしなるのに硬度は鉄より硬そうだ。


「エタ――」


「さっさと行けよ。お前がやることは俺を応援することか?」


「――ありがとうございます!」


 スミレは必死にアステリアの中心へと走って行った。


「ねえ、どこ行くの」


 ジェシーは背中を見せるスミレを追おうとする。


「待てよ」


 すかさずナイフを一本、投げつける。ジェシーはそれを弾くでもなく、寸でのところで避けたが、体勢が悪く前傾に倒れる。


 ――やっぱそこまで強くねえ。巖咲の幽霊前回とは違って、人や他の幽霊を攻撃できる度量も性質もねえ。いたってそこらの一般霊だ。今までなら化ける前にサクッとるだけだったが、スミレが倒したくないと言った。まあ、スミレが戻るまでゆっくり遊んどいてやるか――、


「――あら、面白いことになっているじゃない」


 ふと、紅き空から声が覗く。女の声。スミレじゃない。


 上空を見上げると、黒い竜巻が音もなく二人の間に降り立とうとしていた。


「久しぶりね、


「誰だテメー……」




 アステリアの市街地へ戻ったスミレは、逸る心を落ち着かせ先刻こしらえたおむすびを取り出す。


「最後の一個……」


「最後の一個だと! 僕が食べないともったいない!」


 おむすびが威勢よく虚空に消える。おそらく知っている顔の仕業だ。


「生意気妖精さん!」


「だーれが生意気じゃ!」


 ご飯粒が飛び散る。見えていないけれど、やっぱりそこにいる。


「お願いがあるんです」


「やだね」


「うぅ~、そこをなんとか」


「ダーメ! 友達もいないのに昔馴染みの男に執着する癖に、近づいた異性を殺しかけたこともあるって聞いたぞ! あの女のことを何も知らないくせに口きいてんじゃ――」


「知っています」


「なっ……」


「ジェシーが魔術大陸の学校に通っていたことも、アステリアの文化交流を楽しんだことも、妖精あなたたちについて詳しいことも、お気に入りの食べ物があることも、――大好きな人への独占欲が強い恋する女の子だってことも、私は知っています。それは全部紛れもない彼女の本心です!!」


 聞くだけ、見るだけでは知りえない本性がある。スミレは自身の言葉を用いて、対話を通してジェシーの本性をさらけ出した。二人の間で交わされた偽りなき世界である。


「ふ、フン。だからと言って僕が君に協力する義理なんてないからな」


 他の交渉手段がなかったスミレは仕方がないと意を決した。自身のワンピースの裾部分をバサバサと払うと、等身大の火縄銃をゴトリと落とした。巖咲で改良した大きい火縄銃である。


「そ、れは……?」


「ごめんなさい、他に思いつかなくて」


「なぜ銃口をこっちに向ける!?」


「教えていただくだけで結構です。シクラメンの花園はどこですか?」


「分かった、教えるから! ……飛んでくれ」


 スミレは火縄銃を両手に抱えたまま、真上に飛んだ。見渡す限りの廃墟群。振り返ると紅月グレニモがアステリア一帯を韓紅に照らしていた。


「向いている方向を真っすぐだ」


「ありがとうございます!」


 礼を忘れずに、月が照らす方へ飛んでいく。


「もう、二度はごめんだね」


 生意気な妖精はため息をついた。


 5分くらい飛んだころ、都市の一角に整地された花園を見つける。おそらくあれがシクラメン畑だろうと、スミレは徐々に高度を落として着地する。アステリアの郊外西方、足元にはシクラメンが広がっていた。ジェシーが変身する際に見せた花と全くの同形。エタの話なら、ここに彼が、エクール・トレンスがいるはず。


 ちょうどそこでたむろしていた日和見霊に声を掛ける。


「トレンス、という幽霊がいると聞いたんです」


 日和見霊は一様に畑の真ん中を指す。


 礼を言い、皆が指す方へ向かうと、一つの霊魂が目に留まる。この景観で水色と分かるオーラはナイーブな印象を受けさせる。


「あなたがトレンス、で合っていますか」


「…………そうだけど、何?」


 鬱屈そうな声。ここでいきなり「ついてきて」と言っても、すぐには受け入れないだろう。


「何をしているんですか」


「…………人を待っているんだ。僕に告白したミリカっていう女子。ここで返事を待っているはずなんだ……」


「そうなんですね。返事は決まっているんですか」


「…………返事か」


「すみません、不躾でしたか」


「……いや、いいんだ。どうせ決まっている。…………ジェシーもいるしね」


「ジェシー、さんとはどういうご関係で?」


「彼女とは幼馴染なんだ」


「……それだけですか」


「それだけ、ってなんだよ……」


「本当にそれだけですか。あなたにとって、ジェシーは本当にただの幼馴染なんですか?」


「そんなわけないだろ!!!」


 いきなり大声が響き渡る。辺りの霊がざわめきだす。彼のオーラが背景と違わぬ赤色に染まっていく。


「僕がどれだけ我慢してきたと思っている!! あの金髪、綺麗な緑眼、爪の先までしゃぶりつくしたいのに! そんな僕に気も知らないでジェシーはベタベタしてきやがる! ああ、ジェシー、ジェシイィィ~~!! 僕は君だけのものだよ!!」


 トレンスはそれまでの憂鬱な様相を一変させ、激しく取り乱す。それどもスミレは黙って見届けていた。


 エタからラブレターの差出人がジェシーではないことを聞いたとき、スミレの中で一つの可能性が浮かんだ。わざわざラブレターを処分するためだけに、あんなに遠くにいた私たちまで会いに行くには回りくどい。そのうえ、彼女の返答には不誠実な面が見当たらなかった。何かを隠すことは出来ても、嘘を吐くことができない幽霊には不可能な芸当である。ジェシーの本当の願いは、他人のラブレターを始末することではなく、ことなのではないか、と。彼女は告白に思い至るも、戦争が起きた所為でその機会ごと失ってしまった。心内を打ち明けられる友達も少なく、唯一の幼馴染を失うまいとした結果、なった。きっとジェシーがうらやましかったのは私とエタの距離感なのだろう……と思う。


 一方のトレンスもジェシーと長らくいたのだから、ある程度は受け入れると思っていた。ここまで偏愛者とは思わなかったけど……。


 でもこれは好都合だ。ジェシーのところに行くためにはあと一押し。


「トレンスさん、ジェシーから言伝を預かっています」


「何!?」


「『話があるから、トレンスの家の前で待っています』と」


「それは本当かい? きっと告白だよね、僕に対しての。あ~、なんてうれしいんだ! すぐ行くから待ってて! あ、ジェシー彼女に誤解されたくないから君は後からついてきて」


 トレンスはそうまくしたてると、あっという間に自身の家の方へ飛んで行ってしまった。


 無論、ジェシーからの伝言は嘘である。嘘を吐くことができない幽霊は、嘘が分からない。ジェシーを成仏させるための方便として適当に話したが、実際に矛盾が生じるまでトレンスはこの言伝を信じて疑わない。


「言葉って便利ですね~……あ、誰だか知りませんが、トレンスにラブレターを書いた幽霊さん。彼はもうここには帰ってこないので大丈夫ですよ!」


 これで後掃除もよし。そろそろ戻って、二人の様子を見届けたい。


 スミレは一息置いて、エタが待つトレンス家へ向かっていった。


 その一部始終を眺める、蜻蛉が一匹……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悠久の霊媒師 @volefanol

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ