第36話
驚いて顔を上げれば、私の背後を睨む響。低い声で「なぁ、今こいつのこと触ってただろ」と冷静に問う。
視線を横に反らせば私の後ろに立つ男の腕が捻りあげられていて、「い、いや……あの」という戸惑いの声が走行音に混じる。
「……こいつ」
「ま、待って、響」
煮えきれない態度に奥歯を噛み締める響に慌てて声を上げた。止めなければ今にも背後の男性に殴りかかりそうな勢いだった。
こんな狭い車内で注目されたくない。それは響も十分分かっているはずだ。だからこそすぐに声を荒げることを避けてくれた。
私を見下ろし、歯痒そうに眉間にシワを作る彼にゆっくり顔を横に振る。ピクリと動いた瞼が伏せられると同時、さらに腰を強く引き寄せられた。
「……あ、おいっ」
響の声が胸板の振動と共に伝わる。
私の後ろに立つ男性は隙をついて響の手を振り払うと、人の波をかき分けて別車両へと逃げていった。
一瞬追おうと揺れた彼の体を壁側に押さえ込んだ。「涼……!」という批判の声に「大丈夫だから」と答えると吊られていた肩がゆっくりと下がっていく。
「……ぶん殴りたかった」
「ダメだよ、騒ぎ起こさないで。ちょっと触られただけだから大丈夫」
「……」
私からしたら、響があの男を追ってこの人の波に飛び込んでいく方がよっぽど困る。
少しでも安心させるために努めて作った笑顔を彼に向けると、反比例に泣きそうに歪む美しい顔。
「……俺が大丈夫じゃねぇんだよ……」
「……」
「そんなん履くからだ、ばか」
風船が萎むようにシュンと私の肩口に項垂れた響。柔らかな髪が頬を掠めた。
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