第2話

 不意に彼がこちら向く。

 差し込む夕日のせいで顔は見えにくい。でも逆光でも感じる彼の視線に、心臓が高鳴った。


 すぐに目を逸らし、誤魔化すように手櫛で髪を整える。

 悪いことはしていない。ただ見ていただけ。そもそも、こんな時間に鉢合わせするなんて思いもしなかった。


 たまたま改札で定期が見つからなくて、たまたま学校まで戻って来て、たまたま定期を見つけて帰ろうとした。

 そんな偶然が重なって起こった出来事。


 なのに何故『運命』という言葉がよぎるんだろう。


 「お疲れ様。今帰り?」


 下駄箱の扉を閉めた彼が私に問いかける。

 優しくて、落ち着いていて、どこか甘さを感じるそんな声。


 さっきまで私は落ち込んでいた。

 人に迷惑をかけたし、今後の友人関係も危うくなってしまった。

 この疲労感は紛れもなく真実のはず。


 なのに君を見ると口元が緩くなる。


 「……うん。ちょっと忘れ物しちゃって」

 「へー、忘れ物なんて珍しいね。それで見つかった?」

 「……うん」

 「なら、よかった」


 そう言って彼は安心したように笑う。


 私とは数回しか話したことないはず。それに定期を忘れたことは彼には関係ない。

 それでも彼は心配してくれる。


 ただの社交辞令。

 相手が誰であっても同じ。


 私にだけ、なんてあり得ない。


 言われなくても分かっている。

 それでも、この優しさが私だけに向いてくれたなら……


 なんて妄想を願ってしまう。


 「大丈夫?」

 「え?」

 「いや、浮かない顔してたから」

 「……そう、かな?」


 気付かなかった。

 ただ叶いもしない妄想をしていただけ。まだニヤけ顔にならなかっただけマシなのかな。


 浮ついた感情を一旦落ち着かせ、慌ててそれらしい理由を考える。


 「えっと……今日遊びに誘われたんだけど、忘れ物のせいでドタキャンしちゃって。今後の人間関係大丈夫かなって」

 「あー、クラス替え直後って大事だよな。この1年に影響するし」


 「ほんと、それ!」


 夕暮れの昇降口には似合わない声量。左手は、気付けば彼を指さしていた。

 可愛らしさのカケラもない仕草。仲のいい友達相手ならいいのかもしれない。

 けど彼は違う。


 顔を逸らし、整えたはずの髪を手櫛でとかす。隠そうとしてももう遅いのは分かっている。

 それでも内心焦りまくっている私はこうするしかなかった。


 「あはは……テンション上がっちゃった。ごめんね」

 「そう? あ、そうだ。ちょっと聞いてほしいことがあってさ」


 そう言って彼は話題を変える。


 「さっき下駄箱開けたら靴がなくて。何でだろって確認したら、開けたの去年のクラスの出席番号のところでさ。本当に頭真っ白になった。今日は僕、上履きで帰るのかなって」

 

 照れ笑いをしながら話したエピソード。内容より、その笑顔に心がほぐれる。

 変にハイテンションになってしまった私へのフォロー……って考えるのは少々自分勝手かも知れない。


 「あ、そう言えば親から買い物頼まれているんだった。悪いけど先帰るね」

 「あ、あのっ!」


 靴箱に手をかける君を呼び止める。


 特に何も考えていなかった。

 もっと一緒にいたい。

 気持ちが思考よりも先に口から出てしまう。


 固まってしまう私と、不思議そうな顔をする彼。激しくなる鼓動が一層私を緊張させる。

 それでも負けないように言葉を紡いだ。


 「……未緒みおくん、1年間よろしく……お願いします」

 「うん。こちらこそよろしく。溝口みぞぐちさん」


 笑顔で私の名前が呼ばれる。

 ただそれだけの事が、堪らなく嬉しかった。

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