目に入れても痛くはない

あさぎそーご

目に入れても痛くはない



 空は青い。

 不揃いな街並みが遠く向こうまで続いているのが見える。

 どこか高いビルの高層階だろうか。

 窓の手前で白いカーテンが揺れていた。

「どうだい?見えているかな」

 室内に若い男の声が響く。目線を動かすと、目に包帯を巻いた少女がベッドに座っていた。彼女は歩み寄る白衣の男に首を振って答える。

「まだか…そろそろだと思うんだが」

 否定に唸り、少女の顔を覗き込む彼は医師のようだ。軽い診察を経て薄く笑うと、少女に目線を合わせて優しく言った。

「変化があったら教えてくれ」

 少女は小さく頷き、こちらを見る。


(…ねえ、着いたよ)


 声にハッとして目を開く。

 窓の外には見慣れた駅名。発車のベルが鳴り響く。慌てて電車を降りると同時にドアが閉まった。

 抱えていたカバンを背負い直し、息をつく。見渡すと降車した人々の波が階段に吸い込まれていく最中だった。

 現実世界で誰かが起こしてくれたのだろうか。いや、誰が?

 こんな人の多い駅で、終点でもないのに。ましてや見知らぬ僕の降りる駅など誰が知るものか。

 とはいえ、夢と関係があるとも思えない。ただの偶然だろう。

 結論付けて、なだらかになった人の流れに乗る。

 今日は13時出社。どこかで昼食がてら時間を潰すとしよう。


 入院後の復帰から今日で5日目。


 業務は滞りなく終わり、久々に顔を合わせた出張帰りの同僚に飲みに誘われる。断る理由もなかったので、会社近くの居酒屋に揃って腰を据えるなり同僚が聞いてきた。

「どうだ、調子は」

「おかげさまで、もうすっかりいいよ」

「それはなにより。ドナーが見つかってラッキーだったな」

 注文を聞きに来た店員に生ビールとハイボールを頼み、同僚は続ける。

「しかし珍しい。片目だけ譲ってくれるだなんて、一体どんなやつなんだろうな?」

 僕は半年ほど前に事故で両目を失って、一月前に移植手術を受けたばかり。おかげで片目だけ視力が戻り、不慣れながら普通に生活している。淡く青みがかった黒色の瞳。元々薄茶だったので、印象が変わったとよく言われる。

「さあ…そういうのは教えてもらえないから」

「決まりなんだっけ?」

 譲り受けた方の眼を瞼の上からさわりながら、肩を竦めて頷く僕に。同僚は届いたハイボールを掲げてイタズラに笑った。

「たまたま新鮮な眼球が手に入りました…って感じなのか?」

「そんな言い方してくれるなよ」

 グラスを合わせる小気味良い音が響く。苦笑する僕に、お通しの枝豆をつまみながら同僚は言った。

「怯えるな怯えるな。実際、片方だけ綺麗に「残った」ってこともあるだろう?」

「そうだとしても…なんというか…」

「考えてもみろ」

 サヤだけになった枝豆を握ったまま、同僚は眼鏡を上げて声を低くする。

「そうでなきゃ、そのドナーはわざわざお前のために眼を…」

 背筋が寒くなり、身を引いた僕を同僚の笑い声が追いかけた。

「悪かった。そんな顔するなよ。ちょっと疑問に思っただけだからさ」

 メニュー片手につまみをテキトウに頼んでから、向き直った彼は軽い調子で付け加える。

「案外もう片方は、他の奴のところに行ってるのかもしれないしな」

 成る程…というか、考えもしなかった。

 借金で売り払ったとか、裏社会から流れてきた臓器的なものとか、黒い話が脳裏を過ったが、そんな代物が普通の医者の元に流れ着くのもおかしな話。たまたま片目だけが提供され、偶然自分に適応しただけだろう。



 一ヶ月が過ぎた。

 雙眼の生活にも慣れてきたし、支障はない。はずだ。ただ1つ、気になる点を除いて。

 杞憂だと思いたかったが、あまりにも続くので同僚に相談してみることにした。


 昼食を終えて喫煙所に入ると、丁度同僚が煙草に火をともしている。幸い他に人もいないし、簡単に前置いて覚悟を決めた。

「最近不思議なことが多く続いてて…」

 ふうん、と。煙を吐き出すついでのような相槌が返ってくる。

「夢をみるんだよ。何度もさ。病院のようなところで、目に包帯を巻いた女の子が出てくる…」

 少女は優しそうな医師による、献身的な診察を受けている。話も時刻も毎回違ったが、なんの病気でどこの病院かまでは分からなかった。だけどいつも同じ部屋の、同じ位置、窓から見える景色も同じ。当然、どちらも見知らぬ人だ。

 同僚は2本目の煙草に火をつけながら短く唸る。

「目に包帯、ね」

「気になるだろ…?」

「あまりにもタイムリーだもんなぁ」

「それに、虫の知らせというか…その子が僕に話しかけてくれて、電車を乗り過ごさずに済んだり」

「曲がり角で衝突せずに済んだり?」

 今朝、ぶつかりかけたことをからかわれつつ、頷いて答えた。同僚はまじか…と困ったように眼鏡を上げる。

「偶然…かな?」

「どうだろう…流石に考えすぎな気はするが」

 ふーっと。吐き出された煙の行方をなんとなしに追いかけていると、同僚はぽつりと言った。

「臓器に記憶が残る…って話を知っているか?」

「……うん。聞いたことあるかも」

「虫の知らせの方はよくわからないけれど、その少女とやらが元の持ち主である可能性は?」

「元の…ドナーってことか?」

 驚いて声を高くする僕を見て、同僚は笑う。

「まあ、ただの妄想だけどな」



 それからも暫く同じような出来事が続いた。

 忘れ物を指摘されたり、飲み過ぎを注意されたり。白昼夢なのか、妄想なのか。区別がつかなくなりそうで恐ろしい。

 更には夜の夢にも見るようになった。うっすらと記憶に残る程度だったものが、日に日に夢で過ごす時間が長くなっているような…

 そんな気がしてきた頃。

 会社で新しいプロジェクトチームが組まれた。よく知る先輩といつもの同期、それと、新人の女性社員。

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 今まで殆ど接点はなかったが、明るく気さくないい子のようだ。先輩と同期が駆けずり回り、僕と彼女はデスクワークでサポートする。

 最初に決めた体制のせいもあって、会社にいる時は彼女と四六時中一緒だった。会議しながら昼食をとり、残業ながらに夜食をとる。

 当然よく話したし、そこそこ仲良くなれたと思う。

 大変ではあったが楽しかったのもあって、山を越えればいつもどおりの平和な業務に戻れるだろうと、笑って乗り切るつもりだった。



 異変が起きたのは2日目の夜。



 疲れ果てた先輩と同僚を先に帰し、デスクワーク組でギリギリまで残業する。帰り際にコーヒーを買って2人で一息ついた。

「今日も大変でしたね」

「目の疲れからか、肩がやばい…」

 上に大きく伸びをする。体がみしみしと音を立てるのを笑い、彼女は控えめに僕を横から覗き込んだ。

「片目だけだと、余計疲れますよね…?」

「そうだね…大分慣れたけど、まだ時々頭ぶつけるし」

 冗談めいて返しながら、瞼の上から眼球を抑える。酷使したせいか熱を持っていた。眼帯をしているせいで、義眼側に座る彼女の表情はよく見えない。

「綺麗な色ですね」

「そうだね」

 優しい声で呟かれ、反射的に同意する。彼女は焦ったようにコーヒーを飲み干して席を立った。

「へへ、コーヒー、ごちそうさまでした」

「ああ。また明日もよろしくな」

 その背中を見送って、軽くデスクを整頓する。幸い、まだ残っている社員がいたので後を任せて20分後に退社した。

 終電より少し早いくらいか。

 駅に着いて電車に乗る。人も疎らで、車内は当たり前に静かだった。

 長椅子の隅に座り、最寄り駅まで1時間弱。

 5分も立たないうちに睡魔に誘われ、すっかり夢に落ちた。


 その先で。

 僕は全ての意味を知る。

 眠ったことを、これほど後悔したことはなかった。



 空は黒い。

 夢だと気付いたのは、いつもと同じ景色のせいだ。

 不揃いな街並みが遠く向こうまで続き。高いビルの高層階のような。

 窓の手前で闇に染まったカーテンが揺れて……

「ねえ」

 声をかけられる。明確に、こちらに向けて。

 驚いて振り向くと、いつものベッドに少女が腰掛けていた。彼女はいつもの患者衣ではなく、学生服を身に着けていた。

 紺のブレザーに赤いチェックのスカート…ベージュのセーターに緑のリボン……

 どうして忘れていたのだろう。事故のショックで、一時期記憶が混濁していたせいかもしれない。

 僕は、この子を…知っている。

 朝、怪我をする前だっただろうか。何度か電車で一緒になったことがある女子高生だ。

 思い出したことを知らせようにも、声は出ない。

 少女は一歩、こちらに近づいて言った。

「ねえ、あの女。だあれ?」

 あの女…?なんの話だろう。そもそもこの子とは話した記憶もなければ、ここ最近見かけた記憶もないのに。

 少女はまた一歩、進みながら呟く。

「駄目だよ。ぜーんぶ…」

 暗闇の中、月明かりに照らされて口元が見えるようになる。少女は笑顔だった。

 動けない。逃げ出したいのに。低く絡みつく甘い囁きから。

 2歩、3歩。近くに来て、彼女はまた口を開く。


「見 て る か ら ね」


 ……見てる?

 どういうことだ?

 混乱と恐怖で震えることしかできない僕の目の前で、少女は目を覆っていた包帯を解いていく。

 ゆっくり、ゆっくりと。

 隠されていた瞳が顕になる。

 彼女の瞳は、片方しかない。残ったひとつは、今、僕の眼窩に収まっているのと同じ…青みがかった、綺麗な黒色の。

「おや、見えたのかい?」

 いつも聞いていた医者の声がした。視線を移すと、彼は少女の肩に手を置いて言う。

「どうだ。うちの可愛い妹は、目に入れても痛くないだろう」

 よく見ると、誇らしげに笑う医者の顔にも見覚えがあった。事故の時、すぐ側にいた…気がする。分からない。意識を失う直前だったから。

 だけど、こんな偶然があるはずがない。つまり…だから……だけど……

 必死な僕の思考を遮って、少女がを持ち上げる。

「あなたの目に映っていいのは私だけなの」

 うっとりと微笑む彼女の瞳に反射するのは、瓶の中に浮かぶ2つの…薄茶色の眼球だった。


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目に入れても痛くはない あさぎそーご @xasagi

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