3話 ダンジョン
「────まぁ! ご自分で店を持っているのですね。それでは、特に研修はいらないかもしれませんね」
しばらくの間、面接が進められたが、その内容は特筆の無いものだった。
彼女の所作や言葉は見た目通り優雅で美麗なものであり、表情からは、穢れや不安なんて知らない令嬢のような印象がいっそう強くなった。
バカ高い日給も、世間知らずの貴族の令嬢とすればそれなりに合点がいくが、どこか違和感がぬぐい切れない。いうなれば、彼女の存在が物語の中から出てきたような、そんな浮世離れした存在であるとも感じてしまう。
「────何か、ご質問はありますか?」
質問は山ほどある。この店の外装と内装の差や日給などについての質問を投げたくなるが、それらを一度飲み込み、一番気になる質問をすることにした。
「…………あの、貴方は一体何者なんですか」
彼女は少しとしたキョトンとした後、何やら嬉しそうな表情で顔に手に当てた途端、寒気が背中を這うような感触を確かに覚えた。
「ああ……やはり分かってしまうものなのですね」
どろりと彼女の体が溶けた。
見間違いだろうかと思って二度まばたきをすると、その間に溶けた肉体は黒い霧状になり、そのまま黒い雲のような不定形の纏まりを形成している。
「私は貴方たちが魔物と呼んでいる存在です。種族は伏せますが、身分でいうと……そうですね、貴方の言葉なら『ダンジョンのボス』というのが一番分かりやすいと思います」
瞬間、顔から血の気がさっと引き、背中に大粒の冷や汗が伝った。
通常であれば冗談や妄言と一蹴されるその言動は、目の前の不定形の姿によって真実味を担保され。今までの奇妙さへの興奮は、あっという間に死への恐怖に塗り替えられた。
「人間の姿の方が話しやすいと思ったのですがこちらの姿の方が良いですかね」
うぞうぞと動く黒い霧は、令嬢の時と変わらない優しい声で話している。その声と一致しない見た目は強烈な違和感を与え、頭を混乱させる。何事も見た目で判断してはいけないとはよく言うが、これは例外だろう。
「…………人間の姿でお願いします」
「はい、分かりました」
安定しない呼吸の中で捻りだした返答に答え、影は再び令嬢の形をとった。
「あの……それじゃあここは何処なんですか?」
「ここは私のダンジョンの最下層、いわゆる『ボス部屋』の手前の空間になります」
ここまで来ると、そこまで驚きはなかった。彼女が『ダンジョンボス』というならば当然のように思える。それよりも、彼女の機嫌を損ねると帰れない可能性があることへの恐怖がより強まった。
「…………それで、私は何をすれば?」
「貴方には、私のダンジョンに来る冒険者のもてなしをして頂きたいのです」
「もてなしですか?」
「普通のカフェの接客をしてくれたらそれで構いません。冒険者の方々の要求する通りの飲食物を用意して提供するだけです。珈琲を含めた飲み物と地上にある食べ物は全て揃えておりますが、酒類は禁止です。酔っていると戦闘に影響するかもしれませんので。もちろん、本人が希望しないのであればそのまま奥の大扉の方まで案内していただけるだけで構いません。その場合でも給金は支払います」
「…………あの、何でそんなことを?」
一番気になっていたことが不意に口を出た途端、彼女の顔が明るくなった。
「それはですね! 私は全力の冒険者と戦いたいのです!」
「……全力ですか?」
「私のダンジョンはかなり複雑な構造をしていまして。力が足りない方の足切りに貢献はしていますが、力ある挑戦者たちも最深部に来る頃には疲れ果ててしまうのです」
「は、はい」
「でも、全力を出せない相手と戦ってもちっとも楽しくないでしょう」
「?」
「なので、入る直前の部屋に体力と魔力が全快になる床を設置してみたのです」
「??」
「ですが、人の消耗は体力や魔力だけじゃなくて精神面も重要と本に書いていまして……精神面の休息をとってもらうためにカフェを追加したいのです」
「???」
「ご理解いただけましたか?」
「あっ、はい」
普通によくわからなかったが、空返事をした。こういう感性は人間とは違うのだろうか。
「それで……こちらとしては是非ともご採用したいのですが。お受けしますか?」
受けるか、受けないか。選択肢は一つしかないように思えた。
断れば機嫌を損ねて殺されてしまうかもしれないという恐怖は無論あるのだが。その恐怖に慣れた所為で再び露出した興味が、その選択をきらびやかに強調しているように思えてしまった。
「……よろしくお願いします」
「はい!」
明るく彼女は答えた後、懐から『臨時店長』と書かれたワッペンのようなものを渡してきた。
「それでは、あと1時間ほどで冒険者の方がここに到着しますので、よろしくお願いします。私は戦闘部屋の演出の準備をしておりますので」
「はっ、えっ!? 今からですか!?」
「思っていたより冒険者の攻略が速かったので……ギリギリな時間になってしまいましたが、貴方が来てくれて助かりました。あ、制服は後ろのクローゼットに沢山入っているので好きなものを着てください」
「は、はぁ」
「私が殺されても給金は払えるようにしていますのでご心配なく。それでは、死んでなかったらまたお会いいたしましょう」
間髪入れない言葉の後、再び体が黒い霧になってあっという間に霧散し、店内には静寂と困惑と仕事だけが残った。
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