第31話 幕引きと求愛と

「警戒していたのに、中まで入りこまれるのは警備の名折れだと思う」


 騒ぎの現場に向かいながら、敦が呟く。少し先を走りながら、その声を拾った玲は、笑いながら答えた。


「その通りだが、仕方ない。人間に変化できる妖魔っていうのは、姿を変えられるというのがその特徴なわけだ。一度目撃された姿で、いつまでもいるわけじゃない。容姿自体は基本形からあまり変えられないとしても、たとえば年齢を大幅に調節すれば、別人と誤認させることくらいはできる」


 なるほど、と敦は平坦な調子で相槌を打つ。


「葉室要を食った妖魔は、そうやって人間に自分の正体を誤認させたわけか。妖魔の生態がよくわからない以上、外見が人間で、なおかつ葉室要と妖魔が一緒に暮らして打ち解けていたらしいっていう経緯を知っていれば、見つかった赤子は『半人半妖』って判定にはなるかもな」


 玲の苛立ち。他人の信用も信頼も拒否する素振りを見せながら、人間は妖魔をわかっていなさすぎると、ずっと言い続けていた。

 それでいて、妙に人間に対して興味がある。敦に対しては、なついているとしか見えない態度であった……と敦はしみじみと思っている。


「やっぱり、敦くんは気づいていたか」


 玲の足が鈍る。立ち止まりそうになる。背後からその肩に手を触れて、敦は低い声で囁きかけた。


「数多の禍事、罪、穢れがあらばよく祓え給え」


 ふわりと光る手で強く玲の肩を押し、「行け」と鋭い声で命じる。


「妖魔に有効な『異能』を持っていて、僕の身体強化の祝詞が有効で、人間側に立って妖魔と戦う意志がある。そのまま、半人半妖で通せばいい。僕以外にもたぶん気づいているひとはいるはずだけど、玲さんが玲さんである限り、死ねとは言わない。人間として生きろって、思ってる。わりと人間って、そういうところがあるんだよ。言葉が通じちゃったり、相手に心があると気づいてしまうとさ」


 振り返った玲は、笑顔になって「そうかな?」と首を傾げた。


「人間の中でも、敦くんは特別だと思う」


 茶化す様子もなく、偽りのない目をしていた。敦はそれを、受け止める。


「僕は結構普通だと思うけど、玲さんにとって特別なら特別でいてやるよ。なんでもいいからきちんと戦って、死なないで帰って来れば、それでいい」


 話している横に、胡桃を連れた星周が合流した。


「良かった、敦、胡桃さんを頼む。玲さんは俺と一緒に」


 直接返答することなく、敦はもう一度祝詞を唱えて星周の肩に触れる。

 騒ぎになっているダンスホールへと目を向けて、「早く行け」と二人に対して言い、走り出す背を見送った。


「私たちは、行かないほうが良いんですよね。足手まといになる……」


 その場に一度とどまった胡桃は、居心地の悪さを覚えて敦に尋ねる。敦は肩をそびやかして「その通り」と胡桃の問いかけを肯定した。


「僕は行ってもいいけど、胡桃は完全に邪魔だな。下手に能力を使っているところを見られないほうがいいだろうし。まさか、誰かに見られていないよな?」


 妙に勘の鋭い敦に問われて、胡桃は曖昧に笑った。

 枯れた花を戻したくらいで、さほど多くのひとに見られたとも思っていないが、後々になって「あれはどういう『異能』なんだ」と追跡されて検証されるおそれはある。

 わかっていたが、あの場ではあやめに対抗してそうするしかなかった、というのが胡桃の考えであり、軽率なことをしたと言われても譲るつもりはない。


「もし、私の『異能』が今後注目を浴びることになったとしても、葉室要さんの前例もあるのであれば、すごく大きな騒ぎにはならないでしょう」


 胡桃がしれっと答えると、敦はため息をついて、頷いた。

 

「すごく大きな騒ぎには、ならないかもしれない、それはそうだ。だが、小さな騒ぎにはなる。そこは覚悟しておけよ」


 人が行き交うことで騒がしい辺りを見回し、邪魔にならぬよう壁際に身を寄せながら、胡桃に対して重ねて言う。


「五分たって動きがなければ見に行こう。玲さんや星周以外にも『異能』持ちが集まっているのだから、手こずるわけはないが、万が一ということもある」


 わかりました、と答えて二人で並んで数を数え始めるも、五分とたたずに引き返してきた星周に、胡桃は呼ばれることになった。

 顔を見ただけで用件はわかったので、皆まで聞かずにすぐに走り出す。


「怪我人ですね?」


 苦しげな表情で、星周は頷く。


「申し訳ないが、胡桃さんの『異能』が必要だ」


 * * *


 女学校の教師として潜伏していた妖魔は、夜会へと向かう生徒たちの元へ訪れ、分乗した馬車の一台に乗り込んで会場に現れたのだという。姿は女学生らしく扮しており、顔見知りではない相手に対して女学生たちは不審がってはいたものの、馬車は政府側が用意したことから、何らかの経緯で合流したどこかのご令嬢と、納得していたらしい。


 次々と馬車が着き、玄関口から中へと進むときになって、別の馬車に乗っていた菜津が謎の令嬢を見て、年齢的な外見が調整されているものの松方の面影があることに気づいた。


「妖魔……っ」


 叫んだところで、擬態を解いて妖魔の姿となったそれは、爪をむき出しにした剛腕で菜津に襲いかかる。胸元を切り裂かれて、菜津は深い傷を負った。

 正体を表した妖魔は、すぐにそこまで駆けつけた異能持ちと戦闘になり、仕留められることとなる。

 動きを止めた一撃は至近距離まで肉薄した星周による殴打で、命を奪ったのは玲であった。


 息絶える間際、妖魔は「育てた生徒を奪われる、奪われる前に連れて行く」というようなことを口にしていたという。

 どうも女学生たちをどこかへさらうのが目的であったのではないかと推察はされたものの、菜津に重傷を負わせたことから、生徒を大切に思っているようにも見えず「妖魔らしく一貫性がない言動」と結論付けられ、事件は一応の終結となった。

 人間に擬態する妖魔がいることは、箝口令は敷かれたものの、広まることはもはや時間の問題。帝都におけるこの「録銘館事変」を境に、人間と妖魔の戦いは新たな局面を迎えることとなる。


 なお、胡桃の治癒によって一命をとりとめた菜津は、ますます「高槻妹」のファンになり、絶対に義姉妹になりたいと息巻き敦に対していっそう熱を上げて結婚を迫るに至るのだが、それはまた別の話。


 * * *


 録銘館事変の陰で、柿原家の騒動は「あやめは『異能』の扱いにおいて非常に軽率」という目撃談が決め手となり、邸内で横暴に振る舞っていたことと合わせて、離縁はしないまでも離れに蟄居で落ち着いたと、星周から胡桃へ報告があった。


「邸内の維持に関しては、これまでのあやめさんの働きは無視できない面もあると。下の者に対して厳しい向きはあったようですが、金銭の横領などをしていた事実もありません。ここで落ち度だけをあげつらって離縁してさらに追い詰め、その行動に目が届かなくなるのもあまりよくないとの結論です。忙しくてあの方と向き合っていなかった件、父も反省していました。それで言うと俺も『異能』関係の任務と言い訳して、あまり家に寄り付いてもいませんでした」


 胡桃は家族の認めもあり、敦のふりをするでもなく星周に誘われて気ままに街を歩きながら、顛末に耳を傾ける。

 いつぞや来たことのある橋に差し掛かり、川を渡る風に目を細めながら、遠く海の方角へと顔を向けて、自分なりの考えを口にした。


「それはたしかに、お忙しかったとはいえ、星周さんのお父様は反省なさるところですね。後妻としてのあやめさんを都合よく使っていたのでしたら、あやめさんだって働いた分、柿原家の実権は自分のものだと考えてしまうのかもしれません」


 それでも、夫不在の間にその子に手を出そうとした話は、情状酌量の余地はないと思う。星周が家に寄り付かなくなった原因でもあり「毅然と対処すべきであった、誰かに打ち明けるべきであった」と後から責めるのも酷なようで、思い出すたびに胡桃は胸を痛めている。

 石造りの手すりにもたれて、遠くを見る胡桃の横に立ち、星周はさらりと告げた。


「今後は父も在宅の機会を増やすとのことで、あやめさんとの関係修復をはかるつもりとのことです。俺の立場からは、夫婦のことはなんとも……。ただ、俺に関しては家に寄り付かない件も、結婚相手に関しても『好きにするように』との言質は得ました」


 いきなり核心に触れられて、胡桃は思わず自分のうなじを手でかばう。


(この話になるとは思っていましたが……! 噛みつき衝動に関しては確認しておかなければ……!)


 高槻家も認める仲となった以上、逃げも隠れもする気はないが、星周の正体について自分は知る必要があるはずなのだ。


「星周さんは……星周さんも……半人半妖のような、その可能性は。その、人型に近い妖魔はここを噛むとか、誰から聞いたのですか。一般的な知識ではありませんね」


 玲の知り合いであり、「異能」持ちであるから事情に通じていると解釈していたが、それにしても研究機関に属している敦よりも詳しいのは違和感がある。

 胡桃の疑問は当然とばかりに、星周は頷いて答えた。


「首筋を噛むという話は、父から聞いています。俺は柿原の血筋としては前妻の子にあたるわけですが、どうもその前妻がひとならざる者であった可能性があるようで、監視はずっとついているんですよね」


 星周が橋を渡った先の町並みに目を向ける。

 そこに、敦と並んで楽しそうに手を振る玲の姿を見て、胡桃は「そうかもしれないと、思っていました」と息を吐き出した。


 監視は玲かもしれないし、別の人間かもしれないが、こうも妖魔の習慣とされる行為「噛む」に固執する星周は、何かがある。自分でも持て余している性癖と告白されるより、種族的な習慣と言われたほうが、まだ理解はできる。

 胡桃が納得したのが伝わったのか、まるでお墨付きを得たとばかりに、ほっとした様子で、星周は「もう隠し事はないですよ」と笑った。

 その目が、自分の顔を見ているのか首筋を見ているのか判別できず、胡桃はうなじを手で押さえたまま言い返す。


「そういった形での求愛は、つまりここを噛むというのは、私は受け入れられないと思います!」


 だけど、二人きりのときに「どうしても」とお願いされたら、どうしよう? と胡桃は不意に弱気になったが、気取られないように目に力を込める。


 星周は声を上げて笑いながら「では、別の形で」と言い、胡桃の手を取って囁いた。

 ずっとあなたと一緒にいたいです、と。

 噛まれることは受け入れられない胡桃であるが、それ以外の覚悟はついているとばかりに、その求愛にはすみやかに応えたのだった。

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身代わりの男装令嬢は異能の青年に溺愛される 有沢真尋 @mahiroA

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