第18話

 こんなに速く走れたこと、これまでに一度だってない。というかお化け屋敷って、こんな広かった? いや、園内マップのサイズから考えても不自然だ。確認を取る術はないけど、建物の中は不思議な力で拡張していると考えていいだろう。私はゾンビとよく分からない化け物を振り切ろうと、必死に長い廊下を駆け抜けた。


「へっ!?」


 上からぬめった謎の液体が降ってきて、それが顔にかかる。臭くはないけど、すっごい嫌な感じだ。さなを抱えているから、触れて確認することはしない。

 ただ、なんだろう、これ。ベタッとしてるような……まるで、血、みたいな……。


「恨めしやぁ」

「っああああ!!」

「さな! 落ち着いて! それはさっきも見たやつだから大丈夫!」

「何回見ても怖いものは怖いよ!!」

「確かに!」

「気持ちが楽になる言葉を投げかけるの諦めるのやめてよー!」


 ギャーギャー言いながらだけど、私達はやっと追手を引き離した。気付いたら庭みたいなところに出ていて、嫌でも建物の広さを思い知らされた。

 さながそろそろ自分で歩くと言うので、そっと下ろして、顔に付いた液体を適当に払う。手を振ってそれを適当に落とすと、壁らしきところに手を付いた。つもりだったのに。ゴゴゴ……と、そこは音を立てて少し動いた。


「え?」


 壁だと思っていた場所は、蓋だったらしい。言われてみれば、棺桶が立っているように見えなくもないけど、動くなんて聞いてない。中から何かが出てきて、つい受け止めてしまう。


「リカちゃん……それ、骸骨……!」

「うわぁ!」


 慌ててそれを地面に叩きつけて、後ずさる。勢いで叩きつけてごめん、普通に砕けちゃった。

 音を立ててバラバラになったはずの骸骨が、カシャカシャと逆再生みたいに組み上がっていく。一つが完全に人の形に復元されると、ずらりと並んでいた棺桶の蓋が次々に開き、同じように中から骸骨が現れた。骸骨の群れは、私達の進路を完全に塞いでいる。こんなの、どうやって突破したら……。


「え、えーと……」

「さな! リカ! 後ろ見て!」


 あのね、私、もう振り返りたくない。背後から、ねちゃねちゃという、粘着質ないやぁな音が響いてるから。

 何が迫ってるのか、大体想像がつく。さなは私の手を掴んで震えていた。涙目どころの騒ぎじゃない。めっちゃ泣いてる。分かる、私も泣きたい。振り返らないわけにはいかないから、私はゆっくりと首を動かした。

 想像していた通り、背後からは先程撒いたと思っていた化け物共が迫っていた。地面を手で這いながら、空いた手をこちらに伸ばしている。


「くっ……さな! 行こう!」

「で、でも、骸骨が……!」

「いいから!」


 私はさなの手を引いて、再び走り出した。骸骨が抱きつくように手を伸ばしてきたけど、私は全力でそいつの体を蹴り飛ばす。肉が無いせいか、感触はかなり軽かったけど、バラバラになりながら吹っ飛んでった。

 そして遠くに白い光が見える。出口だ。そうか、中庭じゃなくて、私達が出たのは裏口だったんだ。暗すぎて分かんなかったよ。


「さな! もう少しだから!」

「うん!」


 ゴールまであと一歩というところで、辺りが急に真っ白になった。


「今度は何!?」

「俺達と、遊んでくれて、ありがとう……」


 どこからともなく響く声は、さなにも聞こえていたらしく、慌てて周囲を見渡している。だけどどこを見ても、何も見えない。真っ白な光以外は。

 ハートが、鎮まったんだ。私にとってはお馴染みの光景となりつつあるけど、記憶のないさなには初めてのことだろう。未だに状況が飲み込めずに混乱しているようだ。私は、さなに、もう終わったんだよ、と告げた。


「ハートが、癒やされた? みたいな……?」

「そういうこと!」

「俺達の脅かしに、本気で驚いてくれて、ありがとう……」

「うるさいわ!」


 べ、別に本気で驚いてなんか……いや驚いたよ。あれが怖くなかったらその人の心死んでるよ。

 イラッとしていると、ウガツが言った。早くワープして! と。いつもはここでわたわたしていたけど、今日は違う。マップとにらめっこをしながら園内を見回った時に、既に決めていた場所がある。


「行くよ! さな!」

「う、うん!」


 さなの腰を抱き寄せて、目を瞑ってイメージする。夕方から始まるパレードと、唯一関係ない区画。西のはずれのトイレを。うん、またトイレ。だけど、学校のトイレではないから、またとか言わないでね。

 先ほど行ったばかりの場所だから、想像するのは容易だった。中には入っていないから、トイレの裏手を思い描いた。トイレの裏なら雰囲気も台無しだし、隠れているカップルもいないだろうと踏んだのだ。

 目を開けると、そこはイメージした通りの場所だった。狙っていた通り、やっぱり周囲に人影はなかった。そのことに安堵しながら、空を見上げる。空は茜色に染まっていた。私達がわーきゃーやっている間に、いい時間になっていたようだ。


「戻ってきた、んだよね?」

「うん。さな、無理を聞いてくれて、ありがとう」

「ううん。怖かったけど……楽しかったね!」


 彼女はとびきりの笑顔を私に向けた。あんなに絶叫していたのに、楽しかったと言ってくれて、少し救われた気がした。


「あの、さ」

「うん?」


 さなは何かを言いにくそうに、自身のつま先を見つめていた。


「リカちゃんは、いつまで魔法少女を続けるの?」

「実を言うと、私にも分からないんだよね。恋をしたら、魔法少女は卒業だって言われてるんだけど」

「恋?」

「うん」


 さなは首を傾げた。今更になってあの時のウガツの気持ちを知る。本当だ、エッチをしたら卒業だって、めっちゃ言いにくいね。これは濁すわ。

 だけど、さなはあの日の私と同じように食い下がった。


「リカちゃんってまだ恋したことないの?」

「いや……初恋は、多分終わってる」


 そう、あれは幼稚園児だった頃。若い保育士のお兄さんに恋をした。恋って言っていいほどのものじゃないかもしれないけど。さなは首を傾げてこちらを見ている。やはりそこに疑問を持ったようだった。


「ウガツの話によると、エッチをしたら、卒業なんだってさ」

「あぁー……そういうことね。あ、ちょっと待って。なんか来た」

「私もだ」


 ポケットで振動したスマホを取り出すと、グループの子達からだった。今どこ? というスタンプが送信されている。そろそろあの子達とも合流しなくちゃ。だけど、私達にはまだやることがある。


「……あたしの記憶、消すんだったよね」

「……うん」


 さなは寂しそうな顔を浮かべている。さっきまでの笑顔の余韻のまま作られた、なんとも言えない表情。切なさと哀愁が同居していた。そんな顔をさせているのは他でもない私だ。見てるこっちまで胸が締め付けられるような気持ちになる。

 私はさなの記憶を消さずに済む方法を考え始めた。今更だけど。そしてそれを告げようとしたとき、私よりも先に、さなが口を開いた。


「あたしの記憶、ちゃんと消してね」

「……え?」

「だって、リカちゃんはそのためにあたしと仲良くしてくれるんでしょ?」

「そ、そんなことは……」


 無いと言ってあげたいのは山々だけど、あるんだよな……。もちろん、それはきっかけに過ぎない。さなのことをいい子だと思っているし、すごく可愛い人なのも、少しずつだけど分かってきた。

 だけど、不純なきっかけから始まって知り得たことがたくさんある中で、私はどうしても胸を張って「そんなことないよ」と言えなかったのだ。


「その、ごめん」

「いいんだよ。あたしのことが嫌いなら、成り行きで始まった関係とはいえ、継続させようとは思わなかっただろうから……リカちゃんがあたしのこと友達として想ってくれてるのは、ちゃんと分かってるから」

「うん……」


 本当は私が謝らなければいけないところなのに。さなに気を遣わせて、私の方が悲しくなっている。


「ちゃんとあたしの記憶を消して、ちゃんとあたしを利用して……また、仲良くしてね」

「……うん」

「約束だよ」

「絶対に守るよ」


 さなのことも、約束も。私はさなの額に手を当てて、記憶を消すよう念じる。さなは何をされているのか察したのか、その間おとなしくしてくれていた。利用して、か……。その言葉を否定できる日は来るのだろうか。

 記憶を消し終えると、脱力したさなが私に体を預ける。そっと抱き留めて、私は自分の服がコスチュームから切り替わっていることを確認する。

 終わったんだ、めちゃくちゃな一日だったけど。


「さな、起きて」

「うん……?」

「ほら、みんなと合流しよ」

「う、うん……うん?」

「どうしたの?」

「あれ、あたし……? お昼食べてから、リカちゃんと一緒になって……えぇと……?」


 なんでこんなところにいるのかは分からないのだろう。私は優しく微笑んで言った。さなは疲れてちょっとここで休んでいたのだ、と。トイレの裏で休むってどういう状況? と聞かれたら困るので、私はさり気なくスマホを持って時刻を確認して見せた。


「あー……そうだったかも。げっ! もうこんな時間!?」

「あぁ、うん。パレードが始まる前にみんなと合流しよっか」

「うん! 急がなきゃ!」


 そうして私達は駆け出した。途中、お化け屋敷の前を通る。さっきまでは絶対に無かったはずだけど、建物の横には大きく看板が建てられていた。


『絶対恐怖! 君は出口にたどり着くことができるか!?』


 マップを確認すると、さらに文言が追加されていた。当園自慢の本格お化け屋敷! と。どうやら、ヌルいお化け屋敷から抜け出し、ガチなそれとして名物になっているようだ。


「リカちゃん! 早く早く!」

「あぁ、うん!」


 お化け屋敷から聞こえる悲鳴を背に、私達はみんなが待っている集合場所へと向かうのだった。


  

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