第11話

 肩で息をしながら少し様子を見守る。再び動き出す様子はない。それを確認すると、私はやっと後ろを振り返った。


「さな、大丈夫だった?」

「うん。リカちゃん、すごいね~!」

「そうかな」

「あたし、リカちゃんの後ろなら怖くないよ」

「良かった……さなは、私の命だから」


 ちょっと大袈裟だったかもしれないけど、彼女がうっかり口を滑らせたら、私の平穏な学園生活は終わりを告げるんだ。しかもかなり残念な方向で。


「ウガツ、私はここで、何をすればいいの?」

「あちしには分かってる。だけど教えない! リカ! この間は自分で聞けたでしょ! ちゃんと彼らの言葉に、耳を傾けて!」

「時間がかかるからウガツに訊いてるんだよ!」


 胸ポケットの中で、顔と手だけをちょこんと出して勇ましい表情で語るウガツを、容赦なく怒鳴りつける。この間とはワケが違う。向こうは明確な敵意を持って攻撃してきたんだから。……ん? 敵意?


「あー……ちょっと待って」


 私はどこかから飛んできたサッカーボールを羽根箒で吹っ飛ばして、そのまま箒を肩に乗せる。片手を顎に当ててみる。分かったかもしれない。この体育館のハートの正体が。


「この攻撃性、どう考えても、私達を憎んでいる」

「うんうん!」


 ウガツは私の考察に頷いて目を輝かせている。首もげればいいのに。


 ――……な……ない…………た、ない……


「え? 何の声?」


 さなが周囲を見渡しても何もない。声はさなにも届いているようだけど、このおぞましい色の床も見えているのだろうか。気にはなるけど、確認作業は、今はしない。私は数歩、彼女へと歩み寄って距離を詰める。


「……聞こえた」


 確かに聞こえた。汚い、と。

 この体育館のビルハートの正体、それは施設を綺麗に使ってもらえないこと。なるほど、だから、人間が悪いんだ。それなら、私のやることをは一つ。


「オッケー……!」


 今回のが羽根箒なのも、やっと分かった。これはやっぱり道具なのだ。武器ではなく。私はゴルフのスイングのように、自分の足元から掬うように羽根箒を大きく振るう。


「綺麗にしてやるよ!」


 羽根箒が生み出した風が、緑色のヘドロの上を撫でる。すると、風が当たったであろう部分だけ、元のフローリングに戻った。


「ビンゴ!」


 やっぱりだ。正解を導き出してからは早かった。私は、綺麗になったところにさなを立たせて、一人でアリーナの大掃除を始めた。


「よいっ、しょっと!」


 徐々に綺麗になっていく館内。それと反比例するように、空間に立ち込めていた嫌な感じが消えていく。

 そして、全ての床を綺麗にし終えて、さなへと振り返る。


「すごいじゃん!」

「うん。元より綺麗になったかも」

「ね! ピカピカだよ!」

「さな!」


 油断して雑談に興じていた私達を、戦闘中であるという現実に引き戻したのはウガツの声だった。ウガツの視線を辿ると、さきほど壁に埋めたポールのパーツの一つが、真っ直ぐにさなへと向かっていた。


「ひっ」

「やめろおおぉ!」


 走るか、いや、私の身体能力が飛躍的に上昇していると言っても、これは間に合わない。小さくなったとはいえ、こぶし大の金属片が当たれば、絶対に怪我をするだろう。

 気が付いた頃には、私は羽根箒を手放していた。投げ槍のように投擲して。


「……っ!」


 魔法のおかげだろうか。それは一直線にポールへと飛んでいき、見事に貫いた。というか粉砕した。粉砕っていうのかな。ぶつかった瞬間、粉になった。鉄粉みたいな。

 羽根箒の勢いはそれでも衰えず、その身の半分以上が壁に突き刺さっている。


「び……っくりしたぁー……」

「さな、怪我はない?」

「うん!」

「良かった……」


 私はさなに駆け寄ると、腕や肩をぽんぽんと叩いて無事を確認する。そして何事も無いことを確認すると、その辺に落ちている鉄粉を見下ろして言った。


「さなに手を出したら、誰だろうと許さないから」

「リカちゃん……」


 言い終わるや否や、周囲があの謎の光に包まれる。問題が解決した、という解釈で間違いないだろう。

 前回、学校のトイレにワープしてしまったけど、もうそんな失態は犯さない。次やらかしたら誰か私のお尻叩いていいよ、本当に。


「リカ! どこか、安心できる場所を!」

「分かってる! えっと、えっと……」


 考える時間はほとんど無かった。だから私はイメージした。ここを。

 目を開けると、そこは騒動が始まる前に居た二階席だった。夢から覚めるみたいに、少しずつ実態を取り戻していく建物を見るのは変な感じがした。


「いいの? リカ」

「うん。誰も来ない場所っていうなら、今回はここ以上に最適な場所なんてないでしょ」

「リカちゃん、肝据わってるねぇ」

「魔法少女らしいし、多少はね」


 冗談交じりにそう返事をすると、さなと目が合って微笑んだ。


「リカちゃんは、いつもこんな事してるの?」

「ううん。前回が初めて」

「そして今回、正式に魔法少女ドカドカバキンになった、と」

「ウガツうるさい」


 本当にうるさい。悲しくなる系の本当のこと言うのやめて。


「それにしても、そうか……そういえば私、魔法少女ドカドカバキンなんだ……あのさ、名前の変更とか」

「ごめん、無理。あれは選手登録みたいな作業だから。一度登録した魂は引退しない限り抹消されないのよ」

「魔法があるんだからそんなのどうとでもなるでしょ!?」


 ウガツのやつ……絶対にどうにかできるのに、普段冷たくされてる腹いせをしているんだ……そうに違いない……。

 がっくしと肩を落としていると、さなが独り言のように呟いた。


「みんな、どれくらいで戻ってくるんだろ」

「ハートに冒された建物が発生した時は、みんな騒動のことは忘れたように過ごすから、多分すぐ戻ってくるかな?」


 ウガツの返答を聞いたさなは「そうなんだぁ~」なんて呑気に答えていたけど、私はそれどころではなかった。みんながすぐに戻ってきてしまうなんて、聞き捨てならないにもほどがある。


「すぐにさなの記憶を消さなきゃ!」

「え!? あたしの記憶消すの!?」

「そうだよ! 前回もやったし!」

「あたし前回も巻き込まれてるの!?」

「そうなんだよね……残念だけど……」

「やむを得ないみたいな言い方してるけど、リカちゃんが主犯だよね!?」

「主犯っていうとウガツも共犯みたいだね。その通りだけど」

「……もしかして、魔法少女だってこと覚えてる人がいるのが嫌ってこと?」

「ま、まぁ……」


 そして今しがたのウガツの言葉を思い出す。みんなが騒動のことを忘れたように過ごすのであれば、わざわざ私が彼女の記憶を消す必要って無いんじゃ……。


「リカ、『みんなが騒動のことを忘れたように過ごすのであれば、わざわざ私が彼女の記憶を消す必要って無いんじゃ……』って顔してるね」

「的確過ぎてキモい」

「キモ……!? と、とにかく、魔法少女のことを知っていたり、建物の暴走をずっと見てたりした人は別ね。あれから駅の中には入った?」

「行ってないよ。私、普段は徒歩で通学してるし、電車乗る用事もなかったから」

「あの駅はね、リカが作り変えてあげたように、少しだけ間取りが変わっていると思うわ」


 ウガツは淡々とそう言うけど、建物の中身がいつの間にか変わっているなんて、聞いたことがない。普通は、何ヶ月、時には何年といった大掛かりな工事を経て、ようやく実現する類のものだろう。にわかには信じられなかった。


「じゃああの三階の事務所みたいなところも……!?」

「リカちゃんとウガツちゃんが言ってるのって、新栄駅のことだよね?」

「そ、そうだけど……」

「三階の事務所ってなに? 三階はギャラリーでしょ?」

「ギャラリー!?」


 声が裏返る。確かに、あのとき、ビルハートに冒された駅は言っていた。壊して、いなくなりたい、と。つまり、私が壊した壁がそのまま無くなって、広い空間になって、大きなギャラリーになっている……?


「前の駅の姿をしっかりと覚えているのは、もうリカだけかもね。ハートの暴走は事故として、【人々の中であったような気がするけど、あんまりよく覚えていない体験】になっているの」

「そう、なんだ……」


 じゃあ、今回の、体育館の騒動だって……それなら、本当に急がなくちゃ。きっと今頃、みんな外で「なんで私達外にいるんだっけ?」となっていることだろう。

 私は向かい合って座っているさなの肩を掴んだ。


「ごめん、今のも含めて。全部忘れてもらう」

「え、嫌だよ、せっかくリカちゃんと」


 さなは何かを言おうとしていたけど、途中で記憶操作の力を行使して黙らせた。普通、こういうときって待っていてあげるものだと思うんだけど、こんな格好を人に見られたらと考えるだけで心臓が止まりそうになるくらい怖かったから。

 全身が脱力して、さなは私に上半身を預ける。私は彼女の背中に腕を回して、自分の服装を確認した。記憶操作の魔法と共に、私の魔法少女としての力は切れたらしく、コスチュームから体操着へと戻っていた。

 すぐに目を覚ますかと思ったけど、さなはすうすうと寝息を立てていた。しばらくは寝ているのかもしれない。そう思った私は、彼女をスタンド席に寝かせて、徐々に戻ってきた生徒達の往来を眺めた。


「あっ、リカちゃんいたー! 次、試合だよー!」

「はーい!」


 クラスメートに呼ばれた私は駆け出す。直前まで魔法少女として活動していたせいか、身体能力はまだ少し強化された状態だったらしい。自陣ゴール下から相手ゴールへの漫画みたいな超ロングシュートを決めた私は、それからしばらく英雄のように扱われた。英雄じゃなくて魔法少女なんだけど。

 閉会式、西日を照らすピカピカの床が、やけに眩しかったことが印象的だった。


 

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