第3話

 私はゆっくりと手を離す。私を見上げた子は、その、見た事がある子だった。全く接点が無いような子ではない。会話もしたことがある。私がちょこちょこ一緒にいるグループに、彼女のグループと仲がいい子がいるから。

 一番厄介な仲だ。一応クラスは違うし、決して仲良くは無いんだけど、名前を覚えてないって言ったら失礼に当たる感じの。ふわふわしたミディアムヘアを少し揺らして、ちょっと眠たそうな目に慈愛を込めてから彼女は言った。


「えっと……明日から、一緒に学校行こうか?」

「……」


 多分、彼女の中で様々な議論がなされた結果、私を慮るという選択肢を選ぶことにしたのだろう。なんだろう、イジメられて、本当は私は強い魔力を持ってる系の妄想をし始めてしまった、とか思われてるのかな。

 名前も知らないこの子は、私なんかの為に優しい提案をしてくれた。優しい子だと思う。私なら「強引に連れてきて急に何? 精神安定剤か青酸カリ飲め」って言うと思う。


「よく頑張ったわね! リカ!」

「うわ!? このちっさいの何!?」


 どうやらこの子にも見えているらしい。私の幻覚なんかじゃない説がちょっと強まって嬉しい。私は勢いに任せて言った。


「これはウガツ。私のマスコット、らしい」

「……えっと、マジなんだ? 魔法なんちゃらって」

「私も、さっき言われたから、分からない。コスチューム変化しないし」

「君達! 何をしているんだ!」


 せっかく路地で話をしていたというのに、初老の男性に見つかり、すぐに逃げるように言われてしまった。拒否しても不自然だ。仕方なく私達は大通りへと出て、彼の目を盗んで道を引き返す。

 優しい大人がいるおかげで逆走はかなり難しい。私達は自然と路地や人目につかない道を選んで駅に向かった。


「いや全然意味分かんないんだけど!? なんであたしまで!?」

「傍に居て! 絶対守るから!」


 まだ発現していない能力で守ると言いきるなんて、出世払いを本気で言ってる人と同じくらい信用できない。だけど、そう言うしかなかった。ここで彼女を一人で帰させるわけにはいかない。

 だって、彼女は私が魔法少女を自称したことを知っているのだ。現段階ではそれを知っているのは彼女だけ。だけど、これから彼女が家に帰るまでの間、誰かに会うかもしれない。もしかすると、兄弟が居て、彼らも私のことを知っていたとしたら。「あの人、自分のこと魔法少女って言ってたよ」と言われたら、全てが終わる。いや逆に始まる気すらする。とにかく、大変危険だ。だから、私は彼女を手放すわけにはいかなかった。

 バタバタと走っていると、鞄の方から不満げな声が聞こえてくる。さっき適当に名付けてしまったマスコットのウガツだった。


「あのね、あちしもメスなんだから。ウガツなんて猛猛しい名前、いきなり付けられても」

「猛猛しい……? まぁいいでしょ、呼び名が無いと不便だし」

「それは、そうだけど。ところで、今は人目があって変身しにくい環境だし、この姿のまま駅を目指しましょう」


 ウガツがそう言うと、私達は頷くしかない。そしてそれを見届けると、私の隣を見つめてウガツは、「さな、本当にいいの?」と言った。さなと呼ばれた子は力強く頷く。

 私は駅へと駆けながらも、ウガツに出会ってから初めての「よくやった」を感じていた。そうだ、さな。言われてみればそんな名前だった。

 ふわーっとした感じの彼女は、いつも誰かの話に合わせて笑って、だけど自分の話はあんまりしない子だった。だからだ。顔の印象は結構しっかりあるのに、名前も、どういう子かも思い出せなかったのは。今も、名乗ってもいないはずの名前をウガツから呼ばれたことに、質問一つ投げかけない。


 私達は駅の入口に来ていた。地下通路の、だ。地上はダメだ。撮影をしている個人だけではなく、テレビ局か何かの空撮まで飛び回っている。私達が気付いてないだけで、ドローンを飛ばしている人もいるかもしれない。まずは人目を避け、安全に変身することが急務だと思われたので、そうした。

 駅周辺の施設を繋ぐ地下道で、元々多くの利用者はいない印象だけど、今は私達以外に一人もいなかった。当たり前だ、この状況で中が崩れたときのリスクが頭を過ぎらない人はいないだろう。


「じゃあ、リカ。いいかしら? 変身の準備を」

「う、うん」

「このマジカルアイテムにあなたの声を吹き込むのよ!」

「ただのボイスレコーダーが魔法少女用のマジカルアイテムを名乗るな」

「はい、じゃあリカの変身用ボイスは『ただのボイスレコーダーが魔法少女用のマジカルアイテムを名乗るな』で決定ね」

「ごめんなさい」


 いくらなんでもそれは酷い。私は冷たい目をしてボイスレコーダーを操作するウガツに謝罪し、改めて声を吹き込むことにした。どうやって持っているのかは考えないことにした。ウガツより大きいから、そもそもどこにしまってたのかも分からないんだけど、考えたくないことは全部魔法のせいにしてる。横を見ると、さなはちょっとワクワクした表情をしていた。できることなら権利を譲りたいんだけど。

 それにしても、何がいいんだろう。「やー!」とか、かな。小さな声で「変身……」って言うのもありかも。自分で「魔法少女」とか言うの辛いし。せめてあと十年若ければ……十代でこんなこと考える日が来るなんて予想してなかったな。


「あ、魔法少女は絶対に入れないとダメだよ」

「先に言え」


 つまり、魔法少女は免れない、と。でも、そのあとの言葉を日本語っぽくすれば、傷は浅い気がする。例えば、ッテシッテル? とか。他には、イタライイネ、とか。

 早くしないと、駅がとんでもないことになってしまう。ウガツはボイスレコーダーのボタンを押して、じっとこちらを見ていた。普通に怖い。心霊写真の一枚として紹介されたら何の疑いもなく信じる自信がある。

 勢いに任せて言えば、いい言葉が飛び出るかもしれない。かなり行き当たりばったりだけど、緊迫した空気に急かされた私は口を開いた。


「魔法少女……!」


 しかし、ヤケクソは唐突に終わった。録音を始めた途端、周囲の壁が崩壊を始めたからだ。グラッときて、一瞬で「この揺れ方は命に関わる」と肌で感じる。

 頭が何かを考えているような自覚はなかった。さなの目は、驚きで見開かれている。遅れて気付いた。体がやけに軽いのを。地下道は簡単に人が死ぬような崩落をしている筈なのに、頭のどっかじゃこんなんで死ぬわけないって思ってる。いや、分かってる。崩落に巻き込まれなきゃおかしいのに、余裕だって身体が叫ぶ。

 さなを抱えて前方に進んでみると、自分の体とは思えない馬力に、思わず声が出た。


「うわっ!?」


 気付くと、地下道と駅を繋ぐ入り口の分厚いガラスドアを突き破っていた。体はピンピンしている。さらに、さなの体をガラス片が傷付けないようにと願ったおかげか、その通りになっている。

 私は振り返って、少し前まで自分達が立っていたところ、地下道を見つめた。そこは崩壊した壁や天井によって塞がれていた。私が変身に失敗していたら、今頃あの中で救助を待つ身になっていただろう。いや、死んでたか。呆然と、直前まで自分が居たところを見つめていると、さなが言った。


「……リカちゃん、ウガツは?」

「さぁ。あの瓦礫の中じゃない?」

「……いいの?」

「良くはないんだけど、これで呪縛から解放されるなら安いものかなって」

「え? 二人を繋ぎ止めるものって運命とかじゃなく呪縛だったの?」

「ウガツは運命とか言ってたけど、私は呪縛だと思ってる」

「わ……」


 ウガツのことなんかよりも、地中に埋まってしまった自分の鞄と教科書の方がよっぽど大事に思える。とはいえ、それも今の私の思考の一割に満たない。今はとにかく、この軍服のようなコスチュームが気がかりだ。本当に、変身してしまった。魔法少女になってしまった、と言わなかったのは、全然魔法少女っぽくないから。スカートなのはいいんだけど、肩まわりはパキッとして窮屈な感じがするし、首もちょっと苦しい。

 よく考えると、ウガツがいないとどうやって元に戻ればいいのかも分からない。このままでいるのは色んな意味で嫌だ。やるべきことがあってこの姿になったであろうことは分かるけど、私はもう日常に戻ることを考えている。

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