4. 紫色の麒麟

『よう、怪我ァ治ったみたいだな』



『……』



『安定にシカトしてくれんなァ。あんたさ、少しは抵抗しねぇと死ぬぞ』



夕暮れ前の放課後、屋上だった。ヤンキー3人組にボコられた青木は3日ほど入院して退院した。何も無かったかのように登校してきたが、右目には眼帯をしていた。


目が見えなくなったとか、そういう事か? となんとなーく思いながら、柄にもなく優しく声を掛けてやったのに青木は相変わらず無視を決め込む。けどまぁ、無理もないんだろうけど。こいつからしたら、俺の方がよっぽどタチが悪い。いつも暴力を振るうお前なんかに助けられたくなかった、と顔に書いてある。青木は屋上のベンチに座っていて、うざったそうに街を見下ろしていた。俺とは目も合わせたくないようだった。



『そういう態度がいちいち…』



俺は呆れてそう呟きながら来た道を戻ろうとドアに手を掛けると、青木がようやく口を開いた。



『苛立つって? だから殴る? 蹴る? 何をしたって俺はお前を殴り返さないよ。いい加減、気付けよ。もう俺ら高三だぜ? それとも何、そんなに俺と喧嘩したい? もしそうなら、お前って死ぬ程、脳みそ無ぇんだな』



これだ。助けてやったんだから礼を言えとは言わねぇが、こいつだって言葉は選ぶべきだろう。その言葉と態度のせいで殴られてんの気付かねぇわけねぇよな? もう高三なんだから。



『本当いちいち腹立つな。なんでだろうな、ここまで人に腹が立つ事ってなかなか無いんだけどよ』



『だったらわざわざ来るなよ。俺はヤクザ嫌いだし、お前みたいなヤクザの息子も本当に嫌いなんだよ』



目を合わす事なく言われた言葉に、俺はまた手が出そうになったが、ぐっと堪えて青木の横顔を眺めた。



『ま、それは同感だけどよ。俺だってヤクザ嫌いだけど、他人に面と向かって言われると腹立つよな』



『お前の腹立つはもう聞き飽きた。何の用なんだよ、一体』 



『せっかく良い知らせ持って来てやったんだから、少しは愛想良くしろよ』 



『は?』 



安定してとても面倒くさそうな顔をする青木に、俺はついふっと笑ってしまった。



『そんな顔すんなって。あんたとは二度と会わねぇから、もう安心しろって。誰もあんたに暴力振るわねぇよ。…な? 良い知らせだろ?』 



はぁー、良かった。ようやくかよ。そう青木は溜息混じりに安堵を含んで言うかと思った。しかし俺の予想とは異なり、青木は何も言わず、ただ俺の顔を見上げたままだった。その目が何を語ろうとしているのか俺には分からなくて、俺は何を言うべきか途端に分からなくなった。


そして少しだけ沈黙を生んだあと、青木はまた景色を眺めるように俺から視線を外す。



『…俺にそれをわざわざ伝える意味は?』



『意味なんてねぇよ。たださ、仲良かっただろ、俺ら。だから一応な。声、掛けておこうと思って』



『どうでも良いけど退学? 警察沙汰なったろ』



『警察はおっかねぇな。俺がヤクザの息子ってだけで偏見すごくてよ、話聞いてくんなくてさ。危うく鑑別所入れられるとこだったわ。まぁでも、結果的にはこうして自由になったわけだけど』



ケタケタ笑ってやると青木は、『じゃぁ、なんで』と呟く。じゃぁ、なんで、ね。意外だった。理由なんか知りたいんだ。



『内緒』



『は?』



でも言うべきではないと思った。もう二度と会うべきではない。また会えばロクな事にならないのだから、もう二度と会わない方が俺にとって良いと思った。だってこいつは俺を、容赦無く、崩してしまうから。だから、二度と…。



『……なんだよ、それ…』



親父が俺を半ば無理矢理に転校をさせる事になったのを、俺は良い機会だと思った。離れる為の良い理由だと思って飲み込んだ。親父が高校を転校させる理由は脅迫めいた手紙が親父宛に送られるようになり、家族を殺すと記載があった上で、俺の写真と高校の住所もあった事が関係していた。親父は焦ったろう。昔を思い出すような脅迫の仕方なのだから。


俺が幼稚園生の頃、似たような脅迫文が送りつけられた事があり、公園で遊んでいた俺を狙って男が刃物で切りつけてきた事があった。しかし他の組員がその男を取り押さえ、揉め合う中、パトロール中だった警官に男は取り押さえられて呆気なく逮捕された。俺も止めに入った組員も無傷だったが、親父はその事をいつも何処かで気にしていた。


だから何かが起こる前に俺をこの学校から離すべきだと考え、俺はそれを良い機会だと思った。青木なんて腹の立つ男を一生忘れようと決意した。


でも、青木は喜ばなかった。離れてやるって言ってんのに、嬉しそうに頬を緩めなかった。



『なぁ、』



青木の低い声に俺は青木を見下ろした。



『いなくなる、とだけ俺に伝えて、理由は何も言わない気なのか。何処に行くかも? だとするならお前って本当に自分勝手すぎて反吐が出る』



そんなに気にするような事だったろうか。俺がいなくなる事に対して、喜ばない理由は何もないだろうに。



『別に大した理由じゃねぇよ。けど生憎、俺もあんたの事は反吐が出るほど嫌いだからなぁ。理由も何処へ行くかも言わねぇよ。それに間違えて再会なんてしちゃったら、俺、きっとあんたの事また殴っちまうと思うから』



『……いい加減、暴力に頼んなよ』



『あんたが言うように、俺は所詮ヤクザの子だからさ。暴力まみれの世界に飛び込むしかねぇの。だったら暴力を楽しまないと、ね?』 



『何々だよ、お前。本当に、何々だよ…』



青木はギリッと奥歯を噛み締めると、拳を握って俺を睨みつけるように見上げた。



『……赤澤、お前の人生をぶち壊してやる。この三年間、俺はお前に散々な目に遭わされた。なのにお前は勝手に消えンだろ。だから俺は、お前の人生をぶち壊して、死ぬまで苦しめてやる。お前がこのままヤクザになるなら、俺は将来お前を追い詰めて、地獄に落としてやる』



刑事になるんだもんな。なら、俺はこいつとかち合っちまうのかな。



『出来るもんならやってみろよ。俺を殴る事さえできないあんたに、俺を地獄に落とすなんて大層な事、出来ねぇと思うけどな。そもそもどーやって俺を見つけンの? 俺のストーカーにでもなる? 俺はあんたに何処へ行くかなんて言わないよ』



『言わなくても見つけてやる。顔変えたって見つけてやる。見つけて、死ぬまで苦しめてやるよ』 



『……へぇ、そうかよ。怖ぇな。じゃぁ、整形でもしようかな。顔変えて体型も変わりゃぁ、分からねぇだろ』 



青木は自分を落ち着かせるように呼吸を整えると、少しの沈黙を置いた後、苛立ちを押し殺してぽつりと呟くように訊ねた。



『なぁ。…何、入れんの』



『え?』



『スミ、入れんだろ。何、入れんの』



『決めてねぇな。…なんで? スミで認識する気かよ』



『……もしお前がスミを入れたら、それは顔や体型なんかより、ずっと分かりやすい証拠だろ。だから、何を入れんの?』



顔や体型が変わっても、スミで見つけてやるって事か。そこまでして俺に復讐したいんだ。そこまでして俺を見つけたいんだ。



『あんたって平和好きだよな?』



『…何、急に』



『非暴力って平和的だろ。だったら麒麟でも入れようかな。あれって平和の象徴らしいから』



『そんな理由で決めんのかよ』



青木の怪訝な顔に、俺はクスッと笑ってしまった。



『何色が好きよ』 



『そんなの聞いてどうすんの』 



『いいから、何色が好き?』 



青木はじっと街を見下ろしながら、ぽつりと答えた。



『………紫』 



そう一言だけ。ムラサキ、と。



『なら、背中に紫色の麒麟を背負ったやつを見つけンだな。その麒麟の髭は濃い紫色でさ、足元の火ィも紫。紫色の麒麟を背中に入れた男がいたら、とことん仕返しすればいいよ。力でねじ伏せて、組み敷けるもんなら組み敷けば良い。自分の欲望だけをぶつけて勝手な事すりゃぁいい。俺があんたにした事だ。出来るもんならやってみな』 



青木は何も言わなかった。ただじっと街を見ている。



『…それじゃぁな』 



青木の横顔を見て、その場を後にした。もう二度と会う事はない。会うべきではない、そう思いながら。

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