7. 藤の花
*
『…と、蒸し暑い日が続きそうです。関東では梅雨前線から…』
ピッ
『…最近話題のこのダイエット!1日たったこれだけでなんと、10キロ減…』
ピッ
『いやぁー、本当に驚きでしたよ。まさか自分の親を、ですよ? なんとも衝撃的で…』
ピッ
「…というわけだ、…って、おい、ミツキ、聞いてんのか」
テレビのモニターをじっと見つめてチャンネルを変えていた俺に、目の前の男は怪訝な顔をして睨んでいる。いや、決して睨んでるわけではないのだろう。目つきが悪いのはこの人の生まれつき。俺も似たようなところだから、共感できない事もないのだけど、この人は色男の風貌と、貫禄あるヤクザな風貌、両方併せ持つからタチが悪い。プラス、歳を重ねて渋さが増し、男からも女からもどうしようもなくモテる。
「はい。聞いてます」
「じゃぁ何を言ったか言ってみろ」
どこの教師だよ。リモコンを握り、接続の悪いテレビに向けてカチカチと再びチャンネルを変えながら、目の前の怖い男の言った事を繰り返す。
「多崎興業が出した不当たり小切手をどうにかしろ。佐島建設が仲介に入ったらバックが出てくるから面倒。佐島を出さずに多崎から金を引っ張れないか、という事ですよね。それなら山野議員の件を出す、というのは如何ですか。多崎をつつくなら、佐島は避けられません。なら最初から佐島の持っている荷物をつつく。佐島が山野議員に金を出してる証拠は掴んでますし、元はといえば多崎の不当たりが問題です。山野議員を脅しのネタに使ってしまえば逃げられないでしょう。そうなれば佐島はすぐに動き、多崎にうちに金を払えと圧を掛けるに違いありません」
淡々と答えると、男は頭を掻いてソファの背もたれに深く寄りかかり、「ほーう」と顎を撫でている。この男は、関東天久会直系龍稜組のトップあり、俺が保谷さんと呼んでいる恩人である。盃を交わしているから本来であれば、おやっさん、オヤジ、と呼ぶべき相手だが、ふたりの時は、それまで通り保谷で良い、と男は言う。他の連中の前ではおやっさんと呼ぶ俺は、この人とふたりになると保谷さんと呼び方を変えていた。そんな男は目的の為なら手段は選ばず、面子の為なら命を賭ける。その男の組を敵に回すとは、多崎興行も馬鹿をしでかしたものだ。
「…相変わらず頭の回転が早いな。よくあの山野を突こうと思うよなぁ」
「あまり佐島と敵対したくはありませんので、最終手段として使いたかったのですが、仕方がありません。今回は金額が金額ですから、佐島にハッパかけて、多崎を動かす必要があり、それには山野が手っ取り早い。そう思ったまでです」
言い切ると、保谷さんはふっと笑う。俺は再びテレビに視線を向けていた。少し気になる事があったからだった。別件で、少しゴタついている事だが、どのニュース番組もやはり取り上げていない…、その事が無性に気になった。テレビを消し、リモコンをローテーブルに戻す。置くと同時に保谷さんは長い両足を、持て余したようにトンとローテーブルに重ねて置くと、俺を見下ろすように視線を落とした。
「それで? 俺の話よりも熱心になってたテレビからは、何か情報は得られたのか」
「どこもニュースになってないようなんです」
「あ? 何がだ?」
「青ヶ崎山近くの産廃場の件です。この前話したでしょう。あの周辺、今は廃れてて土地の価格はかなり低いですが、国が買い取る可能性が高いから買うなら今だって。でも、俺のツテで調べてもそんな話出て来ませんし、あそこの地主が売るとは思えなくて。何か地元民とのトラブル等で、ニュースになってないかと探ってはいるのですが、全く出てないなぁと」
「へぇ。しっかり裏取りか? 感心するねぇ。頭も良くて仕事も出来て容姿も良い。お前、人生楽しくて仕方ねぇだろ」
この人は、俺がそう思ってない事を百も承知で言ってくるから意地が悪い。食えない人だが、俺は助けられた日に、この人の為に命を捨てる覚悟をした。この保谷という男に、男として心底惚れている俺は、ただただこの男に従順なのだ。
「そうですね」
「ふふ、そうですね、か。…ま、その産廃場の件はお前に任せる。とにかくよ、多崎の方を今はどうにかしなきゃならねぇ。で、だ。顔の良いお前が行くと女共喜ぶからさ、シャクレ、…サクレ、なんてった、あのー新しく出来たクラブ」
「礼子さんのところですか? クラブシュクレです。フランス語で砂糖」
「クラブ砂糖? 菓子屋かよ。なんだってそんな変な名前にしたんだよ。ひとまず、そのクラブに山野議員さまさまがほぼ毎晩通ってるって話し、聞いた事あるからよ、早速今夜行ってみるぞ。あの狸親父の情報、得ておいた方が良いだろ?」
「分かりました」
保谷さんは俺の返事を聞くと、頬をゆるりと上げながら、タバコを懐から取り出して咥える。対面に座っていた俺は、咄嗟に腰を上げて横につくと、中腰になって、持っていたシルバーのライターで火を点けた。ジュッと先が火に焼かれ、煙がゆるりと舞い上がる。保谷さんは「お前も一本」と独特な香りのする巻きタバコを俺に渡した。
「ありがとうございます」
受け取って対面のソファに戻る。そのタバコの煙を、肺に押し込むように深く吸った。少し咽せ返りそうになり、コホンと小さく咳をすると、保谷さんは甘い顔で揶揄うようにケタケタと笑っている。
「優等生はタバコが苦手か? え?」
「煙を入れすぎただけです。…タバコくらい吸いますよ」
「まぁ無理すんな」
タバコは普段から少しくらい吸うし、無理などしていないのだが、この人の巻きタバコが異常に強いのだ。肺に刺さる感じがして苦手ではあったが、なんだか子供のように扱われ、俺は少しだけ臍を曲げそうになった。
「あ、そういやぁさ、うちから逃げた若いやつ、どうなった?」
保谷さんは美味そうに煙を吐くと、そう首を傾ける。当たり前だが、仕事の話ばかりだ。昔はもっと俺の周りの事をコレでもかと言うほど聞いてきたが、ある程度の時間を共にして、俺に聞きたい事などなくなったのだろう。かと言って、プライベートな事を聞かれたって、返答に困るだけなのだが。仕事以外の話も、保谷さんと久しぶりにしてみたい、と思うものの、まぁそんなチャンスはないだろう。
「女の居所が掴めましたので、捕まるのも時間の問題かと」
「そう言って逃げられたやつは何人もいるぞ」
「慎重に進めます」
「期待してるぞ」
甘く微笑まれ、トンと胸が熱くなる。この人に期待される事が、頼られる事がどれほど嬉しいか。熱くなる頬を必死に隠しながら、タバコの煙を肺深くに押し込み、「はい」と頷いた。しばらく互いに何も話さず、タバコを嗜み、保谷さんは吸い終わると灰皿に押し付ける。続けて俺も押し付けて消した。
まだ何か話しがあるのだろうか、そう様子を伺うように保谷さんに視線を戻すと、ぱちりと目が合った。長い足を組み直すと、首を傾けて俺を見ている。
「原とは相変わらずか」
これは仕事半分、プライベート半分、ってところだろうか。あいつの話題とは珍しい。
「はい。石井の件、…その逃げた若いやつの件も、産廃場の裏取りも、あいつが追ってます」
「ブレーンはお前だな?」
「はい」
「中学からの付き合いだったよな? 長いよなぁ。あんなイカれ野郎、側に置いて苦労ないのか?」
「イカれてますけど良く動きます。ブレーンが良くても、良く動く体がないとどうしようもありませんから」
「ふふ、プレーンが良くても、なぁ? お前のそういう謙遜しねぇとこ好きだなぁ。…そういやぁ、ムショから出て何年になる?」
俺はくっと拳を握った。昔を思い出す事に対して、未だに抵抗があるのかもしれない。弱い男だと、自分が嫌になる。
「もう、五年でしょうか」
「長いな」
「はい」
「お前がここに来たのも、もう随分昔の事みてぇだよな」
「………そう、ですね」
平常心を装って眉間に皺を寄せていたであろう俺に、保谷さんの目はやけに冷たく見えた。何故、冷たく見えてしまうのか、きっと俺の心の持ちようなのだろう。
俺は心底あんたに惚れてこの世界に入って来たが、やはりあんたの狙いは……。いや、そんな事はない。この人がいなければ俺は今頃、死んでいたのかもしれないのだから。そう何度も自問自答を心の中で繰り返していた。
「まぁ、原と仲良くやれよ」
保谷さんはそう言うと腰を上げて伸びをする。
「さて、俺は行くとするかな」
「今日は早いですね」
「この後ちょっと用があんだ」
保谷さんは顎髭を整えるように撫でると、席を立った俺の方に振り返り、「あ、そうだ」と片眉を上げる。
「夜、来いよ。クラブのあとだ」
「…分かりました」
保谷さんはそう怪しく口角を上げると、そのまま部屋を出て行った。部屋を出た瞬間、事務所にいた全員がガタガタと椅子を鳴らして立ち上がり、「お疲れ様です!」と頭を下げている。保谷さんの用心棒はドアの前でずっと待っていたらしく、保谷さんが出て行くと一緒に事務所を後にした。
窓から下の玄関を覗くと、保谷さんは俺に気付いてひらひらと手を振っている。彼の周りには三人もの大男が護衛の為に立っているが、誰ひとりとしてニコリとも笑わない。なんとも言えない緊張感だ。保谷さんが去るのと同時に俺の緊張もすっと解け、うんと伸びをした後で部屋を出た。
「ご苦労様です!」
「ご苦労さん」
部屋を出ると何人かの若衆がいて、俺にペコッと頭を下げた。そのうちのひとりが駆け寄って来る。
「藤さーん、おやっさん急に来るのどうにかして下さいよ! せめて一報がほしいんスけどぉ!」
「おい、ナオト!」
ナオトという童顔な若衆は両手を合わせて俺に頼み込み、その横で駆け寄って来た、ナオトの保護者のような男、セナにピシッと頭を叩かれている。ナオトは「いだい!」と悲鳴を上げたあと、俺に上目遣いで再度頼み込んだ。
「だっておやっさん来ると用心棒も来るじゃないスかー! あいつら俺達を睨むンすよ! ここはおやっさんの組だって言うのに!」
ごもっともであはある。保谷さんは本家の本部長でもある為、本家にいる事が多く、用心棒も本家の組員だった。用心棒との接点がない為か、あいつらはこの組に来る度に睨みを利かせるから、若い連中も居心地が悪いのだろう。
「藤さんの力でどうにかして下さいよー」
「それは無理だよ。来る時は必ず用心棒がいるし、それにあの人はここ気に入ってんだから」
俺がそう言うと、滅多に笑わないセナがクスッとおかしそうに笑った。
「ここ、じゃないっスよ。藤さんを気に入ってここに来てンすよ。おやっさん、藤さんの事大好きですから」
「…そうだな」
どうなのだろう。保谷さんの本音を、俺はまだ知らないのだろうか。
「藤さんには激甘っスもんね」
「ふふ、そうだなぁ。だって俺、従順だから」
それは少しのブラックジョークが入っていた。俺がここにいる経緯を知ってる組員なら気付くジョークに、勘の良いセナはもちろん気付いていた。
だがナオトは、「藤様は優等生〜!」と騒いでいる。何も知らないのだろう。俺はそんなお気楽ナオトの頭をポンと撫で、「おやっさんには言っておく」そう伝えて事務所を後にした。
仕事を何件か片付けて深夜少し前。大都会の真ん中、高級繁華街の端に位置するクラブシュクレ。礼子ママこと礼子さんが経営する小さなクラブは、開業からずっと彼女の客で賑わっていた。客層は幅広く、俺たちが脅しのネタに使おうとしている山野議員も入り浸っているらしい。カランとドアベルを鳴らし中に入ると、既に満席に近かった。ざっと店内を見渡すが、山野議員はまだ来ていないようだ。
「あら、いらっしゃいませ」
礼子さんは上品な濃紺の着物を身にまとい、相変わらず整った綺麗な顔で微笑んでいる。昭和の銀幕スターのような柔らかくも凛々しい雰囲気のある彼女に案内されて、俺は席に着いた。
「お久しぶりですね」
「えぇ、ご無沙汰してます」
奥の部屋には既に保谷さんと保谷さんの用心棒、そして叔父貴にあたる関田さん、それと知らない若い男がいた。日焼けした肌、涼しげな黒髪の短髪、タイなしのシンプルな白いシャツは胸元がざっくりと開いている。どうやら墨は入っていない。金のチェーンのネックレスはいかにもゴテゴテなのに、何故かそいつの雰囲気と顔立ちと骨格で、ファッションとして洒落て見えるから不思議だ。右耳の金のフープピアス、鼻にはピアスの跡がある。金はなさそうだが、洒落た若いやつ。チャラついてはいるが、ホストのそれとは全く違う。どう見てもヤクザには見えない。が、この席にいるという事はそうなんだろうかと思いながら、俺は「遅くなりました」と挨拶をする。
その若いのも含め、女の子がついているようだった。おやっさんの用心棒は相変わらず飲みの場に興味なさそうで、能面をつけてただ座っている。それが滑稽ではあった。
「おう。お疲れ」
保谷さんに微笑まれ、席に着く。
「で、仕事は片付いたのか」
「はい、書類整理はひとまず」
保谷さんに挨拶をして、すぐに叔父貴にも頭を下げる。
「ご無沙汰しておりました、関田の叔父貴」
「よう、久しぶりだなぁ」
叔父貴はウィスキー片手に相変わらず調子良く笑っている。ひと通り挨拶を済ませて座ると、礼子さんがおしぼりを渡しながら微笑んだ。
「開店してから三週間も経ちましたのよ?」
「すみません、なかなか顔を出せずに」
「みんな、藤さんのお顔を見たがってたの」
「よ! 富士山、ご開帳〜!」
そういつものように揶揄うのは関田の叔父貴である。腹立つなと俺が呆れたように叔父貴を見つめると、礼子さんが「あら、縁起良いじゃない」と愛想良く笑っている。
「なぁーに、ママもこいつが良いの? やだねぇ。こういう面の良い男には注意しなきゃダメだよー?」
目を細める叔父貴に対して、保谷さんはケラケラと笑い、「良いじゃない」と頬を緩めて酒を一口だけ飲んだ。
「面が良いに越した事ねぇさ。女の子だって盛り上がる。お前は見た目が怖すぎンだよ、兄弟」
「あのなぁ、この世界で色男はいらねぇの。藤の面は端正すぎんだろ。この仕事で見た目が良いってのはどうかと思うぜぇ?」
「アハハハ、モテないからって僻むなよ」
「僻んじゃねぇよ」
保谷さんと関田の叔父貴の付き合いは長く、保谷さんが飲む時は、しばしば呼び出される叔父貴だが、いつも何かしらの用があって席にいる事が多い。今日も何か用があっているのだろうか。それとも、ただ保谷さんと飲みたかっただけだろうか。仕事の話は特になく、山野もまだ現れず、しばらく互いにあーでもない、こーでもないと言い合っては肩を揺らす。
その後、保谷さんは何がそこまで面白かったのか、笑って涙目になりながら、店で一番高い酒を頼み、盛り上がる女の子達と酒を飲み交わし、少しして、叔父貴が思い出したように俺を見た。
「あ、そういや酔っ払う前に、藤、こいつ紹介しとくわ」
そう叔父貴に言われた若いやつが、俺に小さく頭を垂れた。
「佐々木 柊平(シュウヘイ)。タチの悪い半グレよ」
半グレ。通りで雰囲気がヤクザのそれじゃない。
だが、だとしたら、大組織の幹部がいるこの席に何故、同席しているのだろう。怪訝な顔をした俺に気付いたのか、佐々木という若い男は、「仕事で関田さんの世話になってます」と早口に喋る。緊張しているだろう事は一目瞭然だった。何が買われて、何の為に俺に紹介してきたのだろう。俺は佐々木から視線を外して叔父貴に視線を移すと、叔父貴はにやりと笑みを溢した。
「良い仕事してるからさ、ちょっとした労い。…ってのは名目上で、本当はお前に紹介したかったのよ」
「俺、ですか」
「しばらく働いてもらったら、兄弟と盃交わす。お前の側につけるから、頼んだよ。まぁ、要は用心棒だ。話はさっき兄弟とつけてあるからよ」
何を勝手に…、と焦りを噛み殺す俺の前で、保谷さんは肩を揺らして笑っていた。
「その顔は嫌だ、だろ」
保谷さんはそうウィスキーのロックを飲みながら片眉を上げた。カランと氷が心地の良い音を立てる。
「俺はいち組員です」
「いち組員だが一番稼ぐ。お前を邪魔だと思う連中がここんとこまた増えてきたろ。会長ももう歳だし、最近はめっきり体が弱って仕方ねぇ。跡目を決めて引退するって話しだ。…で、ここだけの話し、次期跡目に俺の名前が上がってんだ。まだ非公式だし、樋上の若頭がいる中でそれは表明できない。けど俺が次期跡目となるなら、お前を連れてテッペンを取りたいと思ってる。早い話し、お前には死なれたくねぇのよ」
「そう言っていただけるなんて、有難い事ではありますが、俺に用心棒だなんて大袈裟です。俺が他の連中から目の敵にされる事は承知してます。仕方がありませんから…。でも、いち組員の俺が用心棒なんて付けてしまえば、ますます敵を増やすかと」
「用心棒つけなきゃタマ取られるかもしれねぇのに、そんな呑気な事を言ってる場合か。我儘言わず、はい、有難うございます、って受け入れて、この若いのを側に置いておけ」
「…けど、」
厄介だった。用心棒なんてつけてみろ。また俺への反発が濃くなり、何よりそれは、保谷さんにとってもマイナスになってしまう。跡目の話が浮上しているなら、尚更だ。俺は膝上でぐっと拳を作る。保谷さんは溜息を漏らすと、「な?」と関田の叔父貴を見た。
「やっぱ断ってきたろ」
「なぁーんで断るんだか。良い話しじゃねぇか、なぁ? こいつは運転も出来るし、ヤンチャしてた分、喧嘩も強い。度胸もあるぜ? お前を守ってやりてぇっつー兄弟の気持ちを汲んでやらないのか、お前は」
叔父貴は、強面の顔を更に歪めて俺を睨むように凄むから俺は頭を掻いた。参ったな…。
「あの…、カシラは、この事を知っていますか」
組の若頭である望月は、俺が組に入る事に対して最後まで反対していた男だった。保谷さんが半ば強引に押し切るような形で、俺に盃を交わしたのだから、俺への風当たりは大分強い。それでも保谷さんを慕う望月は、仕方がないと、最近、ようやく俺を身内として認めてきたというのに、俺が平然と用心棒を付けるようになれば、カシラは良く思わないだろう。だってカシラに対して、喧嘩を吹っ掛けるような行為だろうから。保谷さんが直々、俺に用心棒を付ける、つまり俺を重要視し、次期組長のポストを俺にするんじゃないかと、カシラが勘繰ってもおかしくはない状況になってしまうからだ。だからカシラは知っているか、と聞いたが、保谷さんはあまりにも平然としている。
「お前が不安視する事は何もねぇよ。あいつには俺から説明する」
「……ですが…」
「なぁ、ミツキ、」
この人の今後を考えて、俺に用心棒なんて付けない方が良いと俺は必死に考えているのに、当の本人はなんとも余裕そうで、それどころか頷かない俺に苛立ちを示した。
「はい」
低い声で名前を呼ばれ、俺は顔を上げる。保谷さんの鋭い眼差しが俺を射抜き、逃げ場を無くす。冷たい刃物を突きつけられたようで、息を呑み、ただその場に縫いと留められた。
「お前が、俺の意向に背く訳ねぇよな?」
俺に拒否権はないのだ。この人の為に命を使うと決めた時から、もうずっと。
「……はい、分かりました」
頷くと保谷さんは満足そうに笑い、「よーし、纏まった!」と叔父貴と笑っている。陽気なもんだ。俺が引き金になって、この人をドン底に落としてしまうかもしれないと言うのに。反旗を翻そうとする連中が水面下で燻っている事を、この人だって気付かないわけがないのに。
「盃はまだ少し先だが、こいつをすぐにでもお前の下につける。試用期間ってとこだ。可愛がってやれよ、お藤さん」
叔父貴に微笑まれ、にこやかな保谷さんを横目に頷くしかなかった。
「…はい」
しばらく叔父貴と保谷さんは酒を飲み交わし、女の子と上機嫌に話している。佐々木という俺の用心棒になったらしい半グレは、俺と目が合うと、ぺこっと頭を下げる。ガタイは良いし、背も高いが、まだ若い。ヤクザの用心棒なんて、どうして引き受けたんだ…。俺は男の視線を溜息混じりに無視をして、隣に座る女の子と話を交わした。
そうしてカランとドアベルの音が聞こえ、俺はそちらに視線を向けた。今日の本題は俺でもなければ、この半グレでもない。俺は瞬間的に保谷さんに目配せすると、保谷さんは、分かってる、と静かにアイコンタクトを取る。
騒がしい店内に、山野と若い男の秘書が入って来たのだ。
「…それでね、私、先週誕生日だったんですけどぉ、まだココアがぁ、」
女の子のペットの話しを聞き流し、相槌だけを打ち、横目で山野の位置を確認する。俺達からは死角になる少し離れたVIP席に案内され、そこに腰を下ろしてしまったようだ。近くで話しを聞きたいがそれは無謀だったか。何ひとつ見えないし聞こえねぇなと、チッ…とつい舌打ちをしてしまった。隣にいる女の子には舌打ちが聞こえたらしく、不審な顔をされるから、焦って誤魔化し、「お誕生日おめでとう」とひとまず笑ってみせた。
「あ、ありがとうございまぁす」
「誕生日プレゼント、何か用意しますよ。次来る時に持って来ます」
「えー? 本当ですかぁ? 嬉しい!自慢しちゃおー」
「自慢になるかは分かりませんが、何が好みですか?」
「藤様からのプレゼントは自慢になりますよぉ。ちなみに、今ね、欲しい物があるんですよぉ。ロエットのハートのピアスなんですけど、なかなか手に入らなくて…」
「分かりました」
頷いて微笑むと、叔父貴が「おいおい、」とまた茶々を入れてくる。
「サエちゃん、そんなヤツやめとけやめとけ。次はいつ来るかなんて分かんねぇぞ」
「えー、次いつ来るんですかぁ?」
自分が可愛い事をしっかり理解してる女の子は嫌いじゃない。とことんこの商売の子達はすごいなと頭の片隅で思いながら、少し悩んだように返事をする。
「出来るだけ早く来ます」
「次来る時は、ひとりですかぁ?」
「どうでしょう。ひとりで来るかもしれません」
「じゃぁ、サービスしちゃいまぁーす」
わーい、とあざとく笑顔を振り撒く彼女に、保谷さんは「そりゃないよー」と片眉を上げて、冗談ぽく笑っている。
「聞こえてんのよー? サエちゃんのサービス、気になっちゃうじゃない」
女の子は「じゃぁ、保谷さんもひとりで来たら、サービスしちゃーう」と上目に微笑み、保谷さんはケタケタと笑って流すように「嬉しい事を言うね、今度同伴してから来ようかなぁ」と、隣にいる女の子の太ももに手を置いている。置いたまま、俺に視線を向けた。この人はいくつになってもイケイケなんだろう。
談話しつつ、俺は仕事を忘れちゃならなかった。横目で通路を見ると、山野の秘書が手洗に立ち、数分後、戻って来るなり山野に何かを耳打ちする。携帯電話を取り出し、何かごたついていた。もしかしたら席を外すかもしれない。移動するとしたらどこだろうかと、俺は話し声を拾う為に手洗へと向かい、サエさんも一緒に席を立つ。
だが、山野達が何を話しているかは全く分からない。分からないが、通り過ぎに見た限り、面倒な話をしている事には違いなかった。
「…ねぇ、」
「何ですかぁ?」
「あの方、山野議員ですよね?」
手洗前、俺は今気付いたように山野を見ながら訊ねる。彼女は「そう!」と頷いた。
「ご贔屓にして頂いておりまーす」
「一緒にいる方、結構若いですね」
「あー天野さん? 28って言ってたかなぁ? でも童顔だから、最初私より年下かと思っちゃいました」
「議員秘書とか大変そうですね」
「大変だと思いますよぉー。ここだけの話、たまーにひとりでいらっしゃるんですけど、疲れ切った顔してますもん」
「へぇ、ひとりで」
この子、口が軽いかな。何かとベラベラ話してくれそうな気はするけど、どうだろう。俺は何の気はないように質問を続ける。
「あの秘書の指名はやっぱり礼子さん?」
「やだぁ、違いますよー! 確かにぃ、ママ美人だけど、あの人、童顔大好きなんです。ロリコンって言うのかなー? ほら、私、童顔でしょ?」
ほーう。これは良い。彼女に甘く微笑んだ。
「サエちゃん指名なんですね」
「ひとりで来る時は、ですけどぉ。何度かお誘い頂いて、飲みに連れて行ってもらったんですけど、かなり変わってるんですよぉ。天野さんは俗に言う可愛い系イケメン? ですけど、私は藤様みたいな人がタイプでーす」
この子は口が軽いな。これはラッキー。秘書を通して、脅しのネタが何か見つかれば良いが、試す価値はあるだろう。
「サエちゃん」
「はい」
「この後、空いてますか?」
簡単に事は進む。少しの贈り物と歯の浮くような言葉を二、三。彼女には悪いがこれも仕事。結局、事が終わったのは午前六時少し過ぎた頃だった。
「……もしもし」
まだ起きているだろうと、一応夜行けなくなった事を伝えていた保谷さんに再度電話をすると、3コールで応答した。少し機嫌の悪い声だった。いや、眠いだけかもしれない。
「終わったのか?」
「えぇ。面白い事実が分かりました」
「そうかい」
「…すみません、遅くなりましたので、明日にしましょうか」
「あ? 今夜、って言ったろ。車、飛ばして来い。たんと付き合えよ。家で待ってる」
「はい」
俺はホテル前ですぐにタクシーを捕まえると、郊外にある保谷さんの屋敷へと直行した。都内に二部屋持っている保谷さんは、週末になると郊外の屋敷に帰る。室内にはプールや和風庭園があり、小さな離れまである屋敷だ。これぞ、というようにドーベルマンが二匹いて、用心棒とお付きが三人在中している。そんな屋敷に着き、チャイムを鳴らすと、すぐに若いのが門の鍵を開けた。
「お疲れ様です」
俺は屋敷に入ってすぐ、離れに出向く。保谷さんはいつも離れにいた。その離れには、保谷さんが気に入っている立派な藤の花が見られ、それを見ながら浸かれる檜の露天風呂があり、そこで一杯嗜む事が、この人にとっては至極の時間らしい。ドアをトントンとノックする。入り口に飾られている藤の花を甘く香らせながら、保谷さんは顔を出した。
「おはよう」
「おはようございます」
深い灰色の浴衣を着た保谷さんに出迎えられ、俺は一歩、部屋の中へと入った。若干、酔っている様子だった。保谷さんからは酒の香りが漂っている。
「それで?」
保谷さんは大股にソファに腰を下ろす。
「結論から言えば、金になるかと。多崎が飛んでも、佐島は金を補填せざるを得ません」
「掴んだ情報の裏は?」
「今取ってます」
「そうか。まぁ、座れ」
言われた通り対面のソファに座り、写真を一枚見せた。そこにはどう見たって未成年だろう女の子が、犬のような首輪をつけ、両手でピースサインし、満面の笑みで笑っているのが写っていた。女の子の横にはあの秘書が裸で写っている。これを見た保谷さんはギョッとしたように目を見開いて一瞬固まり、それから涙目になるほど笑い出した。
「おいおい、これはヤバいんじゃねぇの」
「えぇ、かなり。これがあれば金は絶対に引っ張って来れます。あの秘書について調べましたが、相当敏腕で、山野にも信頼されてますし、山野の銭勘定は全てあの秘書の管理だそうです。ちなみにプライベートも全部。なので、これを利用すれば倍にして請求できます」
「頼もしいねぇ。で、その写真はどう手に入れた?」
「俺についてた子からです。あの秘書、自慢気にこの写真送ってきたみたいですよ」
「狙った女にする事かよ」
「掘れば掘るほど、面白い事が次々見つかる男でした。あんな問題児、雇った山野も終わりです」
「そうなぁ。ま、裏取れたら一応知らせてくれ。お前も動くんなら裏きちんと取ってから動けよ」
「はい」
「……で?」
で。保谷さんはウィスキーをグラスに注ぐと、片眉を上げた。
「待ちくたびれてんのよ」
低い声から苛立ちが感じ取れ、ひゅっと喉が鳴る。
「…すみません」
保谷さんは呆れるほどモテるから、何人も隠し子がいるって噂がある。クラブに行けばお気に入りを必ず持ち帰るし、どいつもこいつも、みーんな、この人に憧れ、惚れてしまう。いくつになっても甘い顔で笑い、白髪までも洒落て見えるのだから羨ましい。この人は昔から飄々として、渋くて、物腰柔らかで男気に溢れている。
その反面、この人は一番ヤクザで、一番冷酷なのだ。
「……っ、ん…」
鼻が垂れ、嗚咽しそうになっては涙が溢れそうになる。その様を、保谷さんは心底愉悦に浸るように頬を赤らめながら見下ろしている。喉の奥に熱を吐き出すと、保谷さんは「よく飲めるな」と鼻で笑った。
俺はストレートのウィスキーで喉を焼き、テーブルに置いていたメガネを掛けながらソファに戻った。
「保谷さんのですから」
そう無表情に言うと、保谷さんはくくっと笑う。
「愛想はねぇが、お前が女だったら良かったのになぁ?」
「俺が女だったらヤクザやってませんよ」
「あ、それもそうよな。稼ぎ減っちゃうな」
「えぇ」
「けどお前が女だったらどうなってたんだろうな? あんな事件を起こして雇ってくれるとこはねぇだろ? そうなると、ヤクザ相手に体売ってるかもな」
この人の鋭い視線は、まるで氷の刃のように冷たく、向けられる度に、背筋を撫でられるような感覚に襲われる。何度経験しても慣れることはなく、心の奥底まで凍てつくようだった。
「どっちにしろ、ですね。俺とこの世界は切っても切れないんでしょう」
「そうだなぁ?」
保谷さんは巻きタバコに火を点けると、また柔らかく笑い掛けた。
「天職だと思うぜ。お前にとっちゃこの仕事は」
「…そう、ですね」
少しの間に、保谷さんは「不満か?」と反応した。
「いえ、そういうわけでは。あの日、保谷さんに拾われてなきゃ、俺は死んでましたから」
「だろうな」
ふぅ、と吐かれた煙が静かに宙を舞っている。
「…保谷さんは何故、俺を側においてくれるんですか」
「良い駒になると思ったから、だよ」
「良い駒…」
「賢い駒よ。内部事情もうーんと知ってる。引き入れればかなり強いと思ってね」
そう頬を緩めると、タバコを挟んだ指先で頭を掻いた。保谷さんから視線を逸らし、俺はぽつりと漏らす。
「……でもあなたの敵でした。あなたが一番、俺の事、憎いでしょう」
吐き出された独特な葉っぱの香りが、ふわりと俺の鼻孔をくすぐった。保谷さんは静かにタバコの煙を燻らせる。少しの間を置いて、保谷さんは静かに口を開いた。
「へぇ、分かってんじゃねぇの」
低い声に、ひやりと悪寒が走る。俺はくっと拳を握った。
保谷さんは片眉を少しだけ上げて、ゆっくりと立ち上がる。乱れた浴衣から長い足を晒して俺に近付くと、タバコを指に挟んだまま、俺の頬を鷲掴んだ。鋭く冷たい視線が、睨む様に突き刺さる。
「なぁ、ミツキ。俺の元を離れる事は、死を意味すると思え。お前の周りにいるやつも、お前のせいで死ぬと」
「…はい」
頷くと、保谷さんは頬を緩めて相好を崩した。ポンと俺の頭を撫で、目を細める。
「ヤクザ者をムショにぶち込んで来たお前を、こうして守ってやってるのは誰だったか、忘れンなよ。お前は俺の為に死んでもらわねぇと、なぁ?」
喉のひりつきを感じた。ただただ甘い藤の花の香りと、タバコの渋い匂いが鼻を掠める。俺は生唾を飲み込み、その瞳をじっと見つめ返した。この人は誰よりもヤクザで、誰よりも警察が憎いのだ。それなのに俺を側に置いている。五年前から、ずっと。
この人の大切な人をムショに送り、死なせた、元刑事の俺を、側に。
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