第35話 「可視光線③」
アンセスとファルシネリは見通しの良い観客席の最前列に立っていた。
先ほどまで繰り広げられていたメリーガムとエストラーダの戦いは、エストラーダの作り出した濃霧によって遮られている。
厚い霧の中、時折聞こえてくるのは、石銃の音と、苦痛を帯びたメリーガムの声だけだった。
眼前に広がる光景をみれば、エストラーダが何らかの感知能力を持っていることは容易に想像できる。
それによってメリーガムが圧倒的に不利な状況に追い込まれているであろうことも。
アンセスのような優れた感覚も、ファルシネリのような相手の魔力を感じ取る技術も、メリーガムはもっていない。
二人には、自分たちの仲間がただ一方的になぶられ続けるのを、ただ黙って見ていることしかできなかった。
先に動いたのはアンセスだった。
「これ以上は無理だ。リタイアを申請しに行く」
そう言って闘技場に背を向けた彼の手を、ファルシネリが掴む。
「……なんだ?」
「もうちょっと待って」
ファルシネリはメリーガムの魔力が小さく揺らぎ続けていることを感じ取っていた。
『魔力の揺らぎ』とはいわば、予備動作のようなものである。
声を出す前に息を吸うように。
走り出す前に地面を踏み込むように。
魔術を使用する前に、必ず存在する小さな動作である。
優秀な魔術師ほど、この揺らぎを巧妙に隠したり、あるいは大げさに見せたりして相手をかく乱するのだが……
いまのメリーガムにそのような技術があるはずもない。
にもかかわらずメリーガムの魔力は刃を研ぐように、静かに、揺らぎ続けていた。
極限状態の集中によるものなのか、肉体の生存本能なのかは判別がつかないが……
―――メリーガムが決定的な何かを狙っている。
という確信がファルシネリにはあった。
この『揺らぎ』を、エストラーダが事前に察知することが出来ていれば、この勝負の結果はまた変わったものになっていたかもしれない。
だが、戦力分析の大部分を己の千里眼に頼っていた彼は、メリーガムの奥の手に気が付くことが出来なかった。
〇
霧の中、私はがむしゃらに走り回っていた。
何も見えない状況で、エストラーダの攻撃だけが的確に自分を打ち抜いてくる。
水の刃が何度も身体を切り裂き、全身が痛む。
水球がいくつ設置されているのか?
沼が作られていた場合どうすればよいのか?
エストラーダの位置はどこなのか?
分からないことだらけだが、それらを知るすべはない。
今はとにかく、攻撃が外れるように祈りながら走りまわるしかなかった。
その間、ここから勝つための方法を考えてみたが、良い案が思いつかない。
ひとつだけ、一か八かの策があるのだが……
それを成功させるためには経験も、技術も、何もかもが足りていない。
だが……やるしかない。
闘技場中を走り回って、私が得た情報は二つ。
霧は私だけを囲んでいるのではなく、闘技場全体に広がっているという事。
そして、エストラーダが石銃を撃つタイミングは、音で判断できるという事。
なぜエストラーダはわざわざ音の鳴る武器を使っているのだろうか?
彼の性格や考えからその理由を推し量るのは難しすぎるし、そんな余裕もないが……
とにかく……石銃を撃つ際の音。
それだけが今の私に残された最後の希望だった。
この音にすべての感覚を集中させなければならない。
やること自体はさっきまでと同じだ。
エストラーダの石銃に、私の無敵を合わせる。
違うのは、固有魔術を防御ではなく攻撃に使うという点である。
私が思い描いているイメージが実際に可能なのかどうかは分からない。
失敗したら石銃の直撃を食らう事になる。
だが、いまのエストラーダに勝つにはこれしか方法が思いつかない。
前回の射撃から数十秒経過している。
そろそろ撃ってくるはず……
カチン。
石銃の音。
それに反応して私は無敵を発動する。
―――次の瞬間、全身に激痛が走る。
骨が軋み、内臓が体内を跳ねまわる。
頭の奥で擦れるような音が響いて、真っ白な世界が回転する。
気づいたときには砂の地面に横たわっていた。
身体を起こそうとするが、バランスを取れずに倒れる。
違和感を感じて視線を降ろすと、左腕が変な方向に曲がっていた。
胃の中の物を吐き出すと脇腹が刺されたように痛んだ。
左腕から胸にかけての皮膚は焼けただれ、妙な匂いがする。
朦朧とする意識のなか、私は遅れて理解する。
失敗した。
無敵が発動しなかった。
覚悟はしていたことだが……
石銃の直撃をもらってしまった。
「ぐっ……」
これではもう、まともに動くことは出来ない。
私は身体を引きずり、小鹿のように地面に座り込んだ。
撃たれてから結構時間が経っている気がするが、霧の中から水の刃は飛んでこなかった。
動けない相手を倒す方法はいくらでもあるはずなのに何もしてこないということは……石銃が再び射撃可能になるまで待っているという事だ。
つまり、エストラーダはトドメの一撃に石銃を使おうとしている。
正真正銘、最後のチャンス。
飛びそうになる意識を何とか保ち、意識を集中させる。
カチン。
再び石銃の音が響く。
私はありったけの魔力を使用し、固有魔術を発動した。
〇
気が付くと、エストラーダは地面に倒れていた。
目の前には青空が見えている。
頭の後ろからはジャリ、と音がした。
口の中から血の味がする。
馬に蹴られでもしたかのように上半身が痛む。
特に右腕が酷い。
頭を動かすと、破裂した石銃とそれを握る血だらけの右腕が目に映った。
「……は?」
何が起こったというのか?
エストラーダは先ほどまでの事を思い起こした。
動けなくなったメリーガムにトドメの石銃を撃ちこんだのは覚えている。
そして……その瞬間に視界が柔らかい光に包まれて……
なぜか今は地面に転がっている。
「生きていますか?」
青空を背景に、金髪の大男が覗き込んでくる。
対戦相手のメリーガムだ。
メリーガムの身体は傷だらけで、立っているのが不思議なほどだった。
「……何をしたんだ?」
エストラーダは地面に倒れたままメリーガムに質問を投げかけた。
「あなたの霧に、無敵を付与しました」
「……はあ?」
「私は自分以外のものにも固有魔術を使用できます。なので濃霧をひとつの水の塊と解釈し、無敵を付与しました。……難しくて一度失敗しましたが」
エストラーダはようやく、自分の身に何が起こったのか理解した。
石銃を撃った瞬間に、メリーガムが固有魔術を発動。
無敵を付与された霧は石銃の銃口を塞ぎ、行き場の無くなった魔力が暴発。
自分はその衝撃でダメージを受けたというわけだ。
まさか、霧そのものに無敵を付与するとは……
もう身体はまともに動かせない。
回復魔術を使う時間もない上に、ここまで近づかれてしまったらこちらが何をしてもメリーガムに阻まれてしまうだろう。
「トドメをさせよ」
「その必要はありません。あなたが負けを認めてくれれば良いのです」
メリーガムは真っ直ぐな目でそう言った。
おそらくコイツはかなりのお人よしだ。
出来る限り殺しは避けたいってことなんだろう。
だがそれでは困る。
勝負に負けた上に慈悲をかけられたとなれば、奴に何をされるか分からない。
……仕方がない。アレをやるか。
「しってるか?メリーガム。魔術ってのは触媒を使う事で威力を底上げできるんだぜ……」
エストラーダが口を開くと、メリーガムが身構える。
「触媒ってのは髪の毛とか爪とか、術者の身体の一部のことだが……一番効率が良いのはこれだ」
そう言ってエストラーダは口から水の塊を吐き出した。
メリーガムの顔の前まで浮かび上がったそれは、エストラーダの血液によって赤く染まっていた。
赤い水球は不規則にボコボコと音を立て、破裂寸前の爆弾のように膨張する。
危険を察知したメリーガムは目を見開き、エストラーダに向かって手を伸ばす。
そうだ。それでいい。
魔術が発動する前に術者を倒す。
それが最善策だ。
エストラーダは筋肉質の腕が自分に振り下ろされる光景を見て、目を閉じる。
「…………」
しかし、いつまで待ってもエストラーダの身体に拳が落とされることは無かった。
代わりに聞こえたのは破裂音と、砂が巻き上がる音。
「……?」
エストラーダが不思議に思って目を開けると、なぜか自分の身体が微かに光っている。
上体を起こすと、目の前にメリーガムがうつぶせに倒れていた。
その身体は先ほどの血を混ぜた水球の破裂でズタボロになっている。
「なんで……?」
口から疑問が零れる。
いまの状況……メリーガムに負ける要素はなかった。
魔術が発動する前に敵を仕留めてしまえばよい。
それが間に合わないと感じたなら自分に無敵を使えばよかったのだ。
だというのになぜか、メリーガムは敵であるエストラーダに無敵を付与した。
「け……決着ーーーッ!!勝利したのはエストラーダ様です!!」
霧が晴れた闘技場に審判の絶叫と鐘の音が響き渡る。
爆発したかのような歓声が勝者を褒めたたえる。
歓声に包まれる闘技場。
そのなかで、エストラーダは倒れたままピクリとも動かないメリーガムを、黙って見下ろしていた。
鍵束の魔術師 塩ノ海 @shioumi64
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