10.マムシちゃん、自然を守る

第10話

大勢の人が行き交う東京の街。アスファルトに照りつく夏の日差し。それらを板挟みするかのようにたたずむビル。

 すると突然、空に黒雲が現れて、雷をとどろかし、大雨が降ってきた。街中の人々は突然の大雨にあわてた。地面が水浸しになった。靴底が浸るくらいだ。

 鳴り響く雷をバックに、ビルの上でたたずんでいる、一人の青年。あわてている人々を見下ろしながら、フッと笑った。


 一週間、雨が降りっぱなしだ。けど、マムシちゃんには好都合だった。

「なぜなら……。カエルが捕り放題だからであーる!」

 袋いっぱいに、カエルが入っていた。アマガエルにダルマガエル、トノサマガエル。一番大きいので、ウシガエルだ。

「これだけあれば、一週間、いや二週間は飯抜きでもいけるな。やっほーい!」

 と、誰かの視線を感じた。

「きゃー!!」

 ベランダから雨に濡れる窓越しに、死んだ目で覗き込んでいるシュウダがいた。

「ど、どうしたのシュウちゃん?」

 シュウダを居間に連れ込んだ。

「かれこれ一週間、なにも食べてないの……」

「ええ!? あ、そっか。シュウちゃんはネズミや小鳥が大好きだから、こんなどしゃ降り続きじゃ見つからないか」

「そうなのよ〜! 近頃は人家に来ても、人間たちでネズミを捕まえて処分しちゃうみたいだし、あたしが食べる前にだよ? あたしが食べる前に捨てるのよ〜!」

 泣いた。

「よ、よかったら、私のカエル食べる? たくさんあるからさ」

「そうだ!」

 と、シュウダ。

「へ?」

「マムシちゃん、知ってる? シュウダというヘビはね、他のヘビも食べられちゃうのよ?」

「は、はあ。それがなにか?」

「今目の前にいるのは、マムシちゃん。マムシちゃんは、ヘビだよね? ね!」

 ビクッとするマムシちゃん。

「ごめんねマムシちゃん。あたし、ほんとはこんなことしたくないけど。空腹にはあらがえないわ!」

 と言って、ナイフとフォークを両手に持った。

「き、きゃー!」

 マムシちゃんは逃げた。

「待てー!」

 シュウダは追いかけた。

「きゃー!」

 マムシちゃんはどしゃ降りの森の中を走った。

「待てー!」

 シュウダもナイフとフォークを掲げて追いかけた。

「あっ、軽トラ。ちょっと貸してもらうよ!」

「は!? ちょ、シュウちゃんそれ人間の乗り物……てかなに言って……」

 シュウダは軽トラのエンジンを付けると、急発進してマムシちゃんに向かった。

「きゃー!!」

 驚いたマムシちゃんは、瞬時に軽トラを避けた。軽トラは急停止した。

「マムシちゃんが合宿免許行ってる間に、あたしも取ったのよ!」

 車を発進させて、追いかけてきた。

「それはおめでたいこと〜! あたし取ってないけど……」

 マムシちゃんは走って逃げた。免許を取っておけばよかったと後悔した。

 二人はどしゃ降りなど目にせず、森を越え、山を越え、田んぼ道を越えた。時速四十キロで走る軽トラから逃げ切れるマムシちゃんは大したものだ。

「きゃっ!」

 マムシちゃんが足をすべらせた。

「きゃーっ!!」

 マムシちゃんは、山道の水浸しの下り坂を、すべり台のようにすべっていった。

「わっ、やば! 横すべりしたっ」

 シュウダの軽トラが横すべりをした。体勢を立て直すためハンドルをまっすぐにしたが遅く、すぐ横にあった杉の木に、ぶつかってしまった。

「ふう……」

 シュウダはため息をついた。


 目を覚ます時って、自分から見える景色は、暗闇から徐々にぼやけて、視界がはっきりしてくるものだ。でもそれはアニメやドラマ上の演出。実際は、明かりがパチっと付くみたいに、暗闇からいきなりパチっと明るい景色が映し出される。その映し出された景色に、イケメンが映っていたら……。

「うわあああ!!」

 横になっていたマムシちゃんは、驚きながらその場から退いた。

「なにも、そこまで驚くことないんじゃないの?」

 と、イケメン。

「ななななな!!」

 あわてているマムシちゃん。

「落ち着けよ。てか、お前がこんな雨の中気失って倒れてたから助けてやったんだろうが」

「たたた、助け……」

「俺はキクザトサワヘビ。最も、このどしゃ降りの元凶は、俺だがな」

 フッと笑った。マムシちゃんは、呆然とした。

「ちょっとなに言ってるかわかんない……」

「なにがわかんねえんだよ?」

 にらまれた。

「説明しよう。俺は絶滅危惧種ぜつめつきぐしゅなんだ」

「絶滅……危惧種?」

「お前、絶滅危惧種じゃないな。いいか? 絶滅危惧種っていうのは、数が減って、下手すりゃ恐竜やマンモスみたいに、この世から一匹残らず姿を消すかもしれねえ生き物のことをいうんだ」

「え? じゃあ、そのキクザトサワヘビさんは、今何匹いるの?」

「さあな。知らねえよ」

 と、キクザトサワヘビは冷蔵庫を開けた。

「なんか用意してくれるの?」

「飯だ」

「やったー!」

「バーカおめえにはねえよ。俺の飯だ」

「……」

 期待したマムシちゃんは、チェッと舌を鳴らした。

「じゃあなんか、せめてお茶とか出してちょうだいよ」

「俺は水しか飲まねえの」

「じゃあ水でいいから!」

「ふんっ。外でチロチロ飲んどけ」

「冷たいやつだなあ……」

 小声でささやくマムシちゃん。

「俺が降らした雨は、汚いものもなにも含まれていない、新鮮な水だ」

「へ? ね、ねえ。その雨を降らしたとかなんとかって、どういうことなの? ほんとになに言ってるかわかんないんだけど!」

 コンロの火を止めるキクザトサワヘビ。

「地球を……。淡水にするんだ」

「た、淡水?」

 呆然とするマムシちゃん。

「今や人間たちは、自然の恵みなしでも、生きられるようになった。そのせいで、俺たちキクザトサワヘビの仲間が、生きられなくなっているんだ」

「……」

「森林開発、水質汚染、観賞用として乱獲までされて……。すべて人間たちの勝手な行いによって、俺たちはレッドリストに載った」

「レッドリスト?」

「お前なんにも知らないんだな。絶滅危惧種は、そういうのに載せられるんだよ」

 キクザトサワヘビは鍋からゆでたサワガニを手に取って、ガリっとかじった。

「だから、俺たちが生きてこられるように、大雨を降らして、やがてはできるであろう池づくしにするのが、目的なんだ」

「池づくしー?」

 マムシちゃんは、山や都会が、池になった想像をした。となると、移動手段はボートになるが、池が住処のカエルは、毎日捕り放題である。

「いいねいいね!」

 じゅるりと出たよだれを拭くマムシちゃん。

「その話乗ったわキクザトサワヘビ君!」

 キクザトサワヘビの肩に手を乗せた。

「私も君を応援するよ。ね?」

 ほほ笑んだ。キクザトサワヘビはマムシちゃんを見つめていたが、すぐに目をそらした。照れたのだろうか。

「つうか、もうこれ以上やることねえんだけど。お前なにすんだよ?」

「え? なにすればいい?」

「だからなにもないって言ってるだろ」

「ていうか、地球全体が池になったら、雨は止ませる感じ?」

「当たり前だ。いつまでもじゃじゃ降りにはさせねえよ」

「だよねー」

 雨はまだ降り続いていた。始め降っていた時よりも、少し和らいだ感じもするが。雨は、一ヶ月間、ずっと降り続いていた。その間、だんだんと勢力を弱めてきていた。同時に、雲が晴れてきていたのだ。雲のすき間から、陽の光が差し込んできている。雨もじゃじゃ降りから、しとしとと降るようになっていた。そして、一ヶ月経った翌日。雨は止んでしまい、雲一つない、カラッカラッの夏日に戻っていた。


「どういうことだ!!」

 ダンッとテーブルを叩くキクザトサワヘビ。

「おかしい。雨乞いをして、雨を池になるまで降らせろと念じたはずなのに、なぜ……」

「あの、釘を刺すようで申し訳ないんだけど」

 と、マムシちゃん。

「雨って、雲から降ってくるんだよね。で、その雲は水蒸気からできるわけで、水蒸気が溜まりに溜まると、雨になるわけで。これは要するに、溜まった水蒸気を、放出しきってしまったということではないかと……」

 キクザトサワヘビは、マムシちゃんの胸ぐらを掴んだ。

「それを早く言え早く〜!!」

「い、今気づいたの〜!」

「そうだ! なら、その水蒸気とやらを放し続ければいいじゃないか! おいマムシ、どうやったらその水蒸気とやらはできるんだ! 教えろ!」

「そ、そんな急に言われても……」

「教えろよなんでもいいから! キクザトサワヘビたちだけじゃない、お前の仲間だって、絶滅するかもしんないんだぞ?」

「わ、わかったよもう……」

 マムシちゃんは答えた。

「お風呂を炊いて、湯気を立たせてみよう」

 キクザトサワヘビの住む小屋には、今時めずらしい五右衛門風呂ごえもんぶろがあった。五右衛門風呂とは、火で炊いて沸かすお風呂のこと。昔はどこの家もあった。

「すごーい! 今時めずらしいね」

「今時の人間たちの使うものといっしょにしたくないからな」

「じゃあ私、水汲んでくるね」

 マムシちゃんは、水を汲みに行こうとした。

「それはいいよ」

「え?」

「そこに蛇口がある。ホースを付けて、湯船にまいてくれ」

 庭に、蛇口とホースがあった。

「五右衛門風呂だから、てっきり井戸から汲んでくるのかと」

 水を入れて、湯船に水が溜まったら、キクザトサワヘビはマッチをすってまきに火を付けた。うちわで仰いで、火を燃え上がらせた。

「なんか筒みたいなのを口にくわえて、フーフー吹かないの?」

「うちわのが早いの」

「ふーん。バーベキューじゃないんだから」

「じゃあお前まきに向かって、口でフーフーやってろ」

「無理だよ!」

 まきの火は燃え上がり、一時間後、お風呂が沸いてきた。

「あとは雲ができるのを待つのみか」

 キクザトサワヘビは額の汗を拭いながら、空を見つめた。

「なんだか、果てしなく遠い道だね」

 マムシちゃんも額の汗を拭った。

「汗かいたあ。そうだ、お風呂にでも入ろうかな」

 と、マムシちゃん。

「なんだよマムシ。お前風呂に入るのか?」

「え? 失礼な! 私だって入るよお風呂くらい」

「だって、ニホンマムシって、田んぼとか湿地帯とかで年中泥まみれでも、平気なイメージなんだもんな」

「それは偏見だあ!」

 怒るマムシちゃん。

「フッ」

 笑った。

「笑った今?」

「笑ってねえよ?」

「笑ったでしょ!」

「笑ってねえって!」

「ふふーん。意地でも笑わせてやるぜ!」

 マムシちゃんは、キクザトサワヘビのほおに触れて、口元を広げようとした。

「やめっ……。やめろ!!」

 マムシちゃんを突き放した。

「そ、そこまで拒まなくても……」

「風呂入るなら入れ!」

 マムシちゃんは、五右衛門風呂に入るのが初めてだった。脱衣所で服を脱ぎながら、わくわくしていた。

「どんな感じなんだろう!」

 さっそく風呂場へ。

「おうー! これが、五右衛門風呂……」

 いつも入っているお風呂とは違う形をしていた。マムシちゃんは興奮しながら、五右衛門風呂の湯船をキョロキョロ見回した。

「こんなのシュウちゃんが見たら、おなら百連発だろうなあ」

 さっそく、湯船に入った。

「はあ……。気持ちいい……」

 とてもいい気持ち。でも……。

「あっつ〜!!」

 あまりの熱さに、飛び上がった。マムシちゃんの全身真っ赤だ。

「どうした!?」

 外で、火加減を見ていたキクザトサワヘビが、覗いてきた。

「あつあつあつつー!!」

 湯船の外でぴょんぴょん跳ねているマムシちゃんを見て、唖然とする。

「湯船に丸い板があるだろ。そこに足を付けながら、そーっと入るんだ。湯船の底に足を付けてみろ。焼き付くぞ!」

 言われたとおり、マムシちゃんは丸い板に足を付けながら、そーっと湯船に浸かった。

「気持ちいい……」

 さっきより気持ち良かった。五右衛門風呂は、まるで温泉みたいに熱い。けど、いつもアパートで入っているお風呂よりも、気持ちがよかった。

「確かに、五右衛門風呂のがいいかもね」

 微笑んだマムシちゃん。キクザトサワヘビは、窓からマムシちゃんをじっと見つめていた。

「はっ! まだ覗いてたの!? 変態!」

 キクザトサワヘビに気づいたマムシちゃんは、彼にお湯をかけた。


 お風呂から出たマムシちゃんは、困っていた。

「着替えどうしようかなあ。結構汗だくじゃん」

 お風呂に入ったばかりなのに、汗だくの服を着るのはなんだか抵抗がある。

「キクザトサワヘビくーん!」

 思わず、彼を呼んだ。

「んだよ?」

 呼んだらすぐに来た。

「呼んだらすぐに来るって、あんたは私の召使いか!」

「ほら、これ着ろよ」

 服を投げ渡した。

「え? い、いいの?」

「洗って返せよ」

「あ、ありがとう……」

 と、マムシちゃん。

「は、早く出てってよ!」

 また裸の時に来られたので、恥ずかしがった。すると……。

「ひゃっ!」

 突然、キクザトサワヘビに抱きしめられた。

(な、なに?)

「お前結構いい体してるんだな」

(やだ……。そんなこと言われたの初めて……)

「言ったよな。俺たちの仲間は、絶滅の危機に瀕しているって」

 キクザトサワヘビは、マムシちゃんの耳元にささやいた。

「こうするってことは、どういうことかわかるよな?」

 マムシちゃんの鼓動が鳴り響いた。キクザトサワヘビにまでそれが伝わってくるくらい、鳴り響いた。

「さ、さあ? どういうことかな……」

 無理に強気なことを言ってみるマムシちゃん。しかし、キクザトサワヘビはフッとほほ笑むと、

「わかってるくせに。鼓動がこっちまで伝わってくるぜ?」

 と言った。

「で、でも私!」

「お前言ったよな。最初に、協力するって」

「え?」


"その話乗ったわキクザトサワヘビ君!"


"私も君を応援するよ。ね?"


「俺だけじゃない。お前も、他のヘビも、他の生き物すべてが、救われるんだ」

 キクザトサワヘビは、マムシちゃんに徐々に顔を近づけていった。

 パシッ! キクザトサワヘビが、ビンタされた。彼は、呆然とした。

「そういうのは、私本気で望んだヘビとしかやらない!」

「なんでだ? お前は俺と池づくしにするって……」

「それとこれとは違うの!」

「はあ?」

 首を傾げるキクザトサワヘビ。呆れているマムシちゃんだった。


 翌日、そのまた翌日になっても、水蒸気が溜まらず、どしゃ降りにならなかった。お風呂を炊き続けていたら、お湯がどんどん蒸発して、少なくなっていくばかりだ。

「……」

 その模様を、キクザトサワヘビは、ただじっと見つめていた。マムシちゃんは、なんだかその姿が、かわいそうに思えてきた。

「キクザトサワヘビ君は、仲間を絶滅させたくないだけなんだもんね……」

 自分だって、人間たちの森林開発などで住む場所を失われて、絶滅してしまうかもしれない。だから、今はそうでなくても、キクザトサワヘビに同情させられた。

「よし!」

 マムシちゃんは、キクザトサワヘビの近くに寄った。

「キクザトサワヘビ君!」

「なんだよ? お前まだ俺のとこに来んのかよ」

「来ちゃダメなの?」

「勝手にしろよ」

「あのね。池づくしのことだけど、無理だと思う」

「じゃあ、俺と……」

 と、マムシちゃんの肩に両手を置くが、

「それも違う!」

 ムッとしたマムシちゃんに、離された。

「私たちヘビは、自然に身を任せることでしか生きていけない。人間は、その自然を利用して、なんでもできる。私たちにできることは、人間たちが君や他の絶滅危惧種の存在に気づいて、どうするか考えてもらうことだよ!」

「そんなの無意味だね。人間は俺たちの存在を知っておきながら、この自然を破壊しつくしてきた。あんな信用ならないやつらを、長い目で見てられるかよ!」

「でも!!」

 マムシちゃんが声を上げた。彼女を凝視するキクザトサワヘビ。

「しかたないよ……。それしか、できないんだから……」

 神妙になって、マムシちゃんはそう答えた。キクザトサワヘビは歯を食いしばりながら、なにか言おうとしたが、なにも出なかった。セミの鳴き声が行き交う夏の森林。その中で、二人は向き合ってたたずんでいた。風呂場の五右衛門風呂から、お湯が蒸発し、すべてなくなった。

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